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いまっちさんの作品:チャッピー 最後のその瞬間まで

愛犬 チャッピーの尊い最後の様子を、僕「いまっち」の視点から記録する。


チャッピー

享年12歳10ヶ月

没日時 2014年2月25日 PM6:00頃


2/10

食欲不振によりいつものドライフードを食べなかったらしい。

せっかく食べたと思っても吐き戻してしまう。

明日が祝日なため、病院に連れて行くことに。


2/11

「あおぞら動物病院(仮称)」へ向かうも臨時休業のため、以前一度かかったことのある「ゆうやけ動物病院(仮称)」へ向かう。

こちらも休業日のため扉は硬く閉ざされていた。

諦めて帰ろうとしたところ、扉が開き先生に呼び止められた。

特別に診察してくれるとのこと。


診察および検査の結果、「子宮蓄膿症」と診断される。

薬を処方してもらい、一週間様子を見るようにとの指示を受ける。


この日もドライフードは食べないため缶詰の柔らかいご飯に切り替える。

それもやっと食べる程度。


2/12

病院から処方された薬をご飯に混ぜるとそれは食べない。

だが薬の入っていないご飯は少量だが食べるようだ。


薬を飲ませてしばらくすると嘔吐する。

薬の副作用か元々の症状かわからず、とりあえず子宮収縮剤の投薬を保留する。


2/13

今日もご飯を食べない。

この前変えた柔らかいご飯も食べない。

仕方なく、好物のおやつを与える。

これもなんとか食べる程度。


この辺りから体の自由が効かず自力で立ち上がるのが相当辛そうだった。


ただ、家の全員が出かけると必ず玄関で寝ている。

体が冷えるので布団を敷き、ゆたぽんを足元に置く。


2/14

今日は帰りが遅くなった。

この時は様子がおかしいと思いながらも、なんとかよくなるだろうと安心していた。

とういうか油断していた。

とりあえずいつものようにチャッピーと接する。


2/15

おそらくこの頃からご飯を食べなくなった。

この日は芝居の用事で一日家を空けていた。

昼頃出かけ帰ってきたのは3時ごろ。

チャッピーとは顔を合わせなかった。


2/16

前日の疲れがたたり、昼前起床。

今日も芝居関係の用事で外出。

その用事後、友人に誘われるまま温泉へ。

帰ってきたのは11時ごろ。


もう一切ご飯を口にしなかったという。

おやつや人間の食べ物を目の前に差し出しても顔を背けてしまう。

薬を飲ませるのも困難な状態だった。


再度「あおぞら動物病院」に連れて行く話が出る。

妹の彼氏が休みということで火曜日に行くことに。


ただこの時、母とつまらないことで喧嘩し険悪なムードになる。

チャッピーが苦しんでいるのに我ながら傲慢なことだったと、後になって悔やむことになる。

そんなことならもっと撫でてやるべきだった。


2/17

この日も仕事が遅くなったと思う。

結局帰ってからもほぼ母とは口をきかずご飯を食べ、寝ているチャッピーをひとなで程度で就寝してしまう。


2/18

仕事中に病院の診断結果の連絡が入る。


心臓病と診断される。

その影響から腹水がたまり、各臓器を圧迫。

食欲減退もそれが一因かもしれない。

白血球の数値が「30000」を超える。

正常範囲の最大は「14000」のため、体内での炎症がかなり進行している状態。

投薬で5日様子を見て再度病院に来るように指示を受ける。


強心剤と抗生物質を処方してもらい、水とともになんとか飲ませる。

飲ませるのを手伝う。

飲む姿も辛そうに見える。

何度飲んでも吐き出そうとするからだ。


体を動かそうとするが、ギリギリ自力で這い上がるのがやっとの状態までになってしまった。


2/19

この日は会社の懇親会で遅くなる。

帰ってきたのは1:00ごろ。


ぐったりした様子で寝ている。

よほど必要がなければ動かない様子。

でも帰ってくると寝ながらも尻尾を振って出迎えしてくれる。


家に誰もいない時は自力でトイレに行くらしい。

間に合わない場合もあるが。


2/20

この日は 元会社の先輩との打ち合わせで少し遅くなる。

家に戻って薬を飲ませるのを手伝う。ご飯は食べないので、水だけを飲んでいる。


固形物は何も食べないので、流動食的なものに切り替えてみる。

確かヨーグルトは少し食べたようだ。


