【ちはやふる小倉山杯記念鼎談】楠木早紀・松川英夫・末次由紀2〜忘れられない試合〜
注目去る2月23日、第一回ちはやふる小倉山杯開催を記念し開催された、楠木早紀永世クイーン、全日本かるた協会・松川英夫会長、そして漫画家/ちはやふる基金発起人・末次由紀の3名による鼎談の模様をお届けしています。今回は楠木クイーンの忘れられない一戦と、松川会長の試合中の心境について伺いました。
ー楠木さんには、忘れられない試合はありますか?
楠木:忘れられない試合は、クイーン戦ではないんですけども、小学校6年生の時に福岡県で行われた女流選手権ですね。昔はいろんな地域で持ち回りで行われていたんですけども、そこで初めて、憧れだった渡辺令恵(ふみえ)永世クイーンと試合をすることができまして。同じ大会に出れるんだとすごく嬉しい気持ちで蓋を開けてみると2回戦目に対戦が決まりまして。「やったー!あの憧れのクイーンとかるた取りができる!」と。一生懸命取っていたら、勝ったんです。その当時は令恵さんのお母さまがお亡くなりになられたりして大変な時期で、さらにきっと、相手は小学生だからということなど、多分いろんな気持ちがあるなかで対戦していただいたんですけども。私としては、あの時の対戦があって、クイーンというものをより身近というか、目標にしたいという風に感じられて。 その試合の中で、私の左手側に”滝の音は”があったんですけども、二人とも終盤なのに反応が遅く、そこを私がギリギリ拾って勝機を手繰り寄せたんです。あのときの話をすると今でも二人とも「あのときの”滝の音は”、遅かったよね」と話すくらい、二人とも他の札に集中していて、”滝の音は”が疎かになっていていました。やはり1枚1枚の札を大事にしないといけないな、というのもそのとき令恵さんから教わりましたし、あの経験があったからこそ、令恵さんのようになりたいなと思いましたね。
ー楠木さんは、『ちはやふる』に登場する圧倒的な強さを誇る孤高のクイーン、若宮詩暢のモデルとなった方としても知られていますが、末次さんの目には、現役時代の楠木さんの強さというのはどういう風に映っていましたか?
末次:格別な強さでした。自分が撮っている資料を見返しても、youtubeのアーカイブを見直しても、そのたびに絶望するんですよね。(主人公・綾瀬千早のライバルである)若宮詩暢ちゃんのモデルとして楠木さんを考えていたんですけども、こんなに強いクイーンをどうやったら負かせられるのか本当に見えないと思って。実際、物語を描いてる途中に、ここで詩暢ちゃんが負ける展開はどうだろうと思ってたことがあって。ちょうどそのタイミングでクイーン戦を見に行ったんですよね。ところが、楠木さんのあまりに強い防衛っぷりを見て、「負けない・・・詩暢ちゃんは負けない・・・!」と予定を変えたことがあります(笑)。現実を見てしまって打ちのめされ、私が見定めた詩暢ちゃんも負けるはずはないのだと。フィクションにさえも力を与えてしまう強さですね。
末次:楠木さんが記憶に残るクイーン戦、10回防衛された中で、この試合きつかったな、 追い詰められたなという試合はありますか?
楠木:そうですね、一番最初の荒川裕理クイーンと戦って、クイーンに挑戦したときというのはやはり印象的ですね。当時は中学校三年生が挑戦ということでメディア等にも取り上げていただいた中で、負けてもともと。そしてあの当時ちょうど反抗期でもありまして、私はあのクイーン戦をもって、負けたらかるたを止める予定だったんですよ。西日本予選でも負けたらやめる。東西決定戦でも負けたらやめる。そして、前の日のインタビュー映像にもあるんですけど、この試合で負けたら、悔いを残すことなく私のかるた人生は終わりますという風にもインタビューを受けていて。だからこそ思い切りやろうと思って。そんな中、気づいたら拍手の中に自分がいて。父と母が泣いていて。夢のようでした。
末次:やはり勝ちたいとは思っていたんですか?
