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  • マンガ

アナザー・ワールド(5話まで公開/8話で完結)

5日前
 
名前に「時」と「空」を1文字ずつ持つ兄弟。時空を移動する能力を持ち、さらに、移動先の光と闇のエネルギーバランスを整える力を持つ。まずは自分の中に光を、闇の中に光を広げていく感覚で、それを自分の体の外に、部屋いっぱいに、さらにビルの外へ…このシーンがとても好きだ。暗い気持ちに沈みがちな日、これを読むと、内から光を出せそうな気持ちがしてくる。 弟が6歳の時に、自分の過失で見失い、以降12年も離れて暮らさなければならなかった。やっと弟を取り戻し、まだ3か月。弟が心配で気が気ではない兄の気持ちはとてもよくわかる。でも、この心配が、弟を縛る、自立を妨げる。 兄は、別時空に飛んでしまった弟をまるで6歳から成長していないかのように扱う。12年間をブランクのように。でも考えたら、弟は弟でその間生きて経験を積んでいたのだ。12年前から時が止まっていたのは兄のほうだった。 「自分の弱さを見つめることで、今まで見えなかったものが見えてくる」 弟を失った恐さ・悲しさにとらわれ、自分を許せないままだったことを兄は受け止める。そこから、別々に生きていた間に変わったいまの弟をちゃんと見ようとしはじめる。これは、いろんな事情から、たとえば入院などの事情から、離れて生きざるをえず、時を経てまた一緒に暮らし始めた家族にも言える。いまの相手をそのままに見ることの難しさ。どうしても過去にとらわれ一緒にいたこりの面影を拾う。兄の感情に共感しているうちに、思わぬ大事なことを教えられた。久々に会う家族は、自分の弱さを投影することなく、ありのままに見つめたいと思う。

吸血鬼の船 一気読み版(34p)

5日前
 
すごく恐い。しびれるほどに恐い想いがずーっと最後まで薄れることがなく、でも、だからこそ、脱出を心底希求して、最後まで一気に読み通した。いい意味の予想を裏切る展開、これどうなると固唾を飲んで読み進めると、そう来たか!とまたさらなる予想を裏切る展開で、引き込まれて、でもずーっと恐くて、そして、面白かった! 船から出られた時は、安堵と解放で、やっと息がつける感じで、最後まで集中が途切れることがなかった。 現実にはありえない物語に、なぜこれほどのリアリティを感じて、感情移入したんだろう、私は、と考えたときに、 奴隷と吸血鬼=搾取される人間と搾取する人間 フックションは時々現実が混ざってるから怖い  この構図って現実にあるよなあ。興味深かったのは、奴隷であるのにもかかわらずエレンが意外に船の中では主導権を持っているところ。最高級の血を持っているから、それが欲しい吸血鬼たちはエレンに一目置かざるを得ない。と言っても血を搾取され続けるエレンの命はあと一年持つかどうか、やっぱり、奴隷は奴隷。こういう構図って、現実の人間界にもある。搾取される側の生み出すものが魅力的すぎて、雇い主さえ頭が上がらない。その関係性に、搾取側は一時の居心地のよさや、主導権を手にしたような気になるけれど、それでも結局は、主導権は搾取する側にしかない。そんな美味しい血を提供してはいけないのかも、だってサバイバルの鍵を握った聖なる血は、飼い主にとっては死ぬほどまずい血だったのだから。  閉鎖された船という空間で、吸血鬼と奴隷の世界に、現実の社会の構図が時々重なって見える。そこもこの作品の、もうひとつの恐いところ。たまらない魅力。

貴方宛、私からのエール(全ページ)

