はじめまして!明(みん)と申します。
沖縄生まれ沖縄育ちの島人です。上京してだいぶたちますが、今も毎日沖縄と本土の違いを発見して、わくわくしています。
自己紹介を…とのことなので、何を語ろうと考えたのですが、やはり好きなものを語るのがよかろうと考えました。では、始めます。
好きなものは、山のようにあって、蟻んこから宇宙まで何でもかんでも関心を持ってしまうのですが、今日は大好きな『クレヨン王国』シリーズについて語りたいと思います。
ご存じの方もいらっしゃるかしら。いたら嬉しいな!と思うのですが、『クレヨン王国』とは、講談社青い鳥文庫から出ている、福永令三先生の児童書で、累計500万部以上のベストセラー作品です。
舞台はクレヨン王国。ここに迷い込んだ子ども(ときには大人)たちが、王国の住人たちとさまざまな冒険を繰り広げるとともに、成長していくとてもとても素敵なお話です。
最初に出会ったのは、シリーズ4作目の『クレヨン王国のパトロール隊長』でした。主人公ノブオは幼いころに母を亡くし、自分の不注意で、妹が事故にあい失明してしまうというつらい過去を持った子です。彼は、クラス担任の右田先生との折り合いが悪く、何かとぶつかり合っていました。ある夜、右田先生とのいがみ合いの結果、走り出してしまったノブオは、クレヨン王国に迷いこみます。そこでかれはパトロール隊長として冒険を繰り広げていくわけです。
このお話のあらゆるところで、何度も胸がギューッと押しつぶされるような感覚を味わいました。悲しすぎるエピソードや、怒りや憤りを感じるエピソードがたくさんあります。同時に心が救われる、癒されるエピソードもたくさんあって、今もつらいときや、何かを乗り越えたいときに、心の支えとなる私のバイブルです。
ノブオがクレヨン王国に迷い込むきっかけは、右田先生に「クレヨンをもってきたこと」を怒られたからでした。クレヨンを無理やり借りたクラスメイトが、クレヨンをなくして、けんかになったところを、「クレヨンを持ってきたお前が悪い」と叱られたからでした。でもそのクレヨンは、失明した妹が、お絵かきが大好きだった妹が、「赤い星は赤いクレヨンで描くといいよ」と持たせてくれたクレヨンでした。
ノブオの気持ちと分かり合えない右田先生の気持ちは、何度もぶつかり合います。ノブオがクレヨン王国でパトロール隊長として活躍する間も、右田先生のことが思い出されたり、右田先生にそっくりな人が現れたりしました。やがて、水の精と火の精との戦争に巻き込まれたノブオは、その中で、分かり合えない苦しさや悲しさをこれでもかというほど体験します。でもその中で、立ち上がっていきました。
この物語に初めて出会った中学生のころ、ノブオの体験が自分の今と重なり引き込まれていきました。ノブオが悲しいときには、一緒に悲しみ、苦しみ、でも彼が立ち向かっていくときに、勇気をもらいました。こんな風に強くなりたいと思いました。相手を許す気持ちや、大きなもの、恐ろしいものに立ち向かっていくノブオの姿は、私の目標です。
また『クレヨン王国』は、福永先生が描く自然の描写が、とてもとても素晴らしいお話です。熱海に居を構えていらっしゃった先生は、その自然をとても愛されていました。先生は、森や海、家の庭、街、あらゆる景色の中にある植物や動物、命の姿を鮮明に描かれています。
沖縄に生まれ育った私は、『クレヨン王国』を読んで、沖縄とは違う世界の描写にあこがれを抱きました。深い森や、しんしんと降る雪、春になると一斉に息づく命の色……沖縄にいた頃には、想像することしかできなかった景色を見ることができたことが、上京して一番うれしかったことです。
『クレヨン王国の赤とんぼ』というお話の中には、主人公の少女の家にはキンモクセイがありました。学校からの帰り道、角を曲がるとキンモクセイが茂る家が見える。それが目印。秋になるといい匂いがして……という景色が描かれています。沖縄にはキンモクセイがありませんから、私にとってキンモクセイは想像することしかできない木でした。
上京して、秋が来ます。キンモクセイの香りを楽しみにします。……………………………………………………………………………………が!
なんと、私はキンモクセイの香りがニガテだった!というオチが待っていました。吐き気を催してキンモクセイが香る季節は街に出るのが嫌になるほどニガテでした!まさか、あの憧れの木に、こんな悲しい結末が待っていようとは!
でもそれも、体験してみなければ知らないことで、物語の中であんなにあこがれたからこそ、新しい発見や喜び、落胆がこんなにも日々にあふれているのだと思うと、とても幸福な気持ちになります。
さて、文章も区切りがいい、そろそろ終わってもいいではないかと思われるでしょうが、いったん筆をとり、語りだしたら止まらないのだということを、今私自身が驚いております。いや楽しい。
『クレヨン王国』の最大の見どころは、ゆたかな「こども(ときには大人)たち」の描写だと思います。クラスの番長になるような男の子、何よりもおしゃれが優先な女の子、クラスの片隅で静かに座っているような子、我が強い子、踊りの上手な子、おすましさん、好奇心旺盛な子、いじめっ子、ありとあらゆる子が登場します。一人として同じ子はいません。でも、「ああ、いるいる、こういう子」と笑いたくなってしまうような子ばかりです。
些細なしぐさ、口癖一つとっても「ああ、いるいる」と思うと同時に、その子しかいない、そう思わせる先生の描写が、大好きです。
福永先生は、執筆の傍ら、長年個人塾を開かれて、多くの子供たちとかかわってきました。時には山に登ったり森に入ったりしながら、熱海の豊かな自然の中で、子供たちをはぐくんできました。登場する子供たちは、きっと先生の出会った子供たちなんだろうな、と想像します。同時に、先生がこどもたちにむける暖かなまなざし、大きな期待を感じます。
『クレヨン王国七つの森』というお話の中では、夏休みに合宿に来た7人の子供たちが、森の中で様々な冒険を繰り広げます。その物語の締めくくりに、引率した先生(これは著者の福永先生を投影した人物)が、クレヨン王国の景色を眺めて「何たる雄大、なんたる華麗、そうして、子どもたちへのなんという信頼だろう」と胸打たれるシーンがあります。
困難を乗り越えようとする子供たちの力、成長しようとする子供たちの力、そこに向けられた大きな大きな信頼――物語の中に描かれたその信頼は、福永先生が、実際に触れあった子供たちのなかに見出した信頼でした。そして同時に、先生の物語を読む子供たち(かつて子供だった大人たち)への信頼でもあります。だから、児童書にも関わらず、たくさんの困難や悲しみもこの『クレヨン王国』には描かれているし、難しい問題や、たくさん考えなければならないことも描かれています。先生は、子供たちには、それを理解し考えることができる力があると、信じ、読む私たちに託してくれました。
今私は、看護のお仕事で多くの子供たちと接する機会が多くあり、そのことを実感しています。同時に、福永先生が子供たちに向けたような温かさを、私も持てるようになりたいと思っています。そして、描きたいと。
徒然と書き綴って、長くなってしまいましたが、そんな物語を描くために、今こうして皆さんと肩を並べて学びたいと願っています。
何卒、よろしくお願いいたします。
明
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