末次由紀のまんがノート 『ちはやふる』の作者・末次由紀先生が、不定期で更新します。 https://comici.jp/yuyu2000_0908/series/69b7261170da5 末次由紀のまんがノート https://cdn-public.comici.jp/series/7312/2021111011435871405F6D4920566E8B639FF417BCD7EB42F.png https://cdn-public.comici.jp/series/7312/2021111011435871405F6D4920566E8B639FF417BCD7EB42F.png D80C24 ja Fri, 29 Mar 2024 10:23:59 +0900 Fri, 29 Mar 2024 10:23:59 +0900 <![CDATA[「造形」の話]]> https://cdn-public.comici.jp/articlevisual/2/default/20210630172953438696FDE06940E587C13B0FC495DF3F8B2-sm.png

・・・・残念なことですが、「見る力」がないのです。


 かつてこんなツイートをしたことがありました。




・・・「奥行きのある顔」の存在を認識していたのに、わかっていたつもりだったのに、やっぱりわかってないな?と自分でも思う絵を描いてしまうことがまだまだあります。




千早・・・まだ平たい顔族だな!?(ちはやふる234首より)


気を抜くとすぐ奥行きを忘れてしまう。


自分が平たい顔で、その造形が骨身に染み込んでいるので、どうしても「奥行きのある顔を描きたい」という思いが付け焼き刃になってしまう辛さ。


正面の顔ではあまり気にならないのですが、下を向いている顔、上を向いている顔の時に如実に「奥行きのあるなし」が伝わってしまいます。


それが辛かったので、最近時間を作って練習しました。「見る力」がないな、ということを感じた時に練習しないと、いつまで経っても手癖で書いてしまいます。


練習して気がついたポイントをここにメモします。 もしも同じように「平たい顔に少しでも奥行きを出したい」と思っている方の気づきになれたら幸いです。


今回も、私の心の奥行き番長【広瀬すずさん】の写真をたくさん見ながら描いてみました。まず下向きの顔。




ああもう、小さな違いが大違いなのがわかります。


描いているつもりでも、ちっとも分かってなかった部分が「眉と目の距離」。ここの距離が奥行きのある顔の人はとても近いです。下を向いたら「目が半分隠れちゃう」くらいの方も欧米人ではいらっしゃいます。


平たい顔でかわいい子もたくさんいますが、キャラクター設定的に「目鼻立ちのはっきりした美人」を描きたい時は、眉と目のバランスがとても大事です。


◆眉と目の幅が近いほうが奥行き顔に見える。 

◆顔の幅はキュッと小さく。(ここではあんまり反映できなかったですが、【耳の位置も目よりもグッと上】にあった方が奥行きの表現として正しいと思います。普通は目の真横に耳はありますが、上から見た場合。)


次にななめ顔を描いた時の気づき。




やはりここでも奥行きのある彫りの深い顔を描くときは「目と眉の距離がポイント」。近ければ近いほど彫りが深く見えるようです。


しかし、ななめ顔を描いた時に気がつきました。上から見た顔を描いた時よりも、「漫画として可愛い」顔にするのが難しい!造形として正しい顔と、漫画として成り立つ顔はまた別物です。


 いいとこ取りを目指すために、第三の顔を描いてみました。




◆左右の目の横幅の差が大きい方が、頭が球体であることが伝わって奥行きを感じられる。

 ◆鼻筋に奥側の目が隠れる方が彫りが深く見える。 

◆目から耳までの距離が大きい方が顔が小さく感じられる。

 ◆耳が少し大きいくらいの方が、顔自体がコンパクトに見える。

 ◆後頭部は大胆に大きめに書くくらいでいい。


海外に住む友人がこの間言っていました。 「同じ頭囲でヘルメットを作っても、欧米人のサイズのものは頭の横幅が狭くて全然入らなかった」


つまりは、自分が思うよりももっと、後頭部だけではなく目の位置、耳の位置も、横側・後ろ側に配置される造形を意識すべきなのです。


まだまだ出来てないこと、描けていないことだらけで恥ずかしいですが、少しずつ気づきを蓄積して行って、いろんなタイプの顔を描けるようにと鍛錬して行きます。


漫画道はまだまだわかってないことだらけです。 (ものすごく研究させていただいた広瀬すずさんに深く感謝を。ありがとうございます。大好きです。)


