今回は #PR の #PR でお届けします。@SHARP_JP です。つい最近もお笑い芸人さんが自治体の企画を宣伝したツイートがステマにあ...
今回は #PR の #PR でお届けします。@SHARP_JP です。つい最近もお笑い芸人さんが自治体の企画を宣伝したツイートがステマにあたるのか、問題視されたことがありました。どこまでを金銭や報酬の授受として捉えるのかには解釈の余地はあるでしょうが、なんらかの対価が発生する依頼には、#PR というハッシュタグをはじめ、その発信が「広告であること」を明示するのが必要という見解に、私も同意はします。
なぜ #PR といった、広告であることを明示する必要があるのかといえば、それはもう、広告であることを隠すと消費者に不利益をもたらす可能性があるからだと考えられています。あくまで可能性ですが。しかし「広告なのに広告でないふり」が害悪とされるのは、そもそも「広告はウソを言っている」というコンセンサスが世間にすっかり浸透していることの裏返しでもあって、広い意味で広告に従事する私なんかは「どうしてこうなった」と頭を抱えたくもなる。ウソつきを前提とされる仕事なんて、そうとう悲しいことだと思うのだけど、広告という名のつく職業や企業の人から、そういう絶望を感じることはめったにない。
たぶんはじめは「こんなにいいものだからもっと知ってほしい」だったのだ。それが「となりの品よりよいものだぞ」と声を張る必要が出てきて、だから「いいものをもうちょっとよく見えるように」を競っていたら、気づくと「よくないものをよく見せる」仕事になっていた。その無自覚な繰り返しが、広告はウソつきという前提を、いつしか世間に作り上げてしまったのではないか。
狼少年はウソを繰り返したから最後にホントウを信じてもらえなかったけど、広告はホントウを伝える工夫を繰り返していたら、ウソだと疑われるようになったわけで、考えだすと虚無感に苛まれそうになる。
神奈川フィルハーモニー管弦楽団様PR漫画(ひびのし 著)
で、ここからはまさに #PR を付けるような話になるのですが、このコラムを連載しているコミチでは、所属するマンガ家さんが依頼を受けて企業や商品の広告をマンガで制作するサービスがあります。たとえばこのマンガは、神奈川フィルハーモニー管弦楽団という存在を知ってもらうために制作された広告。
この広告マンガを通じて、神奈川フィルハーモニー管弦楽団のよさがどこまで魅力的に語られたか、演奏を聴きに行ってみようと思うきっかけをどれほど作れたかは、私にもわからない。だがここで語られていることは、少なくともウソではないだろう、という信頼が築かれているように感じるのです。
それはなぜか。冒頭からこの広告の作り手であるマンガ家さんが、そもそも広告としてマンガを描くという行為に距離を置いているからでしょう。ただ賛辞するだけのPRマンガのつまらなさと、ウソはつきたくないという作者の矜持がはじめに宣言されることで、逆説的にこの広告がはらむ一種の欺瞞が解消されている。
このマンガは「そうかんたんにだまされないぞ」という消費者の立場を代弁し、「安易な媚びはしないぞ」という発信者の覚悟を開示した上で、実際に演奏を体験した作者自身の変化が描かれる。とりたてて珍しい構成ではないし、安易とさえ言える語りかもしれない。だがその等身大の表現は、#PR とつけただけのおざなりの投稿より、よほど血の通った「広告」だと、私には感じられる。
大げさに言えば、私たちが暮らす社会は、やっぱりウソよりホントウのことの方が耳を傾ける価値があるし、借り物の言葉より拙い言葉に体温が宿る。ウソつきを前提とされるにいたった広告はまず、ほんとうのことを語る語り手であると宣言する。そして率直に、虚飾なく語る。それを少しずつ積み上げることでしか、広告への不信は解消しないのかもしれない。途方もなく地道なことだけど。
あ、肝心のコミチの広告マンガ制作サービスはこちらです。いまここを読んで興味を持たれた企業の方はどうぞ ← #PR
https://comici.jp/mangawork/case/