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シャープさんさんの作品:MOON CHASER

すっかりカメラを持ち歩かなくなってしまった。写真はカメラでなくスマホで撮るのが日常になったことは、私が指摘するまでもないと思う。f値の大小と明るさすらあいまいな私がカメラにくわしくなることはなかったけれど、写真を撮る行為が専用のカメラを介さずに、なんでも自動でやってくれるスマホの機能のひとつに収まったことはよくわかる。現に私たちは楽になったとたん、写真をたくさん撮るようになった。それも膨大な枚数を。


誤解がないように言うと、カメラの存在が消えたわけではないし、カメラが要らなくなったわけでもない。場所や用途にあわせてカメラは使われるようになった。きちんと撮りたい時や晴れがましい時、あるいは客観的な視点や記録としての視点が必要な時、いまだカメラは使われ続けている。カメラを持ち歩かなくなった私たちにとって、カメラは撮るためのモノというより、撮られるためのモノになったと考える方が自然なのかもしれない。


言い換えればカメラはふたたび、撮った写真に対価が発生する人の手に戻ろうとしているのではないか。カメラが貴重で気軽に撮ることができなかった昔のように、あるいは撮影と現像に知識が必要だった頃のように、カメラはいまや「撮る行為そのもの」に意識と技術を有した人が使うモノ、と認識されている気がする。


だから私たちは大きなカメラで写真が撮られている光景に出くわすと、撮っている人はプロで、後日その写真は料金が支払われるものだと思うはずだ。たとえスマホで撮る写真とカメラで撮る写真で数値上のスペックに遜色がなかったとしても、私たちはカメラで撮られることをどこか特別な体験だと感じる部分がある。撮るにしろ撮られるにしろ、カメラは私たちの生活から一線を画す存在になったのではないか。


なぜそんなことを考えてしまったかというと、MOON CHASERという漫画を読んだからだ。この作品では #FR2 と呼ばれるウサギの仮面をつけた男が、他人の私生活を執拗に「カメラ」で撮る。ウサギ男は有名人のスキャンダルを暴く、広義の意味でのスクープカメラマンなのだが、写真を雑誌社に売ることもなく、インスタに暴露写真をあげるばかりでいまいちその意図が判然としない。しかしその男のアカウントは、世間に絶大な影響力を持っている。




呼び名にハッシュタグがつくあたりで容易に想像されると思うが、この漫画はきわめて現在風の物語だ。ウサギ男にスキャンダルを暴かれる者はSNSで一定の人気を誇り、当人もスマホで自らを撮る。しかしウサギ男は彼ら彼女らをカメラで撮る。しかもそのカメラは報道カメラマンのような望遠レンズを備えたものではなく、カジュアルだが高価なカメラとして描かれる。なぜ撮るかの意図が見えない男の意図がカメラ選びにだけは垣間見える。そしてウサギ男の撮影姿は、撮る方も撮られる方も同じインスタを舞台にするだけに、その対比が不気味に浮き彫りとなるのだ。


ちなみに「なぜ撮るか」は物語が進むにつれ、少しずつ明らかになっていく。だが明らかになればなるほど、スキャンダルを暴くウサギ男の暴力的なまでの優位性が、スマホでなくカメラにいっそう重なり、私たちの生活に潜むヒエラルキーのようなものをじわりと考えさせられる。もちろん漫画は完結していないのだけど、私たちの現在に並行するように、物語を読み進めるのをおすすめします。

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2021/11/17 コミチ オリジナル
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