ときどき、若い人から「好きなものも、やりたいこともないんです。どうすれば見つかるんでしょうか」という相談を受けることがあります。
情報流通革命が起こり、個々人に発信能力が備わったことによって、「何かを好きでいること」、「やりたいことがあること」の価値が高騰している現代ならではの悩みだよなぁ…とおもいます。
手元のデバイスで数タップするだけで、国会図書館の数千倍、数万倍の情報にいつでもどこでもアクセスできるようになって、多くの人は(その膨大な情報の海の中で)「好きなもの」や「やりたいこと」を見つけることが難しくなっているし、また、だからこそ自分の心を許した誰かの「好き」、「やりたい」の価値が途方もなく上がっているのでしょう。
そのいっぽうで、興味のあることを見つけて、それが自分のなかで「好き」にまでなるには、ある程度自分で骨を折って探して、試して、そこからまた時間やお金をかけて育む必要があります。
もちろん世の中には「好きなもの? そんなの自然に湧き出てきたよ」という人もいます。けれど待てど暮らせど湧き出てこない人だってたくさんいます。
特にいまの若い人には、「好き」を育む時間もお金もない人が多い。
先日、「それって、若い人自身の問題というよりは、(若い人からお金や時間を奪っていたり、豊かだった自分たちの若い頃と同じルールを強いようとしたり、そういう社会を作り上げて今まさに担っている)年寄り側の問題でもあるよなぁ…」なんていう話をしていたら、「あなた自身はどうやって好きなものや、やりたいことを見つけたんですか?」と聞かれました。
あー…わたしの、好きなものや、やりたいこと…。
そういう話を、切実そうな若い人から聞かれるたびに、頭の中にパーっと走馬灯のように学生だった頃や新入社員だった頃の、まだ何者でもなかった自分、何者にかはなれるはずだという根拠のない確信だけがある自分、そんな確信がないとバキバキに折れてしまう、大胆なんだか繊細なんだかわからない心を抱えた「あの頃の自分」の姿が流れてゆきます。
今日はそんな、やや恥ずかしいお話を、よりにもよってSNS界を代表するイケメンライター、カツセマサヒコさんから依頼された原稿で書くことになりました。
皆さんこんにちは。
たられば、と申します。Twitterで「tarareba722」というアカウント名で、編集者と名乗って日々呟いております。
今日はカツセさんに頼まれて、若かった頃の話と、今の若い人に向けてなにか、を書いてみようとおもいます。
文:たられば 写真:Adobe Stock
何も持っていなかったので、何もかもを欲しがっていた
今回原稿を書くにあたっていくつか「お題」をいただいたのですが、その中のひとつに「はじめての一人暮らし」がありました。
わたしがはじめてアパートを借りて住んだのは、中央線沿いの「高円寺」という街でした。
ねじめ正一さんが小説の舞台にし、鴻上尚史さんが交通事故で亡くなった友人の話をその彼女に伝え、みうらじゅんさんが糸井重里さんに「ここに住んでいるとブレイクしない」と言われたときに住んでいた街です。
当時築35年、日当たり最悪、ユニットバス、北口から徒歩8分、家賃6万5000円。ダンボール6個と家電製品、本棚とフライパン、オクトパスアーミーで買ったパーカーと自意識を山盛りに詰め込んで住んでいました。
一人暮らしを始めてまず感動したのは、いちいちエロ本を隠さなくてもよいことでした。それから休みの日は何時まででも寝ていられること。漫画喫茶でうっかり朝まで過ごしても自分以外の誰にも言い訳しなくていいこと。「故郷」ができること。カーテンがないと部屋が死ぬほど寒くなること。洗濯物を部屋干しすると加湿器代わりになってよいけど、乾きが悪いとシャツが臭くなること、一度つくとその臭いはどうやっても取れないこと。ほうれん草を炒めるのにバターがないからといってマーガリンは使えないこと。ユニットバスの隅にできる赤い模様はカビで、めちゃくちゃ落ちにくいこと。カンパリは瓶で買ってもたいてい飲みきれないこと。炊飯器に御飯を残したまま放置すると(主に勇気の問題で)炊飯器ごと捨てるしかなくなること。「カレーを作りすぎたので食べに来ないか」と誘うと案外警戒心なく来てくれること。そんな日は夕食後に牛乳を飲まないとキスがカレー味になること。「誰かが居た部屋」から「誰か」が居なくなると、「誰も居なかった部屋」よりずっとずっと寂しくなること。