以前から症状に効果がありそうな情報も漁ってみたが、それぞれ言い分がありすぎて、どれも眉唾に見えてしょうがない。

結局は「普通の食事」でいい(「が良い」ではない)という結論に達する。


この辺りから犬の死に際についてネットで検索したりした。

摂食拒否はその兆候の可能性があると知って少し落ち着かなくなる。

一方で胃腸炎の症状緩和のために自然と起きる反応であるとの情報もあった。


2/21

この日は僕の誕生日だったが、特に意識せず過ごした。


仕事が遅くなり、さらに友人に誕生日を祝ってもらい、帰宅はAM2時ごろに。

少しだけチャッピーの顔を見て就寝。

嘔吐しようと嗚咽がひどいらしい。

この段階ではまだ投薬で様子を見るとしていた。

僕もそう考えていた。


2/22

この日は所用で午前中家を空けていた。昼頃に帰ってくると居間にいたはずのチャッピーが玄関にいた。すぐに居間に連れて行きPC作業を始めるが、チャッピーの嗚咽がひどく、心配で思うように手が動かない。

PC作業をするあたり、まだかなり油断していたと後になって痛感する。


この日は夜12時まで起きていてPC作業とチャッピーを撫でたり薬を飲ませたり、蜂蜜を舐めさせたりを行ったり来たりした。

一番長く優しく接することのできた時間はこれで最後だったとは思ってもみなかった。


2/23

朝からスキーに出かけた。

半年前くらいから誘われていて、断るのことができないでいた。

帰ってくると夜の10時を回っていた。

チャッピーの様子は、嗚咽を超え嘔吐が激しくなっていた。

最初のころは透明。やがてうす黄色。今日の時点では茶褐色の吐瀉物へと変わって行った。

明日病院へ連れて行くことになっていたのでとりあえずは様子を見ることにした。


かなり辛そうな様子。自力で立つことは愚か、首をもたげるのもやっとのところ。全身が脱力した状態になり、顔と目を動かして一生懸命こちらの動きを追っている。

短かったができるだけ心を込めて撫でた。


いつも通り「おやすみチャッピー」と言って床に就く。


2/24

朝、起きるとチャッピーの寝ている布団一面に茶褐色の液体が広がっていた。

下痢だと思ったが、匂いがしなかったのでおそらくは嘔吐したものだと思う。

どこにそれだけ吐き出すものがあるか不思議なくらい出ていた。


起きる時間がギリギリだったため

チャッピーが起きていることだけを確認してすぐに仕事に出かけた。


病院の診断結果はあまり芳しくなかった。

子宮蓄膿症も併発しているとのこと。

今日は腹水を抜いてもらい、みんながみんな、これから少しずつ快方へ向かうと信じていた。

今のこの苦しみが通過儀礼のように。


後になって聞いたが、腹水を抜くため病院に預け帰るとき、病院から出て行く妹たちを、おすわりして見送ったらしい。

もうそんな力はどこにも残ってないはずなのに。


今になって数々の行動を見ていると自分の最後を悟っていたかのようにさえ思えた。


この日も少し遅くまで起きてチャッピーを撫でていた。

体に力は全く入っていない。

が、近寄ると頭を動かしてこっちを見る。

頭を撫でると嬉しそうに尻尾を振る。か細く鳴いていた気がする。


「早く良くなってくれ」と思いながら、寝た。


2/25

朝、いつもより一時間早起きした。

今日は母が休みなので少し安心していたためか、その空いた時間をPC作業に当てた。

時間になりいつも通りに起きた。

また少しチャッピーの頭を撫でた。

もう目で追ってくれるだけで尻尾も動かない。

昨日より吐く回数も増えたらしい。

心配ながらも、仕事へ出かける。


電車の中、仕事中と気になればどこででも犬の病気について調べた。

それでわかったことがあった。

茶褐色の吐瀉物は胃腸内の出血が原因で起こるということだった。


12:00ごろ、母にメールして今の状態を病院に相談するようにお願いした。

あいにく病院は4時からの診療で繋がらなかった。

また4時になったら電話してくれるという。


16:00になって母からメールが入る。

動物病院の先生が、胃粘膜を保護する薬と吐き気止め薬を処方してくれると言うのだが、母はチャッピーをおいて外出して良いか戸惑っていた。

状態を確認すると、


「電話したよ。薬取りに行く事になったけどチャッピーがずっと苦しそうに泣いてて置いっていいのかどうしよう。」


ー 吐く間隔は短くなってる?


