・はじめに〜漫画家が「原稿を渡して終わり」の時代は終わった 2019年、ゴールデンウィーク。世間が10連休の中、東京都心の某マンションに売れっ子漫画家が続々と集まってきます。〆切...
・はじめに〜漫画家が「原稿を渡して終わり」の時代は終わった
2019年、ゴールデンウィーク。世間が10連休の中、東京都心の某マンションに売れっ子漫画家が続々と集まってきます。〆切に追われる先生方が一堂に会するのは、かなり珍しいこと。こんな状況が実現したのは、「漫画家・製版勉強会」が開催されたからでした。
“製版”とは、なんぞや――。多くの漫画家、そして編集者ですら、そのプロセスをよく知りません。漫画家は編集者に原稿を渡し、編集者はその原稿を印刷所に渡す。その「先」で何が起きているのかは、知らなくてもなんとかなる。いや、なんとかなって来たのが、これまでの漫画業界でした。
しかしいま、漫画制作にデジタル化の波が押し寄せる中、このプロセスを知らないゆえの不都合が起き始めています。漫画を描く手段が増えるのはいいことですが、そのことによって、原稿の中身がバラバラになるという弊害が出ています。手描き原稿、すべてパソコンで制作された原稿、デジタルで描いたものにペン入れをした原稿、ある程度までアナログで描いてからスキャンしてデジタルで仕上げた原稿――。デジタルといっても、漫画家がソフトを使って「なんとなく」学んでいったことで、統一基準はありません。アナログとデジタルの混合だけでなく、デジタルの中身を見ても、データの形式や解像度などがバラバラの状態になっているのです。
実はこうした状況を受けて、最もしわ寄せを受けているのが製版の現場です。製版とは、原稿が印刷される前の版下を作る仕事。つまり、受け取ったデータを整え、印刷に適したものに変換する仕事です。アナログ時代には、原稿の形式は1つでした。しかし、いまはさまざまな原稿が来るため、製版の作業が複雑になっています。原稿がそのまま印刷物に反映されず、モアレや線が細くなる現象が起きるのは、ここでの作業が困難なことが原因です。さらに、製版現場での手間、コストがどんどんふくらんでいます。それを現場ががんばって吸収している状態ですが、長く続くとは思えません。これは、製版現場だけの問題ではありません。入稿する側が「製版しやすい原稿」のルールを守れば、解決することがたくさんあります。しかし、これまでは漫画家・編集サイドが「原稿を渡して終わり」だったため、製版・印刷サイドとの間のコミュニケーションが足りず、問題解決に至らなかったのです。
こうした状況を受けて、漫画家のおかざき真里先生が呼びかけ人となり、製版のベテラン・Ken太郎さんを講師にお迎えし、「漫画家・製版勉強会」が発足しました。勉強会では、たくさんの声が上がりました。
「デジタルに変えてみたものの、このやり方であっているの?」
「入稿に関する業界標準って、ないの?」
「手描きのままだけど、いずれデジタル化しないと、誰も作業してくれなくなるの?」
こうした声はおそらく、多くの漫画家が抱えている悩みではないでしょうか。
漫画家はみんな、必死の思いで原稿を作っています。だからこそ、原稿がきちんと印刷に反映されるかどうかは、切実な問題です。ぜひこの勉強会の内容を通して、製版のプロセスに興味を持ってみてください。製版の現場と一緒に解決策を探っていかないと、印刷の問題が改善できず、漫画全体のクオリティーも上がっていかないでしょう。
ここに出てくるやり方は、個人の見解に基づくものです。実際の現場では、もっといろんな工夫がなされていると思います。「100%正解」とは思わず、でも大いに参考にしてください。明日からのあなたの創作に、この勉強会のお話が役に立ちますように。
漫画家製版勉強会一同
・登場人物紹介
●Ken太郎/今回の製版側の先生。写植時代から製版の仕事をし、同人誌から大手出版社の刊行物まで幅広く手がけるベテラン。ミュージシャンでもある。
●K野/DTP、印刷技術に詳しい業界内部の専門家。Ken太郎さんのサポート役として参加。「製版と漫画家がお互いにコミュニケーションが取れていれば、防げるミスがあるはず」との問題意識を持つ。
●おかざき真里/漫画家。博報堂在職中の1994年にデビュー。代表作は『サプリ』『阿・吽』(『月刊スピリッツ』で連載中)など。今回の「製版・漫画勉強会」の発起人。
★デジタル度合/連載2本のうち、1本はフルアナログ。1本はフルデジタルで、「CLIP STUDIO PAINT EX(以下、クリスタ)」を使用
●うめ/シナリオ担当・小沢高広、作画担当・妹尾朝子からなる二人組漫画家。代表作は『東京トイボックス』シリーズなど。「cakes」で『ニブンノイクジ』などを連載中
