『ちはやふる基金』カレンダー(『ちはやふる』45巻同梱版)発売記念インタビュー(後編)
注目末次由紀…2007年から「BE・LOVE」(講談社)で『ちはやふる』の連載を開始。2011年に同作品で第35回講談社漫画賞少女部門を受賞。2020年10月13日に『ちはやふる』最新45巻が発売予定。Twitter:@yuyu2000_0908
たられば…Twitterに生息する編集者、犬、平安朝文学、FGO、『ちはやふる』の大ファン。Twitter:@tarareba722
(「前編」はこちら)
■「みんな、この絵を見るときは17歳になって!」
たられば 今回発売前にカレンダーのイラストを見せていただいたのですが(全部すっげえ美しい!)「光」の表現が特にすばらしいと感じました。これは描いている時に意識されたのでしょうか。
末次由紀(以下、末次) 今回のカレンダー用のイラストは、「空気をきれいに描きたい」と思ったんです。
たられば く、空気…? 空気って、あの、私たちの周りにある空気のことですか。
末次 そうです。カラーだと特に、空気って描きにくいなと思っていて。
たられば そ、それはそうですよね、だって空気って見えないし……。
末次 『ちはやふる-結び-』(2018年、小泉徳宏監督)の撮影現場にお邪魔した時に、体育館の新入生勧誘シーンで、スタッフの皆さんが現場にうすいスモークを焚いていたんですね。そこにライトで光りを当てると、水蒸気やホコリに光が反射してキラキラと見えるんです。
たられば え…、あぁっ!!! な、なるほど!! たしかに!! 空気!!
末次 それを見た時に、「そうか、この手があったか、空気って作って見せればいいのか」と思って。
たられば 空気を! 作る!!
末次 あのシーンの映像、本当に美しいんです。柔らかい日差し、プリズムで光る世界、まさに「春を迎える」という状況をしっかり(視覚的演出で)見せているんです。これは映画の撮影現場では当たり前の話かもしれないんですが、見せたい絵を見せるために何重にも加工を重ねていて、そうか、空気って加工していいんだと、するべきなんだと。
たられば ああああ…わたくし『ちはやふる -結び-』のあの、全編を通した「光りに溢れているような照明技術(室内シーンでも窓の外はすべて光らせている演出)」が大好きで、「もしかしたら自分にも、17歳くらいの頃、世界が(こんなふうに)光り輝いて見えた時間があったかもしれない…」と思って見ていました。そうか…「光る空気」は、見えるようにすれば作れるし描けるのか……(うっかり仕事を忘れて早口になるオタクなわたし…反省)。
末次 そうなんです。春を迎える15歳には世界がああいうふうに光って見えていて、恋に落ちる瞬間ってこういう景色が見えるんだなってことですよね(『ちはやふる -結び-』の体育館のシーンは、花野菫(優希美青)が真島太一(野村周平)に一目惚れする場面でもある)。
http://chihayafuru-movie.com/#/boards/musubi
たられば ああああ…なるほど…。
末次 たとえば「子供が見ている世界」って、大人とまったく違うじゃないですか。目の前のあることに熱中すると、そこにものすごいスポットライトが当たっていて、ほかのものはまったく目に入らなくなったりする。それってたとえ同じものを見ていても、視界そのものが違うんですよね。わたしたちはそれぞれ別の視界を持っていて、バラバラの世界を見ている。けれど、イメージの世界はそれを近づけることはできるんだ…と。だからこの絵を見るときは、みんな17歳とか18歳になって! そのつもりで見て!! という気持ちで描きました。
たられば (すごい話すぎて鳥肌が止まらない…これ、「前編」で末次先生が仰っていた「魔法」の話だよな…)あの…『ちはやふる』という作品は、本当に、実写映画版やアニメ版(2011~2020年、浅香守生監督)もそれぞれ作品としての完成度がすごく高いだけでなく、お互いがお互いを高め合っている気がします…。
末次 本当にそうです! 「アニメの千早、なんて美人なんだろう!!」って思って。
https://www.ntv.co.jp/chihayafuru/
たられば そ…それは…たしかに…でも…先生の描く…千早も……かわいいです…。
末次 ありがとうございます! でもあんなに美人さんに描けてない!! アニメを見るたびに背筋が伸びる思いです。
■「世界でここにしかいない太一」と「わたしに告白する新」
たられば 今回制作されたカレンダーには、1枚1枚にそれぞれ和歌が添えられています。この和歌についても伺えますでしょうか。ここではとりあえず2首。まずは五月の、真島太一くんが描かれているシーン。添えられた和歌は、
「ほととぎす 鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる」後徳大寺左大臣
(【現代語訳】夏の始まりを告げるホトトギスの第一声を聴こうと夜通し待っていて、ついに鳴き声が聴こえた、と思って声のほうを向いたら、そこにホトトギスの姿はなく、ただ夜明けの(有明の)月が浮かんでいた)
です。なぜこの歌を選んだのでしょうか。
末次 これは、以前たらればさんが『ちはやふる -結び-』の感想を呟いてくださった時の印象もあって。
たられば おおお! あ…、ありがとうございます!! 光栄です!
