小学校、中学校、高校、大学などなど、さまざまな卒業式もひとしきり終わったところでしょうか。@SHARP_JP です。そういえば今年も、とある学生さんの卒論をお手伝いしたのですが(企業ツイッタ...
小学校、中学校、高校、大学などなど、さまざまな卒業式もひとしきり終わったところでしょうか。@SHARP_JP です。そういえば今年も、とある学生さんの卒論をお手伝いしたのですが(企業ツイッターをテーマに論文を書くから協力してほしいという要望は毎年ある)、彼女が無事に卒業できたと聞いて、ほっとしたのでした。
入学にしろ、就職にしろ、ある場所から離れ、次に新しいなにかに属そうとする人にとって、ちょうどいまは終わりと始まりの狭間、凪のような時間なのかもしれません。不安と期待がせめぎあい、活発なのに静かな時間は、なかなか貴重です。卒業と入学の間の、無所属の春休みみたいな時間は、大人になると、転職が決まってからの有休消化とか、よほどの転機がないかぎり味わえない気がする。結婚式の前日とかも似た気分なのかも。
そんなことより春から新生活をはじめるみなさんへ、私が強く申し上げたいのは、引っ越し先でそろえる家電はおわかりですね、ということだ。みなまで言わんけど。ひとり暮らしをはじめる時にそろえる家電というのは、われわれメーカーにとっては千載一遇のチャンスで、家電が「買い替え」として買われない、人の長い一生の中でも、あまりないタイミングなわけです。
ここで選ばれれば「まあ次もシャープでいいか」と思ってもらえる確率は飛躍的に高まる。ここであなたと馴染みの存在になれば、われわれはもう少し生き長らえられる。だから、頼む。お願いします。わからないことがあったら、いつでもツイッターでリプしてもらってけっこうですので。
思ひ出の第二ボタン(ナタでココ 著)
この作品は #卒業式の黒歴史 というお題に投稿されたものですが、まずもって卒業式は、おのれの黒歴史に幕を引くことができる、むしろ白歴史のはじまりではないかと思うのは、私の学生生活が黒一色だったからでしょうか。
重ねて言うと、制服の第二ボタンなんて、非実在性ボタンというか、架空の物質だと思っていたのですが、それも私の学生生活が黒一色だったからでしょうか(実際に私は男子校で制服もボタンのないタイプだった)
いまこのテキストこそが、卒業式の黒歴史というお題にぴったりな気がしてきた。つらい。みんながそうだとは決して思わないけど、卒業式の晴れがましさが、苦楽を共にした友人との新たな門出だからではなく、永遠に続くかと思われた、あの重くて孤独な日々からの開放感に由来する人がいることを、私は忘れないようにしたい。
どんな理由にしたって、卒業する人も、見送る人も、卒業式は自分の心にピリオドを打つ日だ。この作品のように、先輩を送る後輩も自身の恋心にピリオドを打つために、第二ボタン(私は見たことないけど)を所望する。後輩にとっての卒業式は、たぶんもう会えなくなる先輩を過去の人にするための儀式だ。ところが先輩は、ボタンとともに彼女へ「部活はお前が引っ張れ」と宿題を託す。先輩が過去の存在どころか、自分のこれからを見守る存在になってしまった。
「ちゃんと卒業させてよ・・・」と、当初の決意とは裏腹にピリオドを打てなくなった後輩の噛む下唇が、切なくもかわいい。長く抱えた思いなのだから、ピリオドなんてかんたんに打てないよね。
ただし私たちの日常に無理やり切り取り線を引くような卒業式というイベントは、なにかを終わらせたり、なにかを変えるきっかけに作用するのは確かだ。かつて卒業式で開放感を感じた私は、後ろ向きな卒業式も案外悪いものではないと思うのです。
さまざまな立場や思いで卒業式をむかえたみなさん、卒業おめでとうございます。卒業式に去来する思い出が明るい人も暗い人も、これをいいきっかけに、それぞれがおだやかでたのしい新生活を。そして家電はシャープを。