5日前
 
森王雅(もりおうが)と本鈴亮介(もとすずりょうすけ)、現実に顔を合わせることは一切ない、でも宿命的な出逢い。共通点は、めったに聴いている人のいない、サブスクにもない、知る人ぞ知るあるアーティストの音楽が好きなこと。2人ともCDも全部持っていて、何も知らずにどこかで顔を合わしていたら、さぞ心が通っただろう、と思うと切ない。いま、たとえ王雅が会おうとしても、亮介は引きこもってしまっていて決して会うことは叶わない。そんな、物言わぬ亮介の存在が、間接的にじわじわと、王雅を揺さぶり、変えていくところが私にはとても面白かった。 王雅は生まれながらにして体格にも身体能力にも恵まれ、そのうえで、人一倍努力もしている。だから1年生なのについつい態度もデカくなる。そんな王雅にとっての唯一の挫折は、野球部をやめたこと。実力も努力も先輩にひけをとらない王雅にとって、いまどき「年功序列」の野球部は理不尽以外の何物でもなかった。 一方、マンガには登場しない亮介は、生まれながらに運動神経が残念、万年補欠で、でも毎日一人で朝練を続けた人一倍努力家。見かねた監督に最後の予選に出してもらうも、亮介のせいで逆転負けし、部員に責められ不登校に。この一件以降、野球部は、「3年生だけで均等に試合メンバーを組む」ようになった。そこに1年生として入ってきた王雅が、実力も努力もあるのに試合に出られない理不尽をこうむるはめになったというわけだ。 努力だけではどうにもならない世界、それでも、才能があるうえに努力を続ける凛(亮介の妹)の姿に、王雅は自分の傲慢さを知る。 王雅の傲慢さが割れていく過程が素晴らしい。 実力があっても評価されない、努力は報われない、世界は理不尽、私は傲慢。だからこそ、さあ、もう一度頑張ろう! ラストにそんな光が射した。

おまえとバディが組みたい 全34ページ

5日前
  +1
不正を許さないシャグラン、不正なメーカーのノートなら、たとえ全部書き換えてでも絶対に使わない。そんなシャグランに、サディクは、たとえ幼い子どもたちのためだとしても、不正に食べ物を取ってきたことを言えるわけがない。けど、それではバディを組めない。バディ届を出さなければこの社会での信頼もない、しかし、それには、不正をしてきた過去をシャグランに言わなければならない。ここをどうブレイクスルーするのか、が読んでいて面白かった。 正直に言えないサディクと、まわりがドン引きしても自己に正直にありつづけるシャグラン。そのシャグランの「自己満足で生きる」という生き方に、サディクの心が動く。サディクがすべきことは、シャグランへの告白ではなく、自分で自分への告白。「自分はかつて不正をしました。それは悪いことです。自分で思い返しても自分が嫌です。だから自分は自分を好きになるためにこうします」と、自分自身に告白して、それを実行して、自分を許せるようにすることだった。 人と一生の信頼関係を結ぶには、まず自分との信頼から。自分とバディを組むために、のりこえてそこまで自分に正直になってくれたサディクのことが、シャグランも誇らしいだろうなあ。結婚前のカップルにも読んでほしいなあ。

ほっこりたっくん

5日前
 
たっくんの気持ちがすごく伝わってきて、ちょっと泣きそうになった。たっくんの気持ちはよくわかる。あそこでもし、おばさんに、「もりがソフトを盗んだ」と言えば、おばさんは悲しむだろう。たぶん、おばさん自身に何を言われる以上に、もりが人のものを盗んだという事実に傷つき苦しみ、もりに対する憤りと不憫と、自分のふがいなさと、そして、たっくんたちに物凄く謝るだろう。その後、おばさんが銭湯にきても、おたがいに顔には出さなくても気まずく、もとのように無邪気に癒されあうようにはならない。 「おばさんを悲しませたくない。」 とっさの判断で、だいじなだいじなソフトを、きっと楽しみに待ってやっと手にいれた、今やりたくてたまらないソフトを、よくぞ、たっくんは貸してあげたなあ。もりを憐れんでの行為ではなかったところが素敵だ。たっくんは、もりには厳しく言ってたもんなあ。  たっくんの優しい機転がなかったら、あのあと、おばさんともりはいたたまれなかっただろう。でも、たっくんの掛け値なしの優しさにふれて、救いがあったと思う。たっくんのおばさんへの想いを、何も言わずにわかってくれるヒロもいいね。ふたりでお風呂で温まってね。さいごまでほっこり。この作品の心のように、たっくんの笑顔がいい、希望だ!