続きをみる ]]>
Sun, 25 Jul 2021 08:00:00 +0900 https://comici.jp/yuyu2000_0908/episodes/5f55da51907f0/?utm_source=rss&utm_medium=referral 50488 コラム,コミック,comic,エンタメ,電子書籍,WEBマンガ,WEB漫画,無料 末次 由紀(すえつぐゆき)
<![CDATA[「意識」の話]]> https://cdn-public.comici.jp/articlevisual/2/default/20210630164347922D60E219F68E82EF9F257207A7BA26748-sm.png

みんな大好き「浦沢直樹の漫勉Neo」の柏木ハルコ先生の回を見ていました。 


 インタビュアーである浦沢先生がそもそも大大大漫画家であるので、インタビューされる各先生がとても正直に抱えてる思いを開示してくれるのが魅力の番組なのですが、柏木ハルコ先生の回で息が止まるほどの巨大テーマが語られ始めました。


「自分の絵に自信が持てなくなった」 
「自分の絵が古い、衰えていると愕然とした。部数がどんどん落ちていく」 
「どんどん新しいことをしていかないと消えていく」 
「おそらく昔から描いていた絵柄でいたら枯れていく」 
「このまま廃れれる未来しかない」


売れっ子作家の口から語られる、他の誰も言うことのできない繊細で大きな問題に、頑丈で痛めたことのない胃が苦しくなる思いがしました。 


 「絵柄が古くなってしまう」・・・これは、同じ連載を続けているから向き合わないでよくて来ただけで、連載が変わるたびにきっと直面しただろう問題だったからです。


 最近このお話とリンクするように、感じたことがありました。


 とってもかわいい現在進行形で活躍する若いタレントさんの写真を見て、「今の可愛さって、こうなんだ!」とハッとしたからです。


 例えば20年前の浜崎あゆみさんの可愛さ、40年前の松田聖子さんの可愛さ、いろんな年代ごとに違う魅力があります。 


 そのどのあたりを自分は脳内に記憶して「かわいい」と思っているのか。その世代ごとに違う「かわいい」の基準のアップデートができているのか。それは「見せ方のアップデート」でもあるのです。


 試しに書いてみました。




違う。違っていく。新しい「見せ方」に世界は移行しているのに、自分の基準が移行していないとするなら、それは「古い」となって行きます。 


 変わらない良さを取れば、同年代のファンには変わらず受け入れてもらえるでしょう。でも新しい読者には「自分たちのための漫画じゃない」と手に取ってもらえません。


 変わらないことを選んだ漫画家さんと、変わっていくことを選んだ漫画家さんでいつの時代も別れてきて、どちらが寿命が長いとは言えません。


 でも「枯れた手練になっていくんだよね」と言った浦沢先生の言葉が、ものすごく刺さりました。


 手練とは「腕前が優れていること」。そこを目指して技術を磨いて来たのに、上手くなったって枯れることがある。「枯れた魅力」を見せていくことは素晴らしい表現だと思いますが、怖いのは自分が「枯れたつもりがないのに」という場合です。


「手だれの枯れた絵になる前に、新しい絵に変えていく、チャレンジャーになっていかないといけない」(浦沢直樹先生)


今人気の俳優さんやタレントさんは、ちょっと前と全然印象が違います。(例えば基本的に自分は誰を「可愛い」「かっこいい」と思ってきたか、というのを思い浮かべるといいと思います。私は奥菜恵さんと柏原崇さん。25年くらい前から・・・。) 