★デジタル度合/フルデジタル。「Photoshop」、最近はiPad Pro版のクリスタも使用。背景には、「SketchUp」という3D モデリング・ソフトウェアを使用。かなりデジタルに詳しい。
●なかはら・ももた/漫画家。1991年にデビュー。NHKの連続テレビ小説『半分、青い。』のスピンオフ漫画『半分、青っぽい。』を「cakes」で連載、書籍化。『まんが王国』で『あの日、世界が終わっても』を連載中
★デジタル度合/フルデジタル。「Comic Studio(以下、コミスタ)」を使用
●稚野鳥子/漫画家。OLを経て、1988年にデビュー。代表作は『東京アリス』『クローバー』など。『Kiss』で『月と指先の間』を連載中
★デジタル度合/フルアナログ。iPad Proを購入し、次の一歩に備えている
●上田倫子/漫画家。1986年にデビュー。代表作は『キッスは瞳にして』『リョウ』など。漫画アプリ『マンガMee』で「蘭と葵」「裸足でバラを踏め」連載中。
★デジタル度合/フルアナログ。手描きの技術は上がっているが、デジタル化の波も気になる
●高河ゆん/漫画家。同人誌で『魔王伝』などのブームを巻き起こし、1986年に商業誌デビュー。代表作は『アーシアン』『LOVELESS』(『コミックZERO-SUM』で連載中)など
★デジタル度合/ペン入れしたものをデジタルで仕上げていたが、最近クリスタを使い始め、フルデジタルに移行
●末次由紀/漫画家。1992年にデビュー。代表作は映画化もされた『ちはやふる』(第2回マンガ大賞2009を受賞、『BE・LOVE』で連載中)。
★デジタル度合/Photoshopの導入は早かったが、その後、原画展などでアナログ原稿が必要となり、手描きに戻っている
●ひうらさとる/漫画家。1984年にデビュー。代表作はドラマ化もされた『ホタルノヒカリ』。現在、『Kiss』で続編の『ホタルノヒカリ BABY』を連載中
★デジタル度合/フルデジタル。城崎に住んでいるため、東京との移動中にiPadで作業することも。クリスタを使用。
●青木俊直/漫画家。最近ではキャラクターデザイナーとしてアニメ映画「きみの声をとどけたい」テレビアニメ「ひそねとまそたん」ゲーム「がるメタる!」などに関わる。近著に『青木俊直のどこでもiPad Proゆるゆるおえかき術』
★デジタル度合/フルデジタル。iPad Pro(最近はiPad Miniも)を持ち歩き、制作している。クリスタと「Procreate」を使用。デジタルにかなり詳しい
※この記事では、漫画制作ソフトの表記を「CLIP STUDIO PAINT EX=クリスタ」「Comic Studio=コミスタ」で統一しています。
・1章 「グレースケール」と「網点」の違い
――それでは勉強会を始めましょう。著名な先生方がずらっと座っていらして、壮観ですね……!最初に、簡単なアンケートを取らせてください。みなさんの現在の入稿方法を伺います。「紙のアナログ」「デジタルでグレースケール入稿」「デジタルをドット(網点)にして600dpiで入稿」「同じく1200 dpiで入稿」、4パターンのうち、どれに当てはまりますか。
(それぞれ、バラバラと手が上がる)
――なるほど、最後の「1200 dpi」はあまりいないかな。それ以外はバラけていますね。手描きのお話は後で伺うとして、急増しているデジタルでの入稿に、正解ってあるんでしょうか。いま少し聞いただけでも、みなさんバラバラなようです。
Ken太郎 僕が考える理想の入稿をざっくり申し上げておきますね。デジタルデータで、紙の印刷に適した入稿とは、どんなものか。
まず、刊行される本の体裁の基本枠と、原稿の基本枠が同寸1:1であること。基本枠(基準枠ともいう)とは、印刷の断ち切り線の内側に置く枠です。セリフや表情など、漫画の重要な情報はこの枠の中に描くというルールがあります。
さらに、データ作成時の解像度は600dpi以上に設定し、主線の太さは0.3mm以上。スクリーントーンは60線。塗り足しは、本の判型の6mm以上ほしい。これなら、初版時でのモアレ、線のかすれ、絵柄潰れなどのリスクはぐっと減るはずです。もちろん印刷物なので、最終的な出方は紙質、インクのノリでも左右されますが。
製版側としては、原稿にできるだけ手作業を加えないことーー誤って消したり、加筆するリスクがないことを何より望んでいて、おそらく漫画家さんたちもそれは同じだと思います。
――今回の勉強会で学ぶ、最終的な「入稿の理想」はこれだということですね。このゴールを頭に入れつつ、細かい点を詰めていきましょう。そもそも手描きの方にとっては、デジタルで原稿を作る際の「グレースケール」「網点(あみてん)」という言葉がよくわからないと思います。