最終回~ラップバトル編~

5日前

推し友Forever

5日前
  +1
冒頭から、わかりみが味わい深すぎて、わかる・わかる!の連発で読んだ。一度でも何かを推した経験のある人なら共感の連発だろう。なんか読んでるこっちまですごい罪悪感、いい意味で、ぞわぞわする、まきこまれる。 「私、自分にまで嘘をついてた…。本当は優花里さんに気持ちを言えないのが耐えきれなかったんだ」 主人公の心が動くところ、いい! 想いが伝わってくる、心の変化が手に取るよう、このあとの展開がしっくりストーンと腑に落ちる。推し活の落とし穴は、熱にうかされ自分の本当の想い見誤った時。純加(すみか)が、優花里(ゆかり)への本当の想いに気づくこのシーンが美しい。優花里は、純加にとって、推し活抜きで大切な人だったのだ。  今回の題材になっている「推し変」を始め、「担降り」「他界」韓流の「ペン卒」などによって、人間関係が変わる。それは、SNSで推し活専用のアカウントしか持っていない人にとって、居場所を失うくらいの死活問題だ。「娘と一緒に推し活していたが、娘だけペン卒してしまった」という親御さんもいる。また、2022年にはBTSが7人での活動休止を表明し、日韓のみならず世界中のARMY(BTSファンダム)が、推し続ける人・ペン卒・他グルに推し変など分断され、一部の過激ファンにおいては、SNS上で、かつての推し友どうしが骨肉の争いを繰り広げることになった。 「推せなくなった時、推し友とのコミュニケーションをどうするか」 は、もはや社会問題だ。  推せなくなった時が友情の終わりか、それとも、推せなくなっても友達でいてねなのか。この作品は、答えはわりとシンプルなんじゃないか、と教えてくれる。「自分の想いに問いなさい」と。  優花里さん、いいなあ! こういう人いる。「推し活の品格」とでもいうんだろうか、広く豊かな心で、推しとそのファンダムをこよなく愛して、休止してもスキャンダルがあっても変わらず推し続ける人。推し活って、人間性でるよねー。2人の友情が続いてほんとうによかった!

ののかちゃん、いい子やめます。 全34p

5日前
 
めっちゃめちゃ面白かった!!!!! なんといっても豹変後の主人公「ののか」の言動。 母親に「たまには人の話聞けババア」ズドン! 彼氏に「気安く話しかけんなチビ短足」ズドーン! 友達に宿題「貸さねーよ。自分でやれば?」ズドドドドーン! まったく予想外の展開を目の当たりにした快感と、ののかを舐めまくった人へのやり返しの気味の良さ。でも本当の衝撃はここから、 「幸せを返したかった、こんな自分になりたくなかった。」 この「カタルシス砲」がいちばん効いた。ののかは、まわりの人に、復讐の「ののか砲」をブチ込みながら、自分の心にも1つ1つ大穴が空いていってたんだね。ものすごーく切ない。けど、その本心の吐露に、解放される。  どこで間違うんだろう。私たちは、まわりの人が愛おしくて、喜んでもらいたくて、ありがとうを言われたら舞い上がって、つぎは先回りして役に立とうとして、いつのまにかその「役に立つ」機能だけが便利に利用されていく。都合よく利用される人間と利用する人間の構図は、大なり小なりこの日常にあふれている。利用価値を否定すれば、つながりも立たれる、ではどうするか?  ただ純粋な「好き」な気持ちでつながる関係、迷走しまくったののかに、希望が射すラストに救われる。

光と闇鍋

5日前
 
人と人との距離のあり方を、丁寧に丁寧に、それぞれの尊厳を大切に、短絡的な問題解決もせず、美化もせず、試行錯誤の過程までを含めて、しっかりと描き出した作品。塩梅、思考の粘り、なかなかない素晴らしいチカラ。 「人と距離を取っていた方が安心できるなら、少し遠くから友達でいたらいい。それでも、瑠夏、笑って。笑ってよ」 もともと友達が少なかった内向的な瑠夏は、常に大勢の友達に囲まれて楽しくやるのは疲れてしまう。なぜなら、そうするためには、みんな相当の努力をしていて、自分はその努力が足りないと思い込んでいたからだ。ところが、そうではなかった。晴人は生まれながらの自然天然でたくさんの友達に好かれて毎日楽しくやっていただけなのだ。瑠夏は、そのことに衝撃を受けつつも、晴人は晴人、暗い自分は自分、と初めて認められて楽になる。 人間には「明るい・暗い」はあるけれど、「よい・悪い」は無い。 明るい晴人が明るいままに、暗い瑠夏が暗いままに、それぞれ尊重され距離を保って友達でいられたらいい…、って一見ここに置ちつきそうだけど、「それだけじゃ嫌だー」と言ってくれるのが、この作品にの素晴らしいところ。晴人は瑠夏に昔のように笑ってほしい。なにしろいまの瑠夏は瑠夏自身ツラそうだから。 ふたりがそれぞれの尊厳を保てる距離、でありつつ、ふたりが出逢ったからこその化学反応は起こす。この塩梅がかけがえなく素晴らしい。