 新しい人を好きになること、映画やドラマをしっかり見ること、アーティストへのアンテナを張ること、それらを努力しないとキープできないことが悲しいですが、それこそが長く活動するのに必要な努力なのだと思います。


 もちろん自分のカラーや個性を守り抜くのもとても素晴らしいこと。 


 でも「惰性で描いているな」「手癖で書いているな」という崖が見える前に、意識のアップデートをしなければ・・・と強く思いました。 


 なにより、自分よりキャリアの長い先生の危機感に「あの先生だってあがいてる」と勇気をもらえたのだから、あがき続けることには大きな意味がある。 


 ずっと漫画を描いていきたいのです。


続きをみる ]]>
Thu, 01 Jul 2021 15:10:27 +0900 https://comici.jp/yuyu2000_0908/episodes/b723213ff5d72/?utm_source=rss&utm_medium=referral 50378 コラム,コミック,comic,エンタメ,電子書籍,WEBマンガ,WEB漫画,無料 末次 由紀(すえつぐゆき)
<![CDATA[「自分」の話]]> https://cdn-public.comici.jp/articlevisual/2173/78/2020112312001774003C2CC8DFF1B594229886EBB523468C3-sm.jpg

毎回、毎月、死にそうになる。


まんがの話である。


232回も連載を続けているのに、毎回死ぬ思いをして描いている。例えるならフリーダイビング映画の名作「グランブルー」のように、毎回100メートルを越す深海まで行かないともらえない宝石が「まんが」なのかもと思うほど。


目指すゴールに向けて、
あれを描かなきゃならない、
あのエピソードをどこかに入れなきゃならない、
あの人のことを出すタイミングは今しかない、
あの言葉を回想として挟むにはここがベストなのかわからない、
かっこいい絵を入れる必要もあるんじゃない?ページが足りない、
それで伝えたいことが伝わる?
全部入れ込んだとして、
結局この漫画はおもしろいのか?


そんな思いをこね回してこね回しているうちに時間が過ぎ、ループの輪の中に「時間がない」まで加わってくる。


そんな苦しみを味わい続けて、さすがに私も考えた。
どうにかもうちょっと楽に漫画が描けないだろうか。


そうやって悩んで、悩んで、得たものをお伝えする。


観たことのある人はご存知だろうが、映画「グランブルー」の主人公も身体一つで海に潜るわけではなく、ガイドロープに沿って潜る。
あのガイドロープみたいなものが、私にもある。


大事なのは「自分をどかす」という作業だ。


例えばデートをする時、「自分の話を聞いて欲しい」や「自分の抱えた悩み」でいっぱいな人は、相手と心を通わせることは難しい。「自分」でパンパンな心には、誰のことも誰の話も入ってこない。逆に「君は最近どう?」「どんな思いを抱えてるの?」と、聞きはしなくても、そんな気持ちを相手に持って過ごせる人は、デートに向いている。相手への関心が「余裕」となって伝わり、相手の心を引き出すことができるのだ。


「君はどんな思いを抱えているの?」


こうキャラクターに問いかけることができるかどうか、が私にとってのガイドロープだ。


当たり前かと思うかもしれないが、実はこれがなかなかできない。
作家も思いを抱えた人間であり、やりたいこと、伝えたいこと、描きたいシーンをたくさん夢想しているし、できれば人気者になりたい!売れたい!うまいね~って言われたい!と思って机に座っている。

それを、全部どかすことができるかどうか。


どかすのである。


「こういうふうに描きたい」や「才能ある漫画家だと思われたい」という思いを、夢を、欲望を、全部どかすことでしか、ふくらみのある「キャラクターの感情」は立ち上がってこない。

