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シャープさんさんの作品:エッグとベネディクト

特技は保留、@SHARP_JP です。言葉は音と意味がセットで存在する。言語学でいうアレだ。シニフィアンとシニフィエだ。犬という言葉には「イヌ」という発音あるいは文字の側面と、その発音あるいは文字を見て心に浮かぶ「4本足のモフモフしていたり、モフモフしていなかったりする、いずれにしろかわいい動物」というイメージの側面がある。最近なら「イッヌ」というシニフィアンと「マヌケだけど憎めない、いずれにしろかわいい動物」というシニフィエも追加で挙げられるだろう。


ただしいつでも言葉は音と意味がセットであるかと言われると、必ずしもそうではない。とりわけSNSで言葉の奔流に触れている私たちは、まだ意味を知らない新しい言葉がひたすら流通する場に出くわすことがあるだろう。いわゆるネットミームとかJK用語とか、ナントカ構文といった言葉の流行はたいてい、意味よりも前に音や文字が認識される。


私たちはそれが使われたツイートを何度も目にするうちに、なんとなく意味がつかめてくる。あるいはその言葉を検索してようやく意味を把握する。絵文字やスタンプの使い方にも似たようなところがあるだろう。シニフィエは遅れてやってくるのだ。


また仕事の場でも、意味もイメージもわかない言葉に直面することがあるはずだ。とりわけ私の仕事など、名前にデジタルとかITといったワードがぶらさがる業界なので、意味を掴めないカタカナやアルファベットがしばしば飛び交う。もちろん私がバカなせいもあるけど、聞こえるし読めるのに、概念が浮かばない。


ただ私はそういう状態が嫌いではない。なんかわからないけど、前後の文脈や強調のされ方からしてこうかなと、うっすらと意味や概念の輪郭が掴めてくる時間がむしろ好きだ。自分がその言葉を使わざるをえない羽目になりそうな会議だと、なおさらスリリングである。


だから私はすぐに検索をしない。検索を少し待って、シニフィエを欠いた言葉をしばらく眺める。言葉と私を宙ぶらりんな状態に置き、近づいたり離れたりするふわふわした時間を楽しむ。なぜなら、そうやって試行錯誤を経て意味を確定できた言葉は自分にとって親しみのある言葉になることを、経験的に知っているから。



エッグベネディクト(都会 著)


いまならマリトッツォだろうか。たしかに新しい食べ物の名前も、音が先で意味が後なことが多い。級友から「エッグベネディクト」という言葉だけを聞かされ、その意味するところを想像する小学生のお話である。


新しい言葉ゆえ国語辞典にも載っていないから、彼女はエッグベネディクトをエッグとベネディクトに分解する。分解したらしたで、ベネディクトが名著『菊と刀』の作者の名だと知ってしまい、卵に挟まれる外国人という間違ったシニフィエが浮かんでしまうところが微笑ましい。そして彼女はいつかエッグベネディクトを食べる日を妄想し、ひょんなことから食べられることになる。


とはいえこの作品は、私たちをもう少し別の場所まで連れていってくれる。よくよく考えれば、給食にエッグベネディクトなんてハイカラな食事が出るわけがないのだ。それは引きこもりの彼女をなんとか学校へ誘い出そうとした、級友のやさしい嘘だったことがほのめかされ、最後にじんわりくるのである。


ちなみに私も、エッグベネディクトの真の姿にいまいち自信がない。検索するのはかんたんだけど、いましばらくベネディクト・カンバーバッチが卵に挟まれるシニフィエを楽しもうと思っている。


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