


絵の中の風景
私は平凡な人間だった。
友人の愛子ちゃんとは小学校の頃から一緒に遊んでいた。
愛子ちゃんはおとなしい子だったが、家が貧乏だと親から聞いていた。
夏になると友達との帰り道アイスを買うことがあったが、買えない愛子ちゃんに、私はもらった小遣いでアイスを買ってあげることがあった。
中学校でも特に学校生活に困ることもなく卒業し高校へと進学した。 同じクラスになることもなく疎遠になっていた愛子ちゃんも同じ高校に進学した。 愛子ちゃんの生活が楽になったとの話は聞かず、大変だなと思いながら普通の家の子でよかったと思っていた。
始業式のあと、同じ地域出身なので一緒のバスで帰ることとなった。 私は新しくはじまる学校生活でも特に問題なくうまくやれるだろうと思っていた。
話が自然と選択授業の話になった。愛子ちゃんは昔から絵を描くのが好きだった。
「美術を選ぶんでしょう?」
と私が聞くと愛子ちゃんは恥ずかしそうに下を向いた。
「画材って高いでしょう?お母さんが無理だから、音楽を選びなさいって」
「そう…」
画材など色々揃える美術と違い、音楽は笛などをそろえるだけで済む。その話を聞いて、私は悪いことを聞いてしまったな、と思った。
しばらく沈黙が続いた。バスは私達をそれぞれの家へと運ぶべく、ゆっくりと坂道を上り始めていた。
自分も美術を選ぶつもりだった。特に反対されることもなくすんなり画材も買ってもらえることになっていた。愛子ちゃんに申し訳ない気持ちと、好きなことを選べない境遇への同情と、そして、認めたくないけれどどこかに優越感があった。
「でもね」
沈黙をやぶったのは愛子ちゃんだった。
「お年玉とか…少しづつお金、ためててね。私の貯金で、画材買えそうなの」
照れくさそうにうれしそうに少し笑って愛子ちゃんがそう、私に告げた。
負けた、負けた
私だったら、自分の境遇を嘆いてあきらめる。自分の境遇に慣れて嘆くことさえあきらめてしまうかもしれない。けれど愛子ちゃんは自分の力でやりたいことを勝ち取ったのだ。
選択の美術の授業で私達は一緒になった。
幾度目かの午後の授業で初めて白いキャンバスに絵を描くことになったとき。すらりとどこか誇らしげに伸びた背筋ごしに、愛子ちゃんの白いキャンバスに描かれた絵が見えた。
同じような絵具で描かれたはずのその色彩が、なんと鮮やかにみえたことか。
どこかくすんでみえる自分のキャンバスを片付けていると片付けを終えた愛子ちゃんが近寄ってきた。
「小学校の時いつも一緒に遊んでくれてありがとう。…だから私頑張れたんだ」
そんなつもりはなかった。時には貧乏な愛子ちゃんのことを同情して、優越感に浸ってさえいたのに。
負けた。これは、私の人としての驕りだ。
窓からの差し込む日差しが愛子ちゃんを照らしている。うつむくと愛子ちゃんの影が長くのびてみえた。
貧乏な愛子ちゃんと余計な形容詞をつけてみていたのは私だ。愛子ちゃんは私の、一緒に帰ろうと伸ばした手を素直に受け取ってくれていたのに。
どんなどんな状況でも望みをかなえるその気持ちを持つ姿こそが愛子ちゃんの本当の姿だ。
私も何かを欲して必死に手を伸ばすそんな日がくるのだろうか。来たときは決してあきらめないでいたいと愛子ちゃんの影をみて思った。
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