https://twitter.com/tarareba722/status/981004492287066113?s=20
末次 ホトトギスは「時鳥」と書くように夏の訪れ(≒春の終わり)を告げる鳥で、それに「不如帰」とも書き「帰れないけれど帰りたい」と鳴く鳥でもあるんですよね。それに、歌にある「いた! と思って見たらいなかった」という、いるんだけどいない、大事なところでいない、逆にいないんだけどいる、みたいなところも太一っぽいなと。
たられば あぁぁ…たしかに…太一くん、勉強もできて運動もできてもちろんイケメンで学校では誰もが注目するキャラクターのはずなのに、千早の目にだけは映らないことがあるんですよね…なんと不憫な…。
末次 そんな太一とホトトギスが、公園でのんきに邂逅している絵が描きたくて。太一もホトトギスにすこしびっくりしているイメージです。「おまえ、いたんだ」って。「レアキャラで、あんまり見ないかもしれないけど、太一もホトトギスもここにいるからね!」と。そんな太一とホトトギスは、世界でここ(カレンダーの世界)にしかいないので、ぜひ見つけてあげてほしくて。
たられば あああ…尊すぎる話で死にそうです。そしてもう一首、十二月の、こちらは綿谷新くんのイラストと、それに添えられた歌です。
「心あてに 折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花」凡河内躬恒
(【現代語訳】今朝は初霜がおりていますね。もし手折(たお)るならば、当てずっぽうに折ってみましょうか、(霜で一面真っ白になっているので見分けがつかない)その美しい白菊の花を)
霜に白菊と、白に白を重ねた美しい歌です。なぜこの歌をお選びになったのでしょうか。
末次 この歌、美しいんですけど、でも凡河内躬恒さんだったらほかにもっといい歌があるのに、なぜ(藤原定家は小倉百人一首に)これを選んだの? と言われている歌なんですよね。
たられば たしかに。凡河内躬恒といえば『古今和歌集』入首数(紀貫之に次いで)2位の実力派歌人ですし、ほかにもっと技巧を凝らした評価の高い歌はたくさんありますね。
末次 いろいろと調べていたら、凡河内躬恒という人は、全般的にすごく評価が高いんです。「当意即妙の人格者だった」だとか、「吐く息が歌になった」と言われていて。それで、この歌は、そういうものすごく評価の高い人がふと詠んだ、素朴で身近な気持ちなんじゃないかなと思って。新が道に咲いていた白菊の花を摘んで、「これ、どうぞ」といって差し出すシーン。「この花を差し出されたのはわたしですよね」ってみんなに思ってほしくて。
たられば 「これ、どうぞ」! いま全国の「新(あらた)ファン」の雄叫びが聴こえた気がします。
末次 わたし『野菊の墓』(伊藤左千夫著)がすごく好きで、その中に「民さんは野菊のような人だ」という台詞があるんです。野菊と白菊の違いはあるんですけども、この、道に咲いている野菊を摘んで差し出すって、それもう告白ですよね。
青空文庫-『野菊の墓』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000058/files/647_20406.html