エソラの真髄全ページ

5日前
 
いい話だなあ!  エソラがやっているのはアトマの討伐。だけど単に駆逐するというよりは、解放者(リベルタ)の名の通りアトマを浄化し解放すること。アトマ自身も「浄化されるのは悪くない、不思議と清々しい」とまで言っており、潜在的に浄化を望んでいるふしがある。 では、アトマは、どうすれば浄化されるのだろうか。それを解くキーワードは「守る」。子どもだった頃のレオナとランジは、「守る=防御する・援護する」くらいにしかとらえていなかった。だから隊長であり師匠であり母のようでもあるリリィのことを、あまり考えなしに守りにいく。だが、リリィが身をもって教えてくれた「守る」とは、自分の命を差し出しても誰かの命を生かすという、無償の愛とも言える行為だった。 レオナとランジを守ってリリィは死んでしまう。レオナの死を通して、「守る」はリリィからレオナに継承されていった。成長したレオナは、アトマに襲われた小さな女の子ダリダダと出会う。レオナが経験を通して「守る」を身に着けていったのに対して、ダリダダはナチュラルボーン「守る」というか、誰に教えられたわけでもなく、自分の命を差し出して母親を守る。アトマとは、負の感情・念・欲が具現化した超常怪物化現象。いわば怨念の怪物のようなものだ。 怨念は、自分の命を差し出しても誰かを守る無償の愛に勝てない。 無償の愛で浄化し、解放する。これがタイトルになっている「エソラの真髄」ではないかと私は思った。 その真髄を発揮できるリリィ、レオナ、ダリダダの3人は世代は違うが似ている。ラスト、生まれながらにしてリベルタの才能を持つダリダダが成長して加わり、エソラもさらにパワーアップした。すべてのアトマを浄化し、アトマから解放される日も近いかもしれない。

お前と友達になんてなりたくない!一気読み

5日前
 
はまったー! すっかり山茶花と感情の機微を共にして完走した。百瀬が県外に行くと知った時は、わがことのようにショックで、山茶花はまたひとりぼっちになってしまうのかと消沈したが、ラスト、二人がこれからも一緒で本当に嬉しかった。よかった! どうしてここまではまったのかと考えると、いちばんは、山茶花の孤独が深く描かれていたからだと思う。山茶花は多くを持っている。容姿も、身体能力も、才能も、魅力も、なのになんとひとりぼっちで寂しそうなんだろう、思わず守ってあげたくなる。確かに母親が冷たく、母の愛が得られないシーンは身につまされた。だが、それだけでなく、「あきらめんなよ」と百瀬の言うように、山茶花自身から手を差し出してうまく愛情を摂取しに行けなかったんだと思う。愛を摂取できない山茶花。自分からつかみに行けば、得られる愛はあったのではないか、百瀬だってずっと手を差し伸べていたのに、山茶花は拒否していたし、家族に対しても、傷つくのを恐れ心を閉ざしていた。だから、山茶花は愛に飢えて腹ペコペコ、そこが痛々しくて放っておけない魅力にもなっている。一方で百瀬は、恐れない。自分から愛をつかみにいくし、与える愛を持っている。期待して拒否されても決してあきらめない。だから、山茶花には百瀬の愛が必要不可欠だし、百瀬さえいてくれたら山茶花は大丈夫なのだ。 百瀬が県外に行って目の前にいない分、これからは、いつでも心の中でつながっていると山茶花は思えるだろう。だから、もう、山茶花は寂しくない。二人が幸せそうでほんとうにこちらまで幸せなラストだ。

「BONES DAWN」32p

5日前
 
すごい、はらわたを鷲掴みにされるような魅力と魔力に満ちた世界。 想像もしていなかった、ジジが祈りを捧げた神に食われるとは。その瞬間、私の中の何かも粉々にかみ砕かれたような気がした。さらに、養父の裏切り。ディストピアにも段々があるのだな。絶望にはそのまた下の絶望があり、闇にはさらにその下位層の闇があり、それでも地上と同じように民は愛を求め、家族を持ち、祈りを捧げ、神は地下にもいる。 ただ地上の価値観とは、あまりにも地下の秩序は違っている。ジジの純粋な祈りは、裏切られ、食い殺される。ジジを売ったのは養父。だけど、その祈りが、再下層のゴレムを水害から救う。 読み進むうちにいい意味で善も悪もわからなくなる。かき乱される。ただそれはデタラメではなく、闇の世界の秩序のようなものを感じる。説得力がある。読みながら自分が握りしめているわずかな光のようなものさえ、あと、ひと握りでひねり潰されそうになる、恐怖、その時、ミカとジジの愛が暗闇を切り裂くイナズマのように煌めく。 「愛だった、愛だった、愛だった。」 どうか、ミカとジジに愛し愛される未来をと、最後に祈るような気持ちになった。すごい世界観。ぜひペン入れしたところを見たい。すごく楽しみだ!

