
恋愛モノのラストとして心中はバッドエンドに見えるかもしれないが、圧倒的なハッピーエンドだと思う。
文字通り死ぬほど愛し合っていることを行動で示すあたりもそうだが、一番重要なのはそこではない。
最高の状態で死んでしまえば、その後で悲しい方向に進む可能性が絶たれるからだ。
そういう意味で、心中はハッピーエンドを最も分かりやすく表した展開になる。
そこまで極端でなくとも、多くの主人公たちは「物語」の枠の中で、苦しみへの答えを得てハッピーエンドになる。
だが僕たち読者は、終わりを持つ主人公たちと違い生き続けなければならない。
今ある幸せをどの程度継続させられるのか怯えながら、また今まで得てきた苦しみを抱え続けなければならない。
そんな辛さを持つ人間にとって救いとなる物語のひとつに、森泉岳土さんの『セリー』がある。
(https://bookwalker.jp/deaf1a2ff9-2690-489d-9285-18046621541c/ 試し読みができます)
これは、人類が滅亡した世界で生きる2人の物語だ。
主人公は人間の男で、女性の見た目をしたアンドロイド「セリー」と暮らしている。
住んでいる家は大きく安全で、主人公たちに必要な食料も充電も当分は持つ。
だが、それでも当然限度はある。
緩やかに死までのタイムリミットが近づくのを感じながら、2人は本を読み続ける。
ネタバレのためこの後は省略する。(でも正直ほぼネタバレになるので、嫌な人は今すぐ購入して読んでから進んで下さい)
言えるのは、心中が「バッドエンドみたいなハッピーエンド」だとしたら、『セリー』は「ハッピーエンドみたいなバッドエンド」ということだ。
悲劇に対して直接的なオチを得られないまま生き続ける、「物語」の枠を持たない生きた人間のための救いだ。
先日、コルクラボマンガ専科の懇親会で、ネームタンクのごとう隼平さんとお話しさせていただいた。
作品に対して感動するのはどのようなときかお聞きしたところ、
「主人公はこれからも悲しみを抱えて生き続けていくんだな」と感じたとき
と仰った。
このときは『ローマの休日』が例に出されていたが、僕には『セリー』の魅力が一言で表されたように感じられた。
キャラクターたちは「物語」による終わりを持っているが、逆にその中で救われなければ、基本的に以降もずっと同じ苦しみを持ち続けるものとして読者の記憶に残る。
読者は苦しみを持ちながらも、その後続く人生で救われるかもしれないという点において希望がある。
未解決の悲劇を持って生き続けるキャラクターのお陰で、終わりを持たない自分のことが少しだけ幸せに感じられる。

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