Ken太郎 そうですね。これは印刷の基本に関わることですから、しっかり理解してほしいです。そもそもの出発点として、「印刷物は網点でできている」ということを頭に入れてください。印刷物を見ると線や色が写っているように見えますが、それらはすべて、細かい点の集合でできています。わかりやすいのが、新聞の写真。虫眼鏡で拡大して見ると、大小の点が網状に規則正しく並んでいるのがわかるはずです。これは、画面上で拡大した写真です。画像を構成する網点が見えますよね。
モノクロ印刷は、白い紙に黒い点を並べて絵柄を表現します。色を濃くしたい場所は点を大きく密度を上げ、逆に、薄くしたい場所は小さくして密度を下げる。そうすると人の肉眼では、黒い点が占める割合が多ければ多いほど、濃い色に見えます。網点の比率をパーセントで表したものを「網点%」といい、網点が100%の部分は黒ベタ、数値を低くしていくとグレーを表現、もっと数値を下げていくと白に近く見えます。
このように、2色の階調(グラデーション)だけを使ってビジュアルを構成する方法を、「二階調」または「二値」と呼びます。それが白と黒の場合は、「モノクロ二階調」「モノクロ二値」と言う。カラー印刷の場合は、「C(シアン)・M(マゼンダ)・Y(イエロー)・K(ブラック)」それぞれの二値データを組み合わせ、色の濃さやバリエーションを表します。
ちなみに、ここでいう印刷とは、印刷版を作ってインクを乗せ、紙に転写する印刷のこと。データをパソコンからプリンターに送り、そのまま印刷する「オンデマンド印刷」は別の仕組みであり、漫画雑誌や単行本などの商業印刷にはあまり使われないため、今回は除外して説明します。ここまでは、理解していただけましたか?
おかざき はい、ここまでは……。
Ken太郎 僕たちがふだん手がけている「製版」とは、印刷の原本(版下)を作ることです。つまり、原稿を元に、印刷にふさわしい網点のデータを作る。これを「二値化」といい、現在この作業はほとんどパソコン上で行われています。雑誌が最もよく売れていた時代は「写真製版」といって、原稿を巨大な専用カメラで撮影し、フィルムに焼き付けて版下を作っていました。かなり昔のことですね。
K野 ちなみにこれは、印刷に限った入稿のお話です。電子書籍では印刷の必要がないので、必ずしも二値化は必要ありません。黒と白に分けなくてよいので、中間色であるグレーがそのまま表現できます。このようにデジタル画像で、細かいグラデーションを使って表現する方法を「グレースケール」と呼びます。漫画でいう「薄墨」のようなものですね。通常、デジタルで作った原稿をそのまま電子書籍にするのであれば、グレースケールでデータを製作し、そのまま入稿でいいわけです。
Ken太郎 漫画の原稿はもともと、印刷の二値データをまねて作られたんです。濃淡や模様を表現するために貼る「トーン」って、原理は網点と一緒なんですよね。あれはもともと、印刷で網点化するような模様を、原稿を描くときに最初から作る手段として発明された。だからアナログ時代の漫画の原稿は、すぐ印刷にかけられる版下を作っていたと言っていい。
いまは、アナログの作業をデジタルに置き換えるようになりました。それだけならいいのですが、漫画の作り方自体はアナログ時代の踏襲で、それをデジタル上でやっているので、話が複雑になる。漫画制作ソフトで「モノクロ二階調」を選ぶと、「トーン化」というのが出てきますよね。これがまさに、デジタル上で二値データのトーンを再現しようという仕組みです。
高河 グレースケールで製作して二値化するか、最初から二値で作るか。または、印刷物でもグレースケールで入稿する方もいますよね。このあたりはどれがいいんでしょう。
K野 おそらく、作風にもよると思うんです。グレースケールとトーンはかなり出方が違うので、トーンに慣れた方は「グレースケールだと自分の作品じゃなくなる」と感じることもあるでしょうから。
うめ小沢 グレースケールってなんかぬるっとした感じがする。それが気持ち悪いという作家さんの気持ち、わかります。そういう場合は、モノクロ二階調で作ればいい。僕の場合はグレースケールで作って、入稿段階で印刷用とデジタル用を分けています。印刷用には二値化したデータ、電子書籍にはそのままグレースケールで入稿という風にしていますね。
Ken太郎 それはベストなやり方です。いまは電子書籍の対応も必須だと思うので、まずはグレースケールでデータを作っておく。そして印刷用には、二値化してモノクロ二階調のデータを作り、どんな仕上がりになるかを確認した上で入稿する……といのが理想です。でも、漫画家の方々の修羅場を考えると、ちょっと手間がかかりすぎですかね。もちろん、グレースケールのままで入稿したものを、製版側で二値化することもできます。それはケースバイケースです。