「魔法少女のむねのうち(仮」 全話まとめ

5日前
 
「お姉ちゃんだからに決まってんでしょうがああああああああ!!」のところ、感動したあ!  「ことり」は、幼い時から、頑張ってもうちょっとで認めてもらえるっていう時に、いつも妹の「ひな」がいいとこかっさらっていく。その一つ一つが積み重なって、ことりはいつしか承認欲求おばけになってしまった。その感情が一つ一つ伝わってきていたからこそ、ここで、ことりが吹っ切れたー!というカタルシスと、そんなお姉ちゃんがカッコイイのと両方で、ものすごく盛り上がった。 「お姉ちゃんだから」っていうセリフ、そこにこもった想いに、お姉ちゃんの立場からも妹の立場からも、両方からグッときた。ほかのどんなセリフ、たとえば、“ひなが大切だから”とか、“ひなを守るって決めたから”とかでは弱くて、「お姉ちゃんだから」は、お姉ちゃんにしか言えない、これ以上の説得力はないセリフだと思った。 だれに承認されずとも、誰が肯定してくれずとも、ことりが、姉としてこの世に存在した自分自身を引き受けて、全肯定した瞬間だった。根本に、妹への愛がある。ことりは、ここで、妹への愛を揺るぎないものにした。かっこいい!  いつのまにか応援せずにはいられない姉妹になっていた。この先も、ちいさな嫉妬や姉妹ゲンカを繰り返しながら、強い姉妹愛で地球を守っていってほしい。楽しみだ!

僕の好きなこと全32p【一気読み】

5日前
 
コメント1/2(1から見てください) 感動に水を差すかもしれないが、この作品は、中高生に道徳や倫理を考えてもらう教材としても優れていると私は思う。中学生や高校生の教室に、できれば、絵本にして置いて、ディスカッションしてほしい。 優太くんは大好きな走ることをこのまま続けてほしい。 おかあさんが、優太くんを応援する腹を決めたのも賛成。 では、自分にとっての「走る=勝つ」が達成できなくて泣いてる子は? 優太くんにとっていま「走る」を取ったら自分が自分ではなくなるように、「走る=勝つ」をアイデンティティとして、ずっと努力していままで勝ってきた子にとっては、これまた自分が自分でなくなるような理不尽。個人走ではなく「リレー」(=他者との関係性の中で走る)を選んでいることや、優太くんがゴールしたあと、きれいに感動一色にまとめず、「でも…ビリはビリだ」というセリフを入れたところもいい。教材という目で見ても、孕んでいる問題提起が素晴らしい。生徒は? 教師は? どうすべきかと考えていける。 好きなものに忠実であることに、もっともっと敬意を払いたい、他者に対しても、家族であっても、自分自身にも。「好きなものに忠実である勇気」を持とうと思えた感動作。

僕の好きなこと全32p【一気読み】

5日前
 
コメント1/2 「好きなものに忠実であること」について、こんなに考えさせられた作品は近年ない。母の想いは、とてもひと言では言い切れない「複雑」。その複雑な想いが複雑なままに伝わってきて、心揺さぶられた。 優太くんにとって「走る」とはなんだろう? 同じ走るという動作をしても、人によってやってることは全く違う。ある人は「勝負」勝たなきゃ意味がないと言い、ある人は自分の限界への「挑戦」人はどうでもいい自己記録を更新したいと言う、またあるマラソン選手は「哲学」だと言う。幼い優太くんは、走る意味を言語化できないし、きっと無自覚だが、「走ることに、人には見えない何かを見ている」。しかもそれは目先の1等賞などの結果ではない、走る行為自体が目的のようなものではないか、と私は思う。自分の心と体と思考が一つのまとまりをもって前に進む気持ちよさだったり、そのことによって自分の細胞や能力が覚醒していく感動かもしれない。恋に近い。「恋は、嫌いな人の親切よりも、好きな人の無理がよい」というが、優太くんにとって、走るために受ける苦痛は苦ではなくて、好きでもない特異なことで称賛されるより、楽しいことだ。 一方で、「どうしてもリレーに勝ちたい、勝たなきゃ意味がない」と頑張ってきたお友達の夢を破るカタチで、優太くんは走った。「自分が好きなものを追うことが人の迷惑になる」。だが、そうした軋轢も、優太くんにとっては、人間関係を学んだり、成長や自立へのチャンスになる。好きなことをやっていく過程では、苦労も、痛みも、自分が育つ機会になる。たとえ途中で挫折しても、そこまでに鍛錬して培ったものが、その後に生きないわけはない。「好き」って最強だ。 コメント2につづく