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シャープさんさんの作品:10年

10年間なにをしていましたか、@SHARP_JPです。このコラムが掲載されるのは3月11日だ。あれから10年。われわれにとって、この日付が重い意味を持つようになって、10年が経とうとしている。


10年といえば、あっという間と形容されることもあれば、まだとかひと昔とくくられることもある。時間はすべての人に平等な尺度であるはずなのに、その間を過ごす辛苦によって、伸びたり縮んだり、停止してしまう場合がある。


10年とは、だれにでも同じ長さで当てはまる区切りではない。他人が、だれかの10年間の内に同じ過去の総量を見出そうとするのは乱暴なことだろう。破壊と悲しみに直面した人にとって、10年は「まだ」でも「もう」でもないはずだ。


私にとって「あれから10年」のあれには、もうひとつの意味がある。私が運営してきた会社のツイッターアカウントが10年になるのだ。10年前のちょうど今ごろ、私はさほど深い考えもなく、職場に配属された新人のように4月からツイートをはじめようと準備を進めていた。そこで3月11日、衝撃を受ける。


震災後のツイッターは、怒りと悲しみと模索にあふれていた。なすすべもない自然への畏怖と、なすすべがあったかもしれない人為の災いに、立ち尽くす言葉と感情。そして、なんとか自分ができることをしようという思いと試みがあふれていた。その中のいくつかは、具体的なアクションへと像を結んでいく。


企業も例外ではなかった。いまできることを必死に探しながら、良心の呵責に苛まれていた。テレビではACが連呼される一方で、ツイッターでは組織(あるいはそこに所属する個人)による、手探りの知恵と行動が次々と具体的に立ち上がっていく。当然そこには、宣伝も広告もない。それが存在する余地などなかったから、だから私は、自社のツイッターアカウントを開けるのを止めた。


それから数ヶ月黙って考え続け、ようやく私は、おそるおそるツイートをはじめることになる。私の中で当初考えていた目的はかけらもなくなり、つまりは広告をしようという目論見は消えうせ、できるだけ善意にもとづいて、自分と会社ができることを言葉にしていこうと決めていた。そして、10年が経とうとしている。



私の別れ話「ありがとう」(シャンプー 著)


10年だから、いろいろなことが起こった。私の働く会社にも、私にも、そして社会にも、ほんとうにいろいろなことが起こった。予期せぬことも、災厄と呼びたいこともあった。その災厄のひとつは、現在進行形だろう。ここに取り上げたマンガも、震災にまつわることではない。いま私たちの周りで起こりうる、悲しい今の出来事だ。


だが私は、この作品を読んで、やはり10年前のことを考えてしまう。10年前にも、ちゃんとお別れができなかった人たちがいたのだ。たぶん私の想像の及ばない数の人が悲しみに暮れ、それなのにきちんと弔うことがままならず、ちゃんとお別れを言うことができなかった。そういう人の10年を、私はどうしても考えてしまう。


私と、あなたの10年はちがう。私と悲しみを抱えた人の10年は、もっとちがうのだろう。振り返ることでしか時間は認識できないのなら、振り返るといつも悲しみがいる人にとって10年は、長いのだろうか短いのだろうか。


せめてそこに、癒えるという時間はあるのだろうか。


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2021/3/11 コミチ オリジナル
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