自分の中に隙間を作る、広場を作る、キャラクターが座れる椅子と、思いを聞く部屋と時間を作る。

そうした先にやっと、キャラクターが個性豊かに語り出す時間が来る。


いろんな漫画を読んでいても、面白い!と思う瞬間は「キャラクターが生き生きとしてることが伝わるページ」だ。

ここでこんなことする?ここでこんなこと言う?ストーリーラインに沿っていては出てこない寄り道や脱線をする瞬間に、キャラクターが「生きている」とわかる。


まんがを描く時にはいつも「テーマは?」とか「伝えたいことは?」とか、『言いたいことを持ってないと描いてはいけない』くらいの圧力で作家は問われるのに。

なのに、それを放り出して、キャラクターの話が聞けないと面白くならないのだ。

232話を描きながら、苦しんだ末にハッとして「話を聞いてなかった」と頭の中に椅子を用意して、私はあるキャラクターの話を聞いた。

そしたら、思いもしなかったほどのそのキャラクターの優しさと悔しさと思いやりが伝わってきて、これまでにないくらいボロボロ泣いている自分がいた(あんまりないことで自分でもびっくりした)。

この人のこの想いは、作品の本筋には関係ないかもしれない。

だけど、この気持ちを伝えないで、なにがまんがだろうか。
うんうん唸ってばかりだった暗い海の底で、一本「これを描くためにこのまんがはある」という光の筋が見えたのだ。

構成や演出や絵柄で読者をうならせることができたとしても、読者の感情を揺さぶることができるのは、キャラクターの感情だけなのだと強く感じる。


「自分」をどかすと、キャラクターが話し出す。


それをどれだけしっかり聞けるかどうか。
その受け止めが真摯かどうかが「魅力的なキャラクター」をつくる唯一の手段だと、長い苦悩の末に思う。


でも多分、また来月も「死ぬ...」と言っているのだと思うけど。


続きをみる ]]>
Tue, 24 Nov 2020 10:00:00 +0900 https://comici.jp/yuyu2000_0908/episodes/3da09902292a2/?utm_source=rss&utm_medium=referral 29555 コラム,コミック,comic,エンタメ,電子書籍,WEBマンガ,WEB漫画,無料 末次 由紀(すえつぐゆき)
<![CDATA[「時間」の話]]> https://cdn-public.comici.jp/articlevisual/2173/78/202008241256470075613EED588614F2A7046057325A9AA8A-sm.png コロナ禍で世界中の活動が止まっていた今年の5月。

ちはやふる基金でカレンダーを作らない?という話になりました。

(わたしは漫画家をしながら、ちはやふる基金という社団法人の理事もしています)

支援予定だった大きな競技かるたの大会も軒並み中止になってしまい、選手のみなさんほどではなくても、自分自身も少なからず落ち込んでいました。

今年の選手みなさんの無念をどう受け止めたら…

考えても考えても消化できないやりきれなさを感じていました。


わたしは10代の親戚や友人に何かをプレゼントするとき、時計をあげることが多いです。

「時間を大事にしてね」

そう言っていつも似合う時計を買って渡していました。


今流れていく1秒1秒は、絶対に戻ってこないかけがえのないもの。

そう知っているのと知らないでいるのとは、届く地平が違うと感じるのです。


その大事な時間のどれくらいが、今年の人類の「どうしたらいいの」という右往左往で消えていったか。

積み重ねた努力と準備が無になっていく……そんな無力感に襲われた人も多いのではないかと思います。


そんなときに「カレンダーを作りません?」という話。


カレンダーは言うまでもなく未来があることを示すものです。

今年で燃え尽きる予定だった、でもそれがなくなった…そんな人にも来年は来るし、来年は来年の春夏秋冬が来るのです。


来年のカレンダーを思い浮かべると、書き込みたいものがたくさん出てきます。まず大事な人の誕生日。自分にとって大事な記念日。長期休暇の有無もチェックしたくなります。

動きがちな祝日はどうなってる?

来年の高校選手権はどの辺だろう?