楠木:やはり性格上負けず嫌いなので、「負け」という言葉は嫌いです。勝つというよりかは。現役当時、クイーン戦は毎回、負けるかもしれない。勝つかもしれない。でもそれは神のみぞ知る。だからあの天智天皇の祀られている近江神宮でやると思っていますので、勝つ・負けるというのあまり頭にはなく、いつも気がつけば拍手の中で、みんながわーっとおめでとうを言いにきてくれる映像しか残らないですね。でも、その中でもやはり勝敗が気になったのは最後です。自分の中で10期目で区切りにすると、家族にも祖母にも宣言していましたので。やはりここは絶対に負けて終わりにはしたくないと。あの時だけは少し違った気持ちで望んでましたね。最後はやはり10年間支え、応援してくださる皆様とか、かるた教会の方たちもそうですけど、やはり両親、祖母に、クイーン10期目をプレゼントしたいという気持ちがありましたね。
末次:そういうのがプレッシャーになることは?
楠木;プレッシャーは正直いうと毎年ありました(笑)。勝てば勝つほど、勝って当然みたいになります。今年はどのくらいの枚数を残して勝つんだろうとか、負ける前提じゃ、段々なくなってきて。どんな勝ち方をするのか、今年はどんなかるたを見せてくれるのかという声が聞こえてくると、やはり去年よりもパワーアップした自分を見せなければいけない。そして気持ちに答えたいということで、プレッシャーはやはりありました。一番絶好調に緊張するのは、前夜祭が終わった後のホテルですね。両親と一緒に部屋に入るんですけど、毎年 寝れなくなってくるんですよね。最初の頃は私は中学校三年生だったので、クイーンというものの重みを分かっていなくて。でも、どんどん自分よりも下の世代が憧れですと言ってくれる中で、明日どうしよう、どんなかるたを取ろうと思うと、夜眠れなくなって、いろんなことを考えちゃって。普通に取れば良いんですけど、普通というのが難しくて。最終的には3時とかまで寝れなくなったり(笑)。そしてクイーン戦が近づいてくると、お正月とかはクイーン戦を戦ってる夢を見たりですとか、自分が負ける夢をみてしまったりして、圧迫されて起きる朝も当時はありました。
末次:楠木さんも会長も、試合の最中はどんな気持ちなんですか? 名人やクイーンに挑む強い相手と戦ってる最中というのは、強くて嫌だなと思うのか、強いの楽しいなと思うのか、どちらが多いですか?
松川:私自身は、先輩に負けたのは1回くらい、後輩には5回くらい負けましたかね。一番負けた相手は今日の審判長である川瀬くん。彼には最後の勝負には勝ちましたけどね。4回戦って3回負けて、最後の1回勝ちました。かなりお互い歳いってましたね。41か2でしたかね。そのとき川瀬くんと死闘をやりました。彼は非常に良いライバルで、よくかるたを研究してまして。彼のかるたを見て、試合をやってる最中に、後輩なのに憧れまして。私、よく惚れちゃうんですよね。よく私に勝てるなと。最後の試合で私が勝ったのは祈り勝ちです。彼も物凄く研究してるし私も研究をしたけれども、最後は結局、お祈りだと思ってますから。そういう感じで勝ちまして。 それから、最後に2回負けたのは種村名人です。彼には2回続けて負けまして、3回目や4回目は勝とうと思ったんですけど、その前に私の体にガタがきましてですね。それでも最後のA級選手権で優勝したのは57歳でしたかね。61、2歳までしか現役選手じゃなかったんですけど、少なくとも最後の57歳の大会で優勝するまでは負ける気がしなかったんですけどね。そんな私によくぞ勝ったと、川瀬くんにものすごく惚れましてですね。今では大親友なんですけど。やはり私には自分自身に惚れてる感覚が昔からあったものですから、そんな私に勝つということがどんなに大変か、私自身が一番知っていたんですよね。それを乗り越えて勝つわけですから、これはすごい男が出てきたなと。だから、できたらもう少し現役を続けて楠木さんと試合をやれていたら、また一つの違った惚れ方があったか、と思いましたね。
※続きは来週水曜日に公開予定です。お楽しみに!
■お知らせ
本日より、ちはやふる基金オフィシャルグッズに新たなラインナップが追加されました。
ご購入いただいた金額は、必要経費を除きすべて競技かるたの普及・振興支援のために使わせていただきます。
ぜひ、ご購入によるご支援を、よろしくお願いいたします。