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シャープさんさんの作品:うまいこと言いたい

三歩どころか五歩うしろを歩きたい、@SHARP_JP です。みんな、心の中に言いたがりの自分を飼っていると思う。言いたがりの自分とは、他人の話を受けて簡潔にまとめたり、巧みな比喩で言い換えたり、なんか鋭そうに見えるツッコミを入れたり、そういうことをあわよくばしたい自分のことだ。


ツイッターなんてものをやりはじめると、こんな視点はなかったと目から鱗やら汗やらが出てきてハッとさせられる発見や、文字どおり声が出たと思わず笑ってしまう爆笑エピソード、そうそう私が言いたかったのはこれなのよと打つ手で膝を突き破りそうになる共感、よくぞ言ってくれたとだれかれ構わずハイタッチしたくなる垂涎に満ち満ちている。毎日そんなツイートを目にしていると、私もうまいこと言ってみたいと、どうしても自分の中で飼育する「言いたがりの自分」が刺激されてしまうだろう。だれだって無理よりの無理と承知しつつ、無理ゲーにトライしたくなるのも無理ないことなのだ。


ちなみにここまでの文章は、私の中の言いたがりの自分を野放しにして、うまいこと言いたいと思うがままに比喩や装飾を施してみた。読み返すまでもなく、なんと冗長で凡庸な文章か。言いたがりの自分とは、適切に制御しないとただ文字数を浪費するやっかいな存在になる。


ましてや私は宣伝文句を考えることを仕事のひとつにしている。いわゆるコピーライターの端くれとも言えるのだが、そこはまさに、うまいこと言う戦場だ。自社のことをうまいこと言いたい者が、うまいこと言える者に依頼する。うまいこと言える者は己れの能力を証明すべく、うまく言った文章を複数提示する。うまいこと言いたい者はいちばん都合よくうまく言っている文章を採用し、かくして広告には、うまいこと言った文章(自称)が氾濫するのだ。そんな場所で、言いたがりの自分の正気を保つのがいかに難しいか、なんとなくわかっていただけるだろうか。


実際のところ私たちは、うまく言う必要なんてない。正確にいうと、われわれの生活にはうまいこと言うべき場面が、ほとんどない。うまいこと言うあなたなど、だれも求めてないのだ。私たちは、自分が見たり聞いたり感じたことを、ただだれかと共有したくて、言葉にする。ただそれだけの等身大のやりとりに、うまいこと言う余地などあるだろうか。それでも自分を覗きこめばいつも、言いたがりの自分はドヤ顔をしている。だから私は、そいつを慎重に排除しようとするのだが、なかなかうまくいかないのはこのコラムを読めばわかる通りだ。



プロパガンダとわたし(オムスビ 著)


つまり言いたがりの自分とは、自己顕示欲なのだろう。スマートに見られたい。粋に見られたい。おもしろい人と思われたい。中でも賢く見えたいは、相当に抗いがたい魅力があるだろう。


だから私たちは会話や文章で、ついわざわざ、むずかしい言葉を選択してしまう。とりわけ「賢く見えること」が物事を有利に進める上で有効だと思われているビジネスシーンで、小難しい用語が飛び交うのだ。ほんとうは小難しい用語を言わない言葉遣いこそ、知性が問われるというのに。


そうでなくとも、なんとなく賢そうに見える言葉を、言いたがりの自分はたいそう好む。私たちはあわよくば賢く見られたい。このマンガに使いたくてたまらない言葉として挙げられるプロバガンダなんて、まさにそういう種類の言葉だ。


だけど考えてほしい。自分を賢そうに見せなければいけない場所なんて、私たちがほんとうに望んだ場所だろうか。マンガのように、いつまでたっても賢そうに見える言葉が必要にならない生活こそ、私たちが心穏やかにいられる場所なのではないか。もしそうなら、ここはむずかしい言葉を使う場所ではないと常に判断できている、この主人公のような人こそが賢いのではないかと、私なんかはうらやましく思うのである。


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