ああ、カレンダーって時間のはしごなんだな、と思いました。

登っていく1日1日が見えるのです。

奪われたのは機会であり時間ではなかった。時間はいつもそばにいて、成長か休息のために平等でいてくれたのだ、と。


「白黒のイラスト6枚あれば、カレンダー作れます」


そうかあ、がんばろうかな。


描きました。まず新、すみれ、太一、かなちゃん、しのぶ、千早。

ああでも全然だめ。絶対ダメ。12ヶ月全部いる。みんなに選んでもらえるカレンダーになりたいのに、省力するわけにいかない。

12ヶ月全部描こう。カラーで描こう。毎月添える百人一首の一首一首と、ちはやふるのみんながそばにいることを喜んでもらえるような、そんな絵を書こう。


連載の原稿を書く間の、家族と過ごす間の、10分、15分、そんな小さな時間をかき集めて、12枚イラストを描きました。


表紙もいいものにしたい。リラックスした一年のスタートに、ほっこりしてもらいたい。

誰も書けと言わないのに、ちはやふるの8人がみんな「好きなものに包まれる」様子のカレンダーの表紙を描きました。


わたしは漫画を書くことと、絵を描くことしかできない。

その力をどれだけでも使う。そのために、何より大事な時間を使う。

カレンダーに書き込む「予定」のその他の、書き込まない日は全て、わたしは絵と漫画に使います。


そんな風な思いを込めて2021年のカレンダーを作りました。

みなさんのそばに365日置かれるカレンダーになることを願っています。

そして来年のカレンダーに、たくさん競技かるたの大会の予定が書き込まれますように。


2021年チャリティー描き下ろしカレンダー特設ページ


続きをみる ]]>
Wed, 26 Aug 2020 15:25:59 +0900 https://comici.jp/yuyu2000_0908/episodes/b3dcf14a0e21f/?utm_source=rss&utm_medium=referral 25798 コラム,コミック,comic,エンタメ,電子書籍,WEBマンガ,WEB漫画,無料 末次 由紀(すえつぐゆき)
<![CDATA[「空腹」の話]]> https://cdn-public.comici.jp/articlevisual/2173/78/202008241336333695613EED588614F2A7046057325A9AA8A-sm.png #初めてのファンレター(小学生限定:ファンレターくれたら全員にお返事書きます)という一人キャンペーンをした結果、240通(8月以降またお手紙が届き260通に)小学生さんからのファンレターをもらいました。

そしてこの二週間で170名の小学生にお返事の葉書を書きました。(みなさんありがとうございます!)


その中で特に何度も聞かれるのが

「なぜ漫画家になろうと思ったんですか」


これはどんな漫画家さんでも、というかあらゆる職業選択の経験のある皆さんも聞かれることがある質問です。

「なぜその仕事を選んだの?」


わたしはそのたびに何度も考えてきました。なにせ2千回くらい聞かれてきたから。

「他にできることがなかったから」と最初は答えていたんです。

それもほんとうですが、もっと芯の方を見つめてると、またちょっと違う言葉が出てきます。

自分の選択の理由は 


「足りないと思ったから」


小学五年生くらいから漫画を描いていて、中学生になり本格的に投稿原稿を描いていたんですが、その時はまだ「(他の人よりも)絵が好きだから」くらいの理由でした。


その当時大好きになった漫画家さんがいました。(高河ゆん先生なんですが。)


もう、なんでも買う。

その先生の作品の漫画もイメージアルバムも画集もファンブックも全部買う。「新刊案内」を毎月チェックして、何月に新刊が出る!と確認して、出ないとわかってる月も「とは言ってもチェックしきれてない新刊が出るかもしれない」と本屋さんに通って。


