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シャープさんさんの作品:意味を引っこ抜くと残るもの
文字が好き、@SHARP_JP です。ゲシュタルト崩壊というワードは、みなさんもよく見聞きすると思う。実際に崩壊した経験のある人も多いだろう。文字をじっと見ていたらなんだか意味がわからなくなってきた、というアレだ。意味を伝達するはずの文字や図形がバラバラになって、何の表意もなさない視覚情報としてしか認識できなくなる瞬間は、思いの外楽しかったりする。もちろんそれが常態化するとたいへん困った病気にあたるのだろうけど、時おりふと訪れる錯覚、それも意味が無化する方向の錯覚は、日常を強制的に再起動させられるようで新鮮な気持ちになる。少なくとも私はそうだ。


で、ここからいささか変な話に入る。私はわりとゲシュタルト崩壊が得意なのだ。特技は「意図的ゲシュタルト崩壊」といってもいいかもしれない。仕事でするツイートだって、いったん書き上げた後、ただただツイート枠の中で図形として美しいかどうかだけを吟味するために、スマホをぼんやり眺めていたりする。端から見ると奇妙な行動かもしれないが、私は文章から意味を切り離すことが、ある種の推敲だったりするのだ。


その行為に意味はあるのかと考えると、たぶん意味はない。ただの好み、癖のような行為に類すると思う。ただし高速で文字列が流れゆくツイッターでは、人は文字の意味を読む前に、文字の塊を図形や柄のように視覚している気もするから、なんか(漢字が多くて)黒いツイートだなとか、やたら(カタカナや改行が多くて)白いツイートだとか、あるいはギンガムチェックやバーコードみたい、目がチカチカするぞといった、「意味の前に見えてしまう印象」が、案外そのツイートを読むかどうかの判断に影響するんじゃないかと、密かに考えている。 


だから実のところ私は、意味の切り離しは意味がないとは思えなくて、むしろ読むとか見る快楽の源泉ではないかとすら推測している。たとえば料理の音や生活音をサンプリングして組み合わせるとまったく違う音楽ができあがるように、フィールドレコーディングされた音をパッケージとしてリスニングすると新しい音楽として体験できるように、いったん目の前のものをあえて違うものとして眺めることは、意味に倍音を与えるような、豊かな知覚になりえると思うのだ。あるいは言葉をまだ解さない子どもが無心で絵本を眺めるのも、意味の前にある知覚の楽しさといえないか。 



世界の中心で必殺技名を叫ぶ【犬編】(いぬパパ 著) 

 


文字や言葉から意味を切り離すと、残るのは線と音だろうか。意味をなさない直線と曲線の組み合わせと、発音の響き。音読しようが黙読しようが、意味が消えてしまった後も、入ってくる情報はある。私が楽しんでいるのも、そういう純度の高い線と音なのかもしれない。 


このマンガで高校生男子が犬種の名前を叫びあうのも、意味の切り離しだ。文字や言葉の意味を切り離した後になお音が残るのだから、音に別の意味を付加させることだって可能だろう。ここでは必殺技っぽい名前という、バカバカしい意味を付加している。意味を引っこ抜いて無意味を楽しむわけだから、そのバカバカしさこそ、遊びにふさわしい。 


ドゴアルヘンティーノやレオンベルガーといった珍しい犬種は、聞いたことがないという印象ゆえに必殺技っぽさを感じてしまうのはわかる。しかしあらためてゴールデンレトリーバーから意味を切り離すとなかなかの技名感があるなんて、このマンガを読んだからこその発見だった。 


思えばモノの名前やネーミングも、私たちはそこに意味を読み取ろうとする。だがほんとうは、意味を読み取る前に音の響きで好き嫌いを判断しているのかもしれない。私が働く家電業界など、ダジャレや捩りネーミングの宝庫だが(そしてダジャレや捩りこそ意味が伝わってはじめて成立する種類の言葉だが)、多くの人に受け入れられ、定着する名前のなんと少ないことか。 


そんな流行らなかったネーミングの死屍累々の中、プラズマクラスターは珍しく世間に定着した名前だろう。プラズマクラスターから意味を切り離し、語感だけを吟味した時に感じる必殺技っぽさ。多くの人は同意してくれると思う。そう考えれば、人は意味の前に音で好き嫌いを判じるという私の妄言も、あながち間違いでもないという気になってくるのだ。 

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