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山田ズーニー
2021/6/26
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*6月25日昼時点の作品にコメントしています。
人は哀しいとき、時間がたてば徐々に癒えていくけど、時間を早送りすることはできない。だから人は「距離を離そうとする=旅に出る」のかと思う。母を亡くした悠...
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*6月25日昼時点の作品にコメントしています。
人は哀しいとき、時間がたてば徐々に癒えていくけど、時間を早送りすることはできない。だから人は「距離を離そうとする=旅に出る」のかと思う。母を亡くした悠人が、無自覚にその哀しみ・喪失感・孤独から逃れようと、NOTEBOOKSの世界に入り込んで旅をしてしまうというのはとても腑に落ちた。コロナ過で物理的な旅が許されなかった間、悠人のように、想像上の旅に心が旅立ってしてしまった人も多いのではないか。
NOTEBOOKSの世界の旅が、つぎに、現実の旅になるというのもときめく。母への思慕の旅でもあり、自分の出自を探求する旅でもある。ネームのラストで、二十年後の拓人がとても素敵な人で幸せな気持ちになった。外見ももちろん素敵だが、悠人の一瞬の心の機微を読んで、送っていってあげる、という優しさにやられた。
愛する人を失った痛みを人はどう癒すのか(あるいは癒えないのか)。悠人の知らない母は何を想いどう生きていたのか。悠人の誕生にはどんな人たちのどんな想いがあったのか。心ひかれる謎に満ちた旅で、とてもそそられる。
旅から帰ったときまちがいなくひとまわり大きくなった悠人がいる。そして、同じ日常も、自分自身も、旅に出るまえとあととでは、まるでちがって見えるだろう。その見えてくる景色がとてもたのしみだ。最初に悠人が、NOTEBOOKSの世界にはいりこんでしまって旅したように、読者もこの作品の世界にはいりこんでしまって旅ができる。そんな作品になる予感。
最終課題:NOTEBOOKS
歩
2021/6/26
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山田ズーニー
2021/6/26
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*6月25日昼時点の作品にコメントしています。
面白かった! 「猫のように気まぐれに手口を変えるため予測できない」のところで伝説の殺し屋たるゆえんに説得力を感じた。コーシカが最初のシチューを作ったと...
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*6月25日昼時点の作品にコメントしています。
面白かった! 「猫のように気まぐれに手口を変えるため予測できない」のところで伝説の殺し屋たるゆえんに説得力を感じた。コーシカが最初のシチューを作ったところで噴き出した、ここで一気にコーシカに引き込まれた。完璧な殺し屋と、料理の、あぜんとするギャップ。この派手な失敗料理がとてもよかった。
もともとは人を喜ばせようと優しかったコーシカ、しかし、唯一の家族である母はいっさい反応せず、それどころか日に日に絶望へ向かっていった。コーシカがした行為で、唯一母が反応した、その反応とは、死。その後、生きる意味をうしなったコーシカにできる唯一のことは、相手を無に帰すことだけ、というのが切ない。
そのコーシカが立ち直るきっかけが料理。料理はきほん、食べた人を満たす行為だ。食べる人が自分であろうと他者であろうと、その人間の舌で味わわれ、カラダにとりこまれていく。カラダや舌という嘘のつけないところに料理は向けられる。だから、人を喜ばす気持ちがないと料理はうまくはなれない(餌になってしまう)。
だから、料理をすることで、コーシカが、必然的に人のことを想うようになり、かつて人を喜ばせたかった自分を取り戻していくことに、とても説得力があった。少女のコーシカが、もし、料理にせいをだし、母親がおいしいと食べてくれていたら、この母娘はなにか変わっていたのではないか、そんなしてもしょうがない想像をしてしまって切ない。コーシカが料理への感性を高め、それと同時に、人間性を豊かにしていく未来に希望がある。
殺し屋と料理人の話
waraseizinn
2022/2/24
+34
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山田ズーニー
2021/6/26
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*6月21日16時点の作品にコメントしています。
面白かった。読んでる自分まで大きな愛に抱きとめられたような読後感。温かい。
いちばん心動かされたのは、犬のよしのりがお爺さんに抱きとめられた瞬間だ...