もちろん貧乏な中学生。

お金がなくなって、投稿用の原稿用紙が買えなくて、一時投稿を中断するくらい。


そんなふうに買いあさって全部堪能した後に思ったんです。


「足りない」と。


どんなに読んでも空腹でした。そのくらい尊敬し、大好きな漫画家さん。その存在がそもそも素晴らしいんですが、でもわたしは満たされなかった。


自分の好きな漫画がこの世に足りない。


もう、自分で書くしかない。


わたしの着火点はここでした。

中2から高2でデビューするまで3年間で34作も投稿作品を描きました。


「なぜ漫画家になろうと思ったんですか」


お腹が空いたからです。足りないものに出会ったからです。自分で作るしかないと思ったからです。


だから思うんです。 

 「なんの仕事を選んだらいいの?」 そう思う時、自分自身に聞いてみてください。

 「君はなにが『足りない』?」 


好きなアイドルに会える回数が足りない、好きなお寿司を食べる回数が足りない、ゲームする時間が足りない、寝る時間が足りない、世界に平和が足りない・・・・ 


いろんな「足りない」ものの中で、自分が切実に願い手を伸ばすもの。 

 そこに踏み出すしか、人生を、自分を充足させられる方法はないと、わたしは心の底から思います。


漫画を20年以上書かせてもらって、今書いている連載もそろそろ45巻という長い作品で、いろんなことを経験させてもらったから、自分の中の漫画家としての欲みたいなものも大人しくなってきた気がします。 

マグマみたいだったのが、温泉くらいの温度になった気がします。


でも、その自分の着火点を思い出すたびに、どんなに眠くても受験勉強がキツくても投稿の締め切り日に郵便局に走っていた情熱を思うたびに、「まだまだ『足りない』を持っているままだ」と感じます。


わたしがもらった感動を、わたしはまだ返せていない、と身がちぎれるほど思うんです。


頑張ってもとても手の届かない憧れが、今でも自分を引っ張っていると感じます。

どこまで行けばゴールなの?それはまだ全然わかりませんが、これだけは言えると思います。 


「足りない」と思った時が、人生のスタートです。


続きをみる ]]>
Wed, 26 Aug 2020 15:26:10 +0900 https://comici.jp/yuyu2000_0908/episodes/3a9b3a19a8012/?utm_source=rss&utm_medium=referral 25800 コラム,コミック,comic,エンタメ,電子書籍,WEBマンガ,WEB漫画,無料 末次 由紀(すえつぐゆき)
<![CDATA[「仕事」の話]]> https://cdn-public.comici.jp/articlevisual/2173/78/20200203161918404FA34A8ED5D1D3CA3876B8D6FBC733581-sm.png

そんなひょんなことで頂いた「人生がときめく片づけの魔法」。

まだ近藤麻理恵さんの快進撃が始まる前で、不勉強ながら私も本をいただいたタイミングで読ませてもらって、初めて「こんまりメソッド」に触れました。


人生がかたづく魔法は伊達ではありませんでした。


読んだ日から、私は帰宅するたびに「おうちただいまー」とお家に対して挨拶をするようになり、「これにときめきを感じるか・・・?」という基準でものを取捨選択するようになり、捨てなければならない様々なものに「これまでありがとうね」と心の中で言うようになりました。


こんまりメソッドすごい。

片付けを方法論ではなく、哲学にして、考える核を明確にして、「とりあえず」とか「ねんのため」よりも大事なのは「自分の人生」なのだと示してくれました。


しかし。私が感銘を受けた一番の事実は、そのメソッドではありません。


近藤麻理恵さんが、5歳の頃から片づけのことばっかり考えていたというエピソードでした。


5歳の頃から片付けのことばっかり考えていた・・・・!?