そんなひとつひとつに感動していた時期はすぐに日常に飲み込まれて、やがて「このままこんな生活していていいんだろうか」という罪悪感に似た焦燥感が頭をもたげてきました。
学校へ行って、近所の中華料理屋でバイトして、帰って『ぷよぷよ』やって、寝て、起きて、『Tomorrow never knows』聴いて、また学校へ行って。
「わたしはもっとすごい人間だったはずじゃないか」、「だってわたしなんだぜ」、「こんなに深く悩んでるんだ」、「なのになんでいつも生活はカツカツなんだ?」と、漏れ出る自意識に世の中からの評価や預金残高がまったくついていかない状況でした。
そんなときは、庚申通りにある「DORAMA」というレンタル屋で『ベルリン天使の詩』を借りて、駅前の都丸書店のワゴンセールで新潮文庫版『武蔵野』(国木田独歩著)を買い、中通り商店街の奥にある「抱瓶」へ行って、ちびちびとオリオンビールを飲みながら、背中越しに聞こえてくる「おれがB`zの音楽を許せないのはさぁ…!」とか、「モードの最先端に立つってことは、誰からも理解されないってことで、それをTKはさ…!」と、泥酔しながらB`zやTKに説教するバンドマンの声を聞きながら、「そうだ、いま第一線で活躍しているあいつも、あいつも、どうってことないんだ…」と流れ弾で溜飲を下げたり、「とはいえこういう飲み屋で仲間にそういう話を垂れ流すのってロクなもんじゃないよなぁ…」、「おれ? おれはもっとマシだよ、マシな人間なんだ、だってカバンの中には『ベルリン天使の詩』と独歩が入ってるんだぜ」と、どこから目線なんだお前はというねじくれた自意識を煮詰めていました。
あぁ、なんという俗物。
まだ何もしておらず、何も持っていないからこそ、何もかも見下していました。
若い頃の自分を思い出すと、まず「戻りたくないなぁ…」という気持ちが浮かんできます。
端的に言って、あの頃のわたしはクズでした。
いや、より正確に言うと、若かった頃は、自分のクズさ具合やめんどくささを表出したまま周囲に受け入れてほしがる、わがままな人間でした。
その「わがままさ」は、ほぼそのまま「いびつさ」と言えるでしょう。
たいていの人は心に「いびつさ」を抱えていて、若い頃は特に、その「いびつさ」こそが「自分らしさ」だと思っていたりします。たちの悪いことにわたしの場合、だからこそ「それを曲げたり直したり隠したりしてはいけない」と思っていました。むしろ積極的に「それ」を見せることが誠意だとさえおもっていた。
けど実際には、「生まれ持って備わっている程度のいびつさ」なんて誰だって大なり小なり抱えているし、その程度の「いびつさ」は、とりたてて何か新しいものを生み出せるキッカケになるものでもなかった。
あの頃のわたしは、そんな簡単なことさえわかっていなかった。
クズでわがままで、そのうえバカでした。もうしわけない。
「精神と時の部屋」はこの時代の稀有な生存戦略
それでも、わたしについていえば、そうした「バカさ」をグツグツ煮込むことになった一人暮らしを、経験してよかったとおもっています。
というのは、一人暮らしをしたことによって、「自分に向き合う時間」が山ほど、本当に自家中毒になるほどできたからです。
「いびつさ」は、近くに隠す相手がいないと加速します。簡単に言えば、孤独はバカを加速させる。
それでもそんなバカさ加減に向き合わないと、はじまらない。そうおもうのです。
一人きりの部屋で、一人で食事して、一人で寝起きしていると、否応なく自分と向き合うことになります。ひとつまみの「焦燥感」を抱えながら、なにひとつアウトプットしない(できない)時間を一定以上すごす。そういう時間が大切なんじゃないか。
本当にラッキーなことに、わたしが若かった当時はSNSがなかったから、簡単にそういう時間が手に入れられました。今ではそういう時間はさらに貴重になっています。
(もっといえば、当時のバカさ加減をワールドワイドウェブに喧伝することができずに済んだわけで、いやぁ、命拾いしました)
じゃあ今の若い人が「自分と向き合う」ためにはどうすればいいのか。
わたしは「本を読むのがいいんじゃないか」とおもっています。
発信デバイスを持たない紙の本を読む行為は、今や「瞑想」や「座禅」に近い儀式になってきていると感じます。
インターネットの普及はわたしたちから「孤独でいる機会」を奪いましたが、紙の本を開けばいつでも、「精神と時の部屋」のような、自分と向き合う時間は作れるとおもうのです(これはわたしが「文字族の人間」だからだともおもいます。たとえば「映像族の人間」は映画館に行けばよいし、「料理族の人間」はひたすら料理をしていれば、自分と向き合えるのではないでしょうか)。
