急に暑くなってきました、@SHARP_JP です。年々、春服というものが概念上の存在なのではと思うくらい、すぐ夏になる。夏を制する者だけが、恋を制するそうですので、みなさまにおかれましても、入念な準備をなさった方がよろしいかと存じます。
好きになるのに理由なんてない、なんてよく聞く言い回しですが、たしかに「いつ好きになったか」が、自分でもよくわからないことは多々ある。そして私は恋愛の話ではなく、食べ物の話をしようとしている。
もちろん恋愛だって、あなたのことをいつ、どんなきっかけで好きになったのかよくわからないということはある。むしろそういう「いつのまにか好きになっていた」という恋愛は、甘酸っぱささえ感じられて好感が持てる。
ただ身も蓋もない言い方をすると、恋愛なんてたいていは、だれかの素敵な言動を目撃したとか、やさしくされたとか、はたまた好きだと告白されたといったきっかけがあるはずで、要するに恋愛にはたいてい、好きのスイッチがある。
それにくらべて、あなたの好物はどうか。あなたはいつからそれが好きだったか。それを生まれてはじめて口にした瞬間を覚えているか。あなたはそれを愛する理由を語ることができるか。
私は柚子胡椒が好きなのだけど、好きになったきっかけは記憶にないし、好きな理由も「味が好き」以外に、とくだん語る術を持たない。薬味が好きな子どもなど聞いたこともないから、私が柚子胡椒を好きになったのはおそらく大人になってからだろう。大人になってからでさえ、私は柚子胡椒を好きになった物語を語ることができないのだ。
さらに言えば、私は気がつくとセリと三つ葉が好きになっていた。長年「好きではない」とラベリングした野菜室にしまわれていたはずの食材が、いつのまにか好きに反転するとはどういうことか。私になにがあったのか。さっぱり思い出せない。
だから「いつのまにか好きになっていた」というのは、なにも幼馴染が恋愛に突入する時だけではなく、食べ物の嗜好の変化にこそ、しっくりくる表現なのではないか。
憧れの飲み物(月本シロ 著)
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「いつのまにか好きになっていた」の代表格といえば、ビールでしょう。私ももれなくそうだった。飲みはじめたタイミングは確定しているのに(お酒は二十歳になってから)、いつ好きになったのかは皆目見当がつかない。自分のことなのに。
ただしビールは、その初体験を記憶しているという点で、ちょっと特別だ。ビールは解禁される年齢が決められている。お酒だし。それゆえはじめて飲むまでに、その味や二十歳の自分をあれこれと想像する、助走が与えられた飲み物なのかもしれない。
この作品では、村上春樹の小説(ねじまき鳥クロニクルですよね)を読むというかたちで、ビールが想像される。おそらく主人公は繰り返しビールが描かれたシーンを読み、ビールへの助走をつける。
早生まれの四月、二十歳の誕生日。青年は繰り返し読んだ小説を片手に、ベランダでひとり、ビールを口にしてみる。そして、あまりの苦さに吹き出してしまう。マンガに描かれたその様子は、人が大人になることそのもののようで、すっかり大人になってしまった私は、懐かしさすら覚える。
初体験はいつだって苦い。ビールはあんなに苦かったのに、いつのまに苦くなくなるのか。私はいつ大人になったのだろう。
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