「短くはなってるかな?でもうなったり吠えたりしてるよ。なんかおかしいよ。」


このやりとりで「危ないかもしれない」と直感した。


ー とりあえず、すぐ帰るからそれまで待ってて。


そう返信してすぐに上司に早退の相談を申し出た。

上司も快く承諾してくれた。

すごくありがたかった。


会社を出ると地下鉄まで走った。


ーー 16:30 ーー


電車に乗り、大きな駅で乗り換えをする。

こういう日に限って電車のタイミングがずれる。

仕方なく急行電車に乗り込んだ。

あと少し早ければ1時間でつけるところが、1時間半なってしまった。


ーー 16:37 ーー


電車に揺られる中、何故かやたらと昔チャッピーと出かけた思い出が頭をよぎる。

死んでもないのに涙が出て出て仕方がなく、他人に見られないように隠すのがやっとだった。

そうこうするうちに次の停車駅に到着する。


ーー 17:14 ーー


すぐに乗り換え駅に到着。


ーー 17:17 ーー


いても立ってもいられず、急行に乗り込む。

(自宅の最寄駅は、普通しか停まらない)


ーー 17:22 ーー


当たり前のように目的地ひとつ手前の、急行停車駅に到着。

普通電車を待つために下車。

一瞬ここから走って帰ろうと考えるが、足を怪我しているので待っていた方が絶対早いと判断。

そこは冷静でいられた。


ーー 17:25 ーー


次の電車は「17:42」に来る予定だ。

はやる気持ちは抑えられず落ちつなかった。

さっき以上に昔の思い出が蘇る。

変だなと思いつつもやはり涙が溢れ出す。

そして妙な胸騒ぎに襲われる。


ーー 17:42 ーー


普通電車に乗り込む。

反対電車の待合がもどかしい。


ーー 17:45 ーー


電車が発車


ーー 17:47 ーー


自宅の最寄駅に到着。

急いで家に向かう。

少し足が痛かったが我慢できないほどではなかった。

ただ、途中息が切れて何度か歩いた。

運動不足が恨めしい。


ーー 17:55 ーー


家に着く。


玄関を開け、嫌な感情をかき消すように少し大きな声で「ただいま」を言う。

だが、それに混じって母の泣いているのか喋っているのかわからない声が聞こえた。


瞬間、全身の血が上へ登ってきた気がした。

目の前では泣きながらうろたえる母がいる。

すぐには状況が飲み込めず、チャッピーの体を触ってみる。


母は「息をしていない」と言う。

僕は「心臓は?」と聞く。


それと同時にチャッピーの胸に手を当てる。

確かに暖かいが、拍動は手に伝わらない。

半パニックで心臓マッサージのやりかたを思い出そうとする。

胸のあたりを強くさすりながら真似事だけして見た。

でもすぐに「病院に行こう」と持ちかける。

母は半分諦めていた。もう死んでいるからダメだという。

でも、まだ心臓が止まってから5~10分しか経ってないと、僕は見ていたかのように言い張る。

とにかく病院行こう。いいから言うこと聞いてくれと、母に気迫ゼロの泣くような声で、小さく怒鳴った。


ーー 18:00 ーー


車でチャッピーを病院に連れて行く。抱きかかえようとしても、どこにも力が入っていないため手足はもちろん首もだらしなく垂れ下がっていた。

ただ、目だけは生きてるかのようにこっちを捉えているようだった。


冷静を保つつもりだったが、移動中結局何回も嗚咽し涙が止まらない。

内心では僕もダメだと思っていた。

何回も母に「大丈夫?運転変わろうか?」と聞かれたが頑なに「大丈夫」といいながら泣き続けた。


運転中もずっとチャッピーの背中を撫で続けて。


ーー 18:10 ーー


あおぞら動物病院へ到着。

すぐに受付に駆け込む。

冷静に状況を話すつもりが、言葉を発しようとすると、顔が歪み喉が張り付き、腹筋や横隔膜が全然言うことを聞かない。

やっとの思いで

「うちの、いぬが、いき、、し(て)なくてっ」

と言い終わると「診察券ありますか?」と聞かれ、頭が覚めてすっと嗚咽が止まった。

察してくれたスタッフさんが車まですぐに来てくれた。

チャッピーを運び出し、処置室に運び込む。