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*6月21日16時点の作品にコメントしています。
面白かった。読んでる自分まで大きな愛に抱きとめられたような読後感。温かい。
いちばん心動かされたのは、犬のよしのりがお爺さんに抱きとめられた瞬間だ。あの瞬間、人間の善則も心の中で一緒に抱きとめられたんだ。この先、人間の善則と親の確執が解けることはなくとも、あの瞬間、人間の善則も無条件の愛に包まれて、こう言われたんだ、「元気な姿をひと目見たいと思っていた、生きててよかった、私の大切な子」と。
人は、自分が直接現実の人間関係を解決できなくても、自分を投影した存在が、癒され愛される姿を見て、心のわだかまりを溶かすことができるんだな。こちらまで昇華され、元気になった。
犬のよしのりの説得力がすごい、ひと言ひと言が読んでる自分にも響いた。自分、自己を投影できる存在(この場合は犬のよしのり)、その存在を脅かす人(嫁)、その存在を愛する人。この4者のシンプルな構成もいい。
よしのりと善則
micomalu
2021/6/26
+19
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山田ズーニー
2021/6/26
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*6月21日16時点の作品にコメントしています。
私も38歳で会社を辞め道を見失った時に、ミュージシャン志望の青年に出会い、わが道を進む勇気をもらった。偶然にも「わが道を行け」というタイトルだった。...
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*6月21日16時点の作品にコメントしています。
私も38歳で会社を辞め道を見失った時に、ミュージシャン志望の青年に出会い、わが道を進む勇気をもらった。偶然にも「わが道を行け」というタイトルだった。だからこの作品は、わがことのように読んだ。
藤原とアキの出逢い。音楽の神さんがいるとしたら、これほど絶妙な出逢いがあるだろうか。
音楽の神さんに見離された藤原。アキが目の前に現れてから、「自分にアキの才能があったなら、アキのあの若さがあったら」と思わずにはいられなかったろう。若さと才能があったら、どうするのか? 藤原の水面下で自分は音楽がやりたかったという想いがつのっていく。そこにアキの「逃げてる」というトドメの言葉。
一方、アキは音楽の神さんのもとで働いており、いつしか擦り減って曲がかけなくなっていた。若さというのは不自由なもので、自分に若さという富があっても、才能に恵まれていると言われても自分では気づけない。まだ自分を相対化して見られる視座というか、人生経験のようなものがない。だから自分を見失う。
そんなアキの前に現れた藤原は、アキとは違う時代に生まれ育った。アキが趣味として好きで心のよりどころとしている昔の音楽も、藤原はリアルタイムで聴いている。趣味ではなく、時代の中で、自分の青春を通して、それらの音楽が人生の一部になっている。
アキは藤原とのやり取りを通して、アキがいまいる時代とは、別の時代を経験する。いまアキが作っている音楽とは、別の音楽を血肉化していく。アキは、「別の時代を知ることで、いまの時代を知ることができた」。いま自分がいる時代はなんなのか、自分が手がけている音楽が何なのか、いま自分はどこに立っているのか、気づき始めた。
なにより、いま歌った歌に、藤原の熱い反応が返ってきて、音楽は、人間にむけておくるものだという原点を取り戻した。そして、たった一人に伝えるためにかいた曲が、自分の復帰作となる。
好きなものにまっすぐ向かうことは、失敗したら自分が粉々になりそうで恐い。そこを突破して進む勇気をくれる作品。「道を行け!」と。
卒業課題 「道を行け」
アヤ
2021/6/26
+23
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山田ズーニー
2021/6/26
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*6月21日16時点の作品にコメントしています。
天使と悪魔、私は羽根のある存在にどうしてこんなにひかれるのだろう。進路に悩む日に、天使と、悪魔を、この目で見てしまった。もうそれだけで引き込まれてし...
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*6月21日16時点の作品にコメントしています。
天使と悪魔、私は羽根のある存在にどうしてこんなにひかれるのだろう。進路に悩む日に、天使と、悪魔を、この目で見てしまった。もうそれだけで引き込まれてしまう。進路選択は重くしんどい、現実に確実にはねかえってくる選択だ。一方で、天使と悪魔は、非現実の世界へと意識を連れ去ってくれるような存在。私だったら、自らその非現実の世界へと飛び出してみたい。そこで、しばし現実のしがらみから解き放たれたり、気づきを得たり、心の栄養を得たり。そうして、そこから、自分自身と、自分のいる現実世界を客観的にとらえたい。いつもの現実に戻ったとき、自分の進路がシンプルに、これだ!と見えてきたらいいな。天使と悪魔の羽根とネームに、そんな想いを膨らませた。
【本提出用】本当は逆なのに気づいてない天使と悪魔 ネーム(かくた)
かくた✍
2021/6/26
+8
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山田ズーニー
2021/6/26
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*6月23日1時点の作品にコメントしています。
一コマ目から(あの目と、「こんなとここーへんかったら良かった」というセリフ)ぐっと引き込まれた。虐めをする柿本にも、虐められる山本にも、両方にすっと感...