青木 そもそも、漫画家が編集さんに送るデータにはいろんな形式がありますよね。PNGやTIFF、psdなど、人によって結構違う。製版の側で「これがいい」というのはあるんですか。
Ken太郎 製版の立場からすると、推奨したいのは「TIFF」です。あとで説明しますが、最終的な版下のデータってTIFFになるんです。だからあれこれいじらずに使えるし、そもそもTIFFは圧縮率が高くて扱いやすいデータですよね。
ただ、大事なのはデータの中身なので、最終的なデータ形式にそこまでこだわっているわけではありません。実際のところ、印刷会社にもよりますが、僕の会社では「PDF」や「eps」形式、最近では「psd」形式の画像ファイルも受け取って作業しています。難点を言うと、PDFはブラックボックス化していじりづらい。また、以前は主流だったepsはデータが重く、Adobeも最近はpsdを推奨しています。そう考えると、「最終的にはTIFFデータになるのだから、素直にTIFFで入稿」。または、「扱いやすくデータも軽いpsdで入稿」。この2つを推奨する場合が多いのではないでしょうか。
なかはら このままいくと、epsでの入稿はなくなりますか?
Ken太郎 うーん、なくなりはしないでしょうけど、製版からすると“扱いにくいデータ”になっていくでしょうね。epsは種類が色々あって、例えばIllustratorから書き出したデータだという情報が、一度開いてみないとわからない。僕はその点が、ちょっと嫌だなと思ってしまう。
ここで少し、われわれがどういう風にデータを作っているかをお見せしましょう。製版では、届いたデータをチェックして、ゴミを取ったり余計な線を消したりといった作業を行います。データが整ったら、印刷機械に合わせて折ごとにページを配置し(面付け)、最後に「RIP(リップ/Raster Image Processer)」という機械に通します。これは何千万円もする高額の機械なんですが、見た目はまあ、パソコンですね。僕らが作業するのはこんな感じで、決まった設定のフォルダにデータを放り込んでいきます。
(RIP作業中のパソコン画面)
うめ小沢 おお〜!RIPの作業って初めて見た。 噂には聞いてましたが、RIPってすごい便利なんです。例えるなら、電子レンジみたいな機械。レンジって、600Wで1分30秒とかを設定して放り込むと、その通りに温めてくれるでしょ。RIPも同じで、設定ごとにフォルダを作って、そこに放り込むとその通りのデータに変換してくれる。
なかはら わかりやすいですね!
Ken太郎 その通りです。フォルダの設定は「線数」と「解像度」ごとに分かれています。線数というのは、1インチ(約2.54cm)あたりの網点の数です。線数が高いほど網点は目立たず、印刷がなめらかに、美しく仕上がる。線数は媒体によってだいたい決まっていて、漫画雑誌は65線。グラビアのようなカラーページだと175線、通常の書籍はだいたい133線ですね。それに解像度を組み合わせて、「65線印刷で1200dpi」「133線印刷で2400dpi」といった設定にする。整えたデータをこのフォルダに入れて、出てきたものが印刷に回ります。そのときの形式が、TIFFなんですね。
(グレースケールを65線印刷・1200dpiに変換したTIFFデータ)
(グレースケールを133線・2400dpiに変換したTIFFデータ)
おかざき 製版とひとことで言っても、随分いろんな作業があるんですね。
Ken太郎 そうですね。僕らの作業って、出版社から届いた原稿を印刷機にかける手前にある、最後の人力作業。そういう意味では版下作りと同時に、チェック機能としての役割を担っています。あと、「時間を縮める」意味でも最後のトリデです。印刷機は確保してあるから、その時間はずらせません。原稿が遅れたとき、最後にどれだけスピードを上げられるかは、僕たち次第なんです。原稿が遅れて臨戦態勢のときは、まだ原稿が届いてないのに、「何時に作業できますか?」と聞かれたりしますから……。
おかざき みなさーん、締め切りは守りましょうね!(笑)
Ken太郎 実はそれが、製版にとっていちばん助かることかもしれません!(笑)
1章まとめ
・印刷は「網点でできている」という基本を押さえよう
・製版にとって扱いやすいデータは二値画像か、スクリーントーンの無いグレー画像
・印刷は「モノクロ二階調」、電子は「グレースケール」での入稿が理想