私はネパールに暮らすペマです。
モバイルメイソン(建設現場を巡回して技術指導を行う熟練石工)として、女性グループの委員長を務めるなど責任ある立場で働いています。
でも、モバイルメイソンになる前の私はほとんどの時間を水汲みや家畜の世話、家事や育児に充てていて、たまに農作業や建設作業があるときに季節労働者として働く程度でした。
ですが、夫の収入は小さな子どももいる我が家にとっては十分ではなく、食べていくのも不自由な状況でした。
だから、私も何か継続的な仕事をしなければいけないと思っていたときに、2015年4月のネパール地震が起きました。9,000人以上が亡くなり、2万人以上が怪我をする大惨事で、88万戸の家が崩壊や一部の損壊などの被害を受けました。
この復興策の一環として、5万戸の住戸建設に向け、JICAがモバイルメイソン育成トレーニングを行うという話を聞きました。
なかなか進まない住民主導の住宅再建を、村の助け合い文化「共助」の力を活用して進めていこうと始まったものです。
その村のことや住民をよく知っている人が住民に寄り添って住宅再建の問題を解決し、再建を支えるというプログラムでした。
私は初等教育は受けており、石工の仕事についても多少の知識があったので、女性でも育成トレーニングに参加できるか問い合わせを行いました。
ネパールでは男性が外で働いてお金を稼ぎ、女性は家事を行うことが一般的なためであり、また女性が男性と一緒に建設業に従事することは社会的なルールで制限されていることもあるからです。
しばらくして、区の女性職員から女性でも育成トレーニングに参加できると連絡がありました。
私が住んでいる地域は、電波があまり良くありません。
このとき電話を受けることができたのはとてもラッキーなことでした。
私は熱心にトレーニングを受講し、受講者の中から最終的に選ばれる、各地域のモバイルメイソン5名の枠のひとりになりました。
従来の建設と違って、また地震が起きても崩れない家を迅速に建てることを目指し、地域の石工たちに指導をしていく重要な仕事です。
仕事を始めた当初は、女性である私がモバイルメイソンとして働くことについて、なかなか周りからの理解を得ることはできませんでした。
特に一緒に住んでいる義理の両親は「女性が男性と一緒に働くことはよくない」という伝統的な価値観を持っていて、女性である私がモバイルメイソンになれるとは思っていませんでした。
子どもも小さく、仕事と家事の両立は難しかったです。
ときには、「女が男と同じように働けるのか」といったことを言われることもありました。
そのように言われて悔しい気持ちもありましたが、堅実に仕事に取り組んでいると、だんだんとそういったことは言われなくなりました。
また、女性も説明会や会合に来るように一生懸命働きかけたので、私が開催する会合の出席率はいつもとても高いものになりました。
一生懸命仕事をしていると、だんだんと私のモバイルメイソンとしての力量が地域の中で認めてもらえるようになり、同僚や村人からも呼ばれて技術的な相談を受けるようになりました。
外に出て夫以外の男性と一緒に働くというのは、ネパールの農村地域では、かなり珍しいことですが、少しずつ家族の理解も得られるようになり、夫も家事を手伝ってくれるようになりました。
私は地域のリーダーとして頼られるようになり、女性グループの委員長にも選ばれました。
今では重要な打ち合わせにも呼ばれ、責任のある立場で働いています。
外に出て働くようになったことで、私は強くなりました。
たとえひどいことを言われても、言い返したり心を閉ざしたりするのではなく、どうやって彼らと向き合うかを考えるようになりました。
自分だけではなく、周囲の目も変わりました。
以前は、家族や友人は私のことを何も知らない人間だと思っていましたが、今では仕事において、あるいは人生において、多くのことを成し遂げられる人間だと認識しています。
私はモバイルメイソンとして懸命に働き、ひとびとが必要としている地震につよい家づくりに貢献しました。
そして、正当な評価を勝ち取りました。
それによって、この国の人々の「女性は石工になれない」という伝統的な認識を変えたのです。
そしてそれは、これからこの国でいろいろな仕事につこうとする女性や子どもたちの未来を切り開くことにつながったと信じています。
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