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*6月23日1時点の作品にコメントしています。
一コマ目から(あの目と、「こんなとここーへんかったら良かった」というセリフ)ぐっと引き込まれた。虐めをする柿本にも、虐められる山本にも、両方にすっと感情移入できた自分に驚いた。現代とひらきがある時代状況もまったく抵抗なく、この世界に入り込んでいた。
「これしかない、と言う人間は強い」、山本にそう感じた。山本は柿本よりずっと生活環境が厳しい。だから進路に迷う余裕もなく、大事なものもはっきりしていて、ブレずに進路を選択する。一方、柿本は、山本より恵まれているし進路に迷う余地だって与えられている。なのに柿本は山本にとらわれて、自分の進路を決めてしまう。
虐めているんだから、柿本は、山本より腕力もあるはずだ。なのに柿本は山本に敗北感を抱いている。この敗北感がなんなのか、この話で、私がいちばん魅かれるポイントだ。敗北感の正体がわからないままに、ざわざわと読んでるこちらも、柿本の敗北感にシンクロしていく。私自身の記憶の底からも何かがあぶり出されるような感じがする。
柿本は、自分の心に問うこともなく、ただ山本への競争心から自分を極限の地へと送り出してしまった。この進路選択のありかたは、間違いだったと思う。競争心にからめとられると人は、自分の行きたい道を見失う。
「山本に有って、柿本に無いものとはなにか?」「二人の若者は、なぜ、結果的に絶望行きの列車に、自分を乗せたのか?」 極限の旅に出たふたりだからこそ、究極の人間の本性が見えてくるだろうと思う。進路選択や、同級生に抱いてしまう敗北感、という時代を超えて普遍の問いと、この時代にしかあぶりだせない人間の本性と。このふたつがあいまって、つづきがたのしみでたまらない。
ざくざくろさん、これまでとガラリと違う作品で驚いた。引き出し、多いなあ!
曠野にかける
ざく ざくろ
2021/6/26
+14
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山田ズーニー
2021/6/26
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*6月21日16時点の作品にコメントしています。
楽しませてもらったー! 画面からあふれ出て、湯水のように与えられる楽しさ。たとえて言えば、おいしいキャラメルを両手いっぱいもらって嬉しいと思っていた...
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*6月21日16時点の作品にコメントしています。
楽しませてもらったー! 画面からあふれ出て、湯水のように与えられる楽しさ。たとえて言えば、おいしいキャラメルを両手いっぱいもらって嬉しいと思っていたら、さらに何種類もおまけがついていたような感じ。細部まで何種類も工夫された小ネタが挟まれていて、いちいちきっちり楽しい。テンポよく、洒落ていて、スパイシーなセリフも楽しい。
私がいちばんはっとしたのが、「あれは本当に言葉のミスの問題だけだったの?」とミキが気づくところ。致命的なミスを犯したとき、私たちは無自覚に改ざんすることがある。ミキは失敗の原因を→日米の言葉の問題にし→子供たちにそんな想いをさせてはいけないと考え→英語教師になった。けど本当は、業界の重鎮とコミュニケーションするうえでの、パッションの足りなさ、伝えたいものの欠如。上演権交渉の仕事に就いた時は、パッションもあふれるほどあったし、交渉に向かう時も「これを伝えたいんだ」というものがあったはずだ。ところが、順調に仕事がまわっていくにつれ、原点の想いを日々見失い、ただ失敗せず成功をたたきだすためだけの交渉に陥っていた。ミキのこの気づきは深いなあ。
だから、必要だったリタイア。単に、主人公が失敗して落ち込んで、英気を養って復帰する話ではないのだ。失敗の本当の原因に気づけるまで、気づいて、その交渉に一番大事なものを取り戻すまで、時間がかかるのはあたりまえだ。
それをミキに気づかせた清志田、心を伝える昭和の歌手はさすがだ。
課題漫画 落ちぶれ歌手に英語を教えることになった話〜
真船佳奈
2021/6/26
+17
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山田ズーニー
2021/6/26
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*6月21日16時点の作品にコメントしています。
私は、まのさんの色彩、そして絵、世界観がとても好きだ。新しいと懐かしい、お洒落さと親しみと、ぱっと見て一発で別世界にいける。
とても面白かった! ...
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*6月21日16時点の作品にコメントしています。
私は、まのさんの色彩、そして絵、世界観がとても好きだ。新しいと懐かしい、お洒落さと親しみと、ぱっと見て一発で別世界にいける。
とても面白かった! 恋は脳がちょっとおかしくなるんだ、と私は日頃思っている。実際、初恋(5年間片思い)の時なんか、1日10回はくだらずタロット占いやった。5年でよゆうで1万回はやってる。恋したときの自分は空恐ろしい。そばで見ている人たちは、冷静である分、恋の狂気にあきれる。この作品は、そんな、恋の狂気・可笑しさ・不条理・悲哀・悦楽、ぜんぶを笑いに変換して昇華してくれる。だから、シュールな展開なのに、ふしぎにやすらぎを覚える。恋にもんもんとする自分を笑い飛ばせる鎮痛剤・解熱剤だ。
と思っていたら、えっ、ええええええええええー! やすこの引っこ抜きは、ナチュラルボーンなの?! ええええええーっ! コワ面白いー。恋は脳がちょっとイカれるんだ、と私は思っていた。けど、そこで現われる狂気って、もともと自分が持ってる本性なのかも。恋によってフタがあいて、自分の本性が暴れ出しただけなのかも。そう思うとゾッとする。より恋は恐ろしい。そんな深い揺さぶりもあるこの作品、面白くて痛快! やすこ、癖になるーっ!