たられば 完全に告白です。「月がきれいですね」どころじゃない。
末次 そういうピュアなシーンで、なんの衒いもなく白菊を差し出す新を描いてみたくて。十二月は新の誕生日でもありますし(12月1日)。
たられば あの歌からイラストになって、初霜、吐く白い息、白菊と、白いものが3つ重なる情景を見事に表現してらっしゃいました。歌もイラストもとても美しいのですが、絵として白に白を重ねて表現するのは難しくはなかったですか。
末次 うーん、描く時は「福井の雪景色」を思い浮かべました。
たられば あああ…あの「白」は福井の雪の白だったのですか。そして末次先生は、やはり福井にも何度も取材で訪れているんですか。
末次 はい、何度行ってもいつも福井の皆さんはあたたかく迎えてくださって、わたし、福井に実家があるんじゃないかというくらい、よくしていただいています。そんな、親戚の皆さんに会いに行く気分で訪れている福井の雪景色をイメージしました。
■「うるせえよ! いまそれどころじゃないよ!!」と
たられば 最後の質問になります。いよいよ『ちはやふる』45巻が発売です。連載開始から12年かけて、ついに頂点であるクイーン戦と名人戦に主人公たちが辿り着きました。いま、どのような思いで描かれてらっしゃいますか。
末次 わたし、話を考える時にいつも、キャラクターたちに「どんな気持ち?」と(頭の中で)インタビューするんですが、いまはみんな「それどころじゃない!」と答えてくれなくなりました…。
たられば た、たしかに、主要キャラはみんな、いまそれどころじゃないですしね(笑)。
末次 勝負している4人は特に、「うるせえよ! いまいっぱいいっぱいなんだよ!!」と。
たられば これ以上ないほど、いっぱいいっぱいだと思います。
末次 なので、周りのキャラクターたちにマイクを向けています。「どんな気持ちで見ていますか」と。
たられば なるほど、その手が。
末次 その気持ちは嫉妬なの? 羨望なの? 支えたいの?? と聞いて回ってます。ただ、それでも勝負は進んでいくので、いつか終わっちゃうじゃないですか。だから「描けるのは今しかない」と思うと、みんなの気持ちを描いてあげたくて。でも全員の気持ちは描けなくて。
たられば そ、そんな無念な気持ちが。これは読者の皆さんが一番知りたいことだと思うので、答えるのが難しいのを承知で伺うのですが、先生の中ではもう「この勝負」の結末は決まっているんでしょうか。
末次 決まってません。「これ、どっちが勝つんだろう」と思って描いています。
たられば おおおお、ま、まだ決まっていない。小説やマンガではよく「ラストシーンは浮かんでいて、そこに向けて書いて(描いて)いる」という話がありますが、ではラストシーンもまだ決めてらっしゃらないのですか。
末次 あ、ラストは浮かんでいます。
たられば おおお!(興奮しすぎて足をバタバタさせています)
末次 ラストシーンは浮かんでいるんですが、その前の勝敗はまだ決まっていないという。
たられば おおおおおおああ!(バタバタバタ!!)