処置室から出ると、すぐに呼び戻された。


先生から、すでに手の施しようがないと言われた。

先生も助手の方も悲しそうな顔で悼んでくれた。


体内のものが出ないように綿花をつめ、全身綺麗にする処置をしてもらうことになった。


待合で待つように言われたが、もう堰を切ったように絶望が押し寄せてきた。

たまらず病院の外へ出て、走り出して大声で叫びたかったが、ぐっと堪えて車にこもった。

大人気なく大きな声で泣いた。

多分、これだけ大袈裟に泣いたのは、中学生の時ハムスターが死んだ時か、高校の時の彼女と別れた時くらいだろう。


五分ほどして、酸欠状態から回復し、顔を一発はたいて正気を取り戻し病院へ入った。


待合で母ととりとめのない話をする。その間、頭では死を理解したが気持ちが追いつかないまま、ぼーっとしていた。


しばらくするとまた処置室に呼ばれた。

全身綺麗になり安らかな顔をしたチャッピーが横たえていた。


心臓がいっぱいいっぱいでその限界がきたんだろうと先生が教えてくれた。

思い返せば治療自体が、すでに終末を想定して施していてくれてたのかもしれない。


泣きながら車に運び込み、先生や助手の方達にお礼を言ってお会計をしようと受付に行くと、今日の処置に関して費用は発生しない旨を伝えられた。

その心遣いにさらに涙が溢れた。

深くお辞儀をして病院を後にする。


ーー 18:45 頃


コンビニに寄ってお茶を買って家に帰る。

チャッピーを運び込み、いつもの布団に寝かせる。

もう呼吸でお腹は動かない。

まだどうしても死んでる気がしない。

かと言って生きている感じもしない。

あまりに急だった死への戸惑いと死に目に合えなかった後悔がぐちゃぐちゃに混ざり合って、少し混乱していた。




寝ているように死んでいる。



今にも目を開けそうで。



いつもは、お腹をポンと叩くとびっくりして起き上がる。

でも今日は何回やっても起きてくれない。



喋る度に「チャッピー?」と語尾につける。



お腹の下に手を突っ込んでみる。


...まだ暖かい。




やがて、死後硬直が始まってきた。

手足は硬くなり、顔の皮膚が引っ張られ目が空いた状態になる。


こうなってもなお、みんなの姿を見届けるかのように。



少し落ち着いてきて、まともに会話ができるようになってきた。

母が、チャッピーの最期の、そのちょっと前の姿を録画した動画を見せてくれた。


高めの声で唸って時折手足をバタつかせ、体を起こそうと首を動かす。

若く元気な時のような声で吠える姿も写っていた。

見て改めて「死に際」なんだと痛感した。

一生懸命生きようとしている。...多分。



硬く冷えて行く体を、いままでにないくらい撫で続けた。

撫でても撫でても結局、満たされなかった。


気づいたら時間は夜中の2時を回っていた。


2/26

今日もいつもの一時間早く目が覚めた。

母は昨日のことで疲れていたのか、もう仕事に出かける時間なのにまだ寝ていた。すぐ起こすと慌てて飛び起きバタバタと出かけた。


僕も身支度に入る。

朝ごはんはない。用意する余裕など誰にもなかったからだ。


何をするにもチャッピーの姿が目に映る。

歯磨きをしてたら無性に泣けてきた。

朝が当たり前にやってきすぎるせいで、その速度に僕は全然追いつけないままでいた。

いたたまれなくて、いつもより一時間早く家を出た。


あのまま家にいたらおかしくなりそうだった。

でも今のこの気待ちは今だけのものだと思い、空いている早朝の電車で、ケータイのメモ帳に「この文章」を書き連ねて行く。


これから先のことは現時点では想像もつかない。


ただ、近いうちにチャッピーがいないのが当たり前の日常がやってくるのは間違いない。


思い出に変わるまでは、泣いて過ごそうと思う。


辛くてしょうがない。

でも大事に、逃げずに、しっかりと噛み締めて行くつもりだ。


この続きは、そう遠くない間に書くとしよう。


とにかく忘れないうちに。

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