花占いは終わらない
まのゆうすけ
2021/6/26
+13
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山田ズーニー
2021/6/26
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*6月23日1時点の作品にコメントしています。
心が安らいで、晴れやかな読後感。まるで私自身が充分人の話を聴いたような、自分も充分に話して聴いてもらったような、満たされた感覚がある。
「はたして人...
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*6月23日1時点の作品にコメントしています。
心が安らいで、晴れやかな読後感。まるで私自身が充分人の話を聴いたような、自分も充分に話して聴いてもらったような、満たされた感覚がある。
「はたして人類は地球に要るのか? 要らないのか?」
マイクロプラスチックや温室効果ガス、鳥の目からみたら、人間こそ地球を荒らす元凶だろう。第1話で私がいちばん揺さぶられたポイントは、モカの変化だ。カモメといっても人間の保護下に育ってきて、だからモカは、人間を全肯定だった。人類を否定したら自分たち母子を否定することになる。そのモカが、初めて人間を客観的に鳥の目から見つめることができた。モカVSもものふたりだけの言い争いでは、平行線で出口はなかったろう。いったん外にひらく。ふたりは、人間界に出て行き、自分を無にして、人間の想いを聴いた。そうして初めて、自分という狭い枠組みの殻を破れたのだ。人間たちが引き出したもものおいたち。そこで表現されたももの想いが、モカの心を動かした。人間を知ろうとして、人間界に自分をひらいたことが、結果、同僚のももの想いを知ることになった。利害関係を超えて、鳥として、地球環境と人間を客観的にとらえる契機にもなった。人を知れば知るほど、モカとももの溝が埋まっていく構造が面白い。
地球環境、人類調査、というマクロな視点と、人間を知るために個人個人の話を聞くというぐっとミクロな視点が、行ったり来たりするところも面白い。鳥の目になって、毎回、人間を見ることができる作品。見慣れた人間社会にも、新鮮な気づきが生まれる!
調査員ももの、人類滅?存?モニタリングレポート
とりくる(鳥伊くるみ)
2021/6/29
+35
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山田ズーニー
2021/6/26
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*6月23日15時点の作品にコメントしています。
いちばん印象に残ったシーンが、スラりんの葬儀。ヘルの捧げる純粋な想い、透き通っていく空気、そこに花。カァァーァアと棺が光った時、私の中の何かも一緒に...
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*6月23日15時点の作品にコメントしています。
いちばん印象に残ったシーンが、スラりんの葬儀。ヘルの捧げる純粋な想い、透き通っていく空気、そこに花。カァァーァアと棺が光った時、私の中の何かも一緒に昇華された想いがした。すーっ!とした。シリーズ化されるなら、毎話、この昇華というか、身のうちにあるわだかまりがすーっと成仏していく感覚をぜひ味わいたい。
人には「想い残し」がある、とこの作品に気づかされた。日々生きていたって、「あの卒業式の時にはこうしたかった」「あの誕生日のお祝いではもっとこうしてあげてれば」と、想い残しはある。ましてや、いよいよ人生終わりとなったら、亡くなった人も、残された人も、両方に「想い残し」がつのり、両者の悔いがせめぎ合ってやるせなくなる。だから、鎮魂。葬儀では、死者にも残された者にも、魂を鎮める「何か」が要る。
「弔うとは、なにか?」
「弔いにとって、花を手向けるのはどんな意味があるか?」
この作品から、そんな問いかけをいただき、ずっと考えていた。私なりに考えて思ったのは、弔いとは、「想いきる」ことだと。死者にも、残された人にも、「想い残し」があり、このままでは成仏できない・させられない。そこで、死者を想う。残された人は、ただただ純粋に死者を想う。故人に通じたかどうか確かめるすべはないが、それでも、もう充分だ、相手に届いた、と感じられるまでひたすら想う。想うことをやりぬく=想いきる。そこで、想い残しを断つ=想い切る。
そして、「花」は、想いの表現だ。人は見えない想いをカタチに表したい生き物だ。カタチとして自分の目に見せ、まわりに見せ、故人に見せる。表現することで想いは昇華される。
弔うとは、という深い問いを秘めた作品。人間界でない、異世界から、人として問われるからこその発見や気づきがある。毎回の発見がたのしみだ。
卒業課題【異世界葬儀屋】2/2
尾ばた しょうご
2021/6/26
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