『星の王子さま』(サン=テグジュペリ著)に、「きみがそのバラを大切におもうのは、きみがそのバラに長い時間をかけたからだよ」という台詞があります。
愛情は、ある程度以上「かけた時間」に比例する。
「自分に向き合う時間」を長く確保すれば、そのぶん自分についての言葉が磨かれるはずです。そうして「自分についての言葉」と向き合い続ければ、その言葉に対する愛着もわく。
わたしはけっこう本気で、こういう「自分と向き合って磨いた言葉をいくつ持っているか」が、この情報爆発の時代に個々人が持てる、かけがえのない生存戦略なのだと信じています。
それはいつか、「好き」が見つからないと嘆くことになった人が、「好き」を見つけたときに、その「好き」を静かに広く伝えるほとんど唯一の武器になるだろうとおもうのです。
少なくともわたしはあそこで、あの薄暗いアパートで、自分の好きなものややりたいことを、ぼんやりとですが見つめる時間がありました。
何度試してもここにたどり着く人生への処方箋
少し話を戻します。
ときどき、「あの頃の自分」を思い出して、恥ずかしくて切腹したくなることがあります。恥ずかしくて辛くて、もっと勉強なり遊びなり、やっておけばよかったことがたくさんあったんじゃないかと、自分で自分を往復ビンタしたくなります。
けれどいっぽうで、もしもう一度チャンスをもらってやり直しても、やっぱりわたしは、あの高円寺の薄暗いアパートで、学校へ行って、バイトして、帰って『ぷよぷよ』やって、寝て、起きて、『Tomorrow never knows』聴いて、また学校へ行く生活を送るんだろうなぁ…という予感もあります。
だとしたら、問題なのは「あの頃の自分」ではなくて、「いまあの頃の自分を振り返っている今の自分」じゃないか。
少なくとも、「あの頃、あんな生活を送っていなければ…」と思い続けているよりは、いまの仕事を頑張って、生活を豊かにして楽しそうに人生を歩んで、「いやーあの頃も楽しかったですけど、いまのほうが楽しいです」なんて言えるようになったほうがいい。
過去を受け入れるって、そういうことだよなとおもいます。
『嫌われる勇気』(岸見一郎、古賀史健著)という本に、あ、これはいい作品なので若い人は特に読んだほうがいいとおもうのですが、「人生とは連続する刹那である」という章があります。
「(過去にあったなんらかの)原因」にとらわれて生きるよりも、「(それを解釈する主体である)今を真剣に生きましょう」という内容が書かれています。
じゃあ「真剣に生きる」にはどうすればいいか。
それはたとえば、目の前の仕事に手をつけるってことなのでしょう。
わたしで言えば、書くべき文章を書いて、見せるべき人に見せる。
1文字書くごとに、「自分は本気を出せば、すばらしい文章を書ける、という可能性」が減ってゆきます。書かないままでいれば浸れていた甘い幻想に抗って、少しずつ自分の可能性を減らして、代わりに「いまの自分」をひとかけらずつ引き受けてゆく。
しんどいですよねぇ。
こんなしんどいこと、年寄りがみんなやっているかというと、全然そんなことはなくて、たいていはだましだまし、ちょっとずつ妥協してなんとか自分と人生に折り合いをつけているんだとおもいます。
だからこそ、そういう「しんどさ」を引き受ける準備を整えたほうがいい。
まずは温かいものを食べて、無条件に自分を愛してくれる存在とともに生きることを目指す。そういう方向に顔を向けていたい。
つまり、近所においしいチャーシュー麺を出してくれるお店を見つけておくのと、犬を飼うのがいいんじゃないかと、わりと真剣に人にも薦めています。
そうやって時間とお金を稼いでいると、そのうち好きなことや、やりたいことも見つかるんじゃないかな、と。そうおもうのです。はい。
(転載版における追記/本稿はもともと、カツセマサヒコさんの依頼で「MOOOM」というマイナビ賃貸の運営するメディアサイトに掲載されるために書いた原稿でした。そのサイトが(よいサイトだったのですが)2019年9月30日をもって閉鎖したため、こちらへ転載した次第です。転載に際しいくつか修正しております。ご容赦を)
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