末次 「どんな勝敗になってもこのラストシーンを描きたい」という場面はあるんですけども、そこまでどうやってみんな(登場キャラたち)を連れて行くか…。世界一周させてその目的地まで行くつもりが、三周くらいすることになっちゃって。それはもうありがたい、とてもしあわせなことなんですが、どうやって辿り着かせるか。キャラクターたちに「こんな旅の終わりは許せねえ」と言われないよう、無人島に着いちゃって「こんなところでおろすなよ!」と言われないようがんばります。
たられば 世界を三周…。これまでの44巻ぶんの伏線がいろんなところで爆発しているような状況ですよね。
末次 もう新たな伏線を張る段階ではないので、これまで張ってきたものを、どういう順番で出すか、それぞれの持っているものをどう見せるか、という段階だと思っています。
たられば 45巻に収録される話の中では、個人的に(専任読手の)九頭竜葉子さんの話がめちゃくちゃグッときました。
末次 九頭竜さんの話はどこかで描こうとずっと思っていました。7人いる専任読手うちの一人で、新と詩暢というとっても強い二人に対して、千早と周防さん、しっかり準備してきた二人に、その準備によって風が吹いてくるための存在として鍵になってほしくて。
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■七文字を2回重ねて、「繰り返しを愛せ」と
たられば 『ちはやふる』といえば、主要キャラクターだけでなく周囲の人物、手伝ってくれる人や支えてくれる人にもスポットライトがあたる…という特徴があると思っています。これは連載当初から意識していたことなのでしょうか。
末次 いえいえいえ、わたしこれまでは、(作品のなかで)4人くらいの人間関係を回すので精一杯だったんですね。それが、皆さんの応援があってこの作品を長く続けさせていただいたおかげで、少しずつ鍛えられて周囲の人たちにも話を広げられるようになってきました。いろんな人にいろんな想いがあるんだ、というところを描けることがとても嬉しいです。
たられば そうかー…長く続けることができれば、キャラクターを掘り下げることができ、物語にも深みを出すことができて、なによりそれを支える作者の力量が増してくると。
末次 それで、わたし「難波津の歌」が好きなんです。
たられば ほ、ほほう! 序歌ですか!! カレンダーの1月のイラストに入っている。
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花」王仁
(【現代語訳】難波津(古代大阪湾にあった港)に花が咲いたよ、冬の間ずっと籠もっていた花が、「さあ春が来たよ」と咲いているよ)
末次 この歌って「手習いの歌」と言われていて、誰もが最初に覚える歌じゃないですか。そんな大事な歌が何を意味しているかというと、繰り返しのフレーズを使って、「花は何度でも咲くよ」って示しているんです。
たられば なるほど。Bメロのリフレインですよね。しかも三十一文字しか使えない和歌なのに、そのうち七文字も使って「花が咲いた」と2回繰り返している。
末次 それって「繰り返しを愛せ」という意味だと思っているんです。
たられば 繰り返しを愛する…。
末次 今回カレンダーで、「田丸さんと原ちゃん」、「桜沢先生と猪熊さん」のシーンを描きました。本編でも「キョコタン(山城今日子)と九頭竜(葉子)さん」を描けて、それはいろんな年代の人が、繰り返し繰り返し、それぞれの年代で、かるたと出会い直してほしいなという想いがあります。
たられば おおお…なるほど…それも、誰かと一緒に出会い直すわけですね。
末次 そうです。かるたってひとりでは出来ないですし。
たられば おおおおお…! それは『ちはやふる』の1巻で原田先生が仰っていた、「友達がいないと続かない」という話につながるわけですね…すごい……また鳥肌がたってしまいました…。
末次 はい。一緒にやってくれる友達がいるって、とても楽しいことですし、それってなによりとても「豊か」なことですよね。
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ええと…「後編」に関しましては、創作秘話中の秘話で、わたしインタビュアーという仕事をたびたび忘れて、興奮しすぎて目も当てられない状態になっております。す、すみません。大人気作品の、まさにいまクライマックスに向かっている作者に物語の中身を伺うという、貴重な体験をさせていただきました。図らずもそうした興奮と一緒に届けることとなり、いま自分で読み返して赤面しています。「競技かるた」と「小倉百人一首」という、青春ロマンと伝統文化をかけ合わせた『ちはやふる』、「クライマックス」と言いつつもまだまだ勝負は続いております。最新刊の発売を楽しみに待ちつつ、物語の行く末を楽しみに見守りたいと思います(『BE・LOVE』にて大大大好評連載中)。
がんばれ千早! がんばれみんな! そして末次先生、がんばってください!!
あ、も、もちろん『ちはやふる基金』カレンダーと『ちはやふる』最新45巻同梱セット版、よろしくお願いいたします! 今回、それぞれのイラストの世界観が語られた、とっても素敵なカレンダーです!!
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