5歳なんて、後先考えず全てのものを欲しがって、1時間で飽きて放り投げて、また新たな欲しいものを来年のサンタにお願いするような、そんな時期から、片づけのことばかりを考えていた・・・・。


それもすごいんですが、

私はその早熟に感銘を受けたのではなく、

「好きすぎることを貫いたら、なんであってもそれはいつか仕事になる」

ということを、近藤麻理恵さんが身をもって示してくれたということです。


私は漫画家になったのですが、なぜ漫画家になれたのかといえば、読んでた雑誌に投稿コーナーがあり、「こういう手順で編集部にまんがを見せていけば、うまくすれば漫画家になれるよ」という道筋が可視化されていたからです。

いまでも絵本作家になる方法はわかりませんが、漫画家はよくわかります。


なりかたが分かりにくいものや、そもそも職業として確立されてないもの。

それらにどうにかたどりつく、もしくは新しく作り出し、「仕事」にする。

そのパワーは、尋常ならざる執着からしか生まれません。


いまはまだ仕事になっていなくて、それでも頑張っている人がいる分野を見ると、異常なほど頑張ってかじりついて欲しいと思う自分がいます。


そこまでのパワーは、どんな分野であっても注目されうるのではないか。

されるべきではないか。


「競技かるた」をいつか「仕事」にする人だって出るかもしれない。


こんまりさんのエピソードを思い返すたびにそう思うんです。


続きをみる ]]>
Fri, 07 Feb 2020 11:19:01 +0900 https://comici.jp/yuyu2000_0908/episodes/f35dfcee55bc4/?utm_source=rss&utm_medium=referral 16177 マンガ,漫画,コミック,comic,エンタメ,電子書籍,WEBマンガ,WEB漫画,無料 末次 由紀(すえつぐゆき)
<![CDATA[「反応」の話]]> https://cdn-public.comici.jp/articlevisual/2173/78/20200116113116640E8217F52AC2A360CF25844F361F406CE-sm.png

コミチで文章を書かせて頂くことになりました。末次由紀です。はじめまして。

思いの整理としての散文になると思うのですが、お時間ある時に読んでもらえたらうれしいです。


そう、うれしいです。


読んでもらえるとうれしいんです。なんならそれに「いいね」がついたり、コメントがもらえたりすると、うれしいんです。


その「うれしい」は、社会性のある生物にかけられた大いなる呪いだと思っています。


「人は『反応』をもらうためならなんでもする」


これはおそらく内田樹さんの本で読んだ言葉で、わたしは読んだ瞬間自分にもかけられているその呪いを自覚しました。


話しかけたら返事をして欲しい。

文章を書いたら「読んだよ」と言って欲しい。

ドジをしたら笑って欲しい。

その気持ちが行き過ぎると、人は


コンビニの冷蔵庫に入って笑う自分の写真を友達に送ってしまう・・・

その友達は「ウケる」と思ってまた違う友達に送ってしまう・・・・

その友達は「誰これ知らんけど笑う」と思ってTwitterにあげてしまう・・・


これ全部だれかの「反応」が快感だからです。

なんでそんなことを?と思う行動の底には「反応が欲しい」という呪いがあります。「いい反応」だけではなく、「悪い反応」であっても人はとにかくもらいたい生き物なので、ギョッとするようなことも人は言ったりやったりします。

怖いことです。そこまでくると「反応」の亡者です。


反応が欲しいというのはとても真っ当な欲望で、人は誰かの「反応」を得て自分の実存を認識します。言葉や考えのキャッチボールができるかどうかに関わる、社会性を持つためにとても大事な感覚です。


だからこそ「反応」は麻薬で、足ることを知らないと、もっともっとと欲しくなります。

「反応」の亡者は、より短絡的に反応を得られるインパクト炎上案件に魂を売ってしまいます。


自分や周囲の大事な人を「反応」の亡者にしないために、私が気をつけていることは「ちゃんと受けとめたよ」というレスポンスを返すこと。


漫画の中でも気をつけてます。キャラクターのアクションのあとちゃんと他の誰かのレスポンスがあるようにと。そこに読者の小さな安心が生まれることがわかるので、丁寧に「反応してる顔」を入れます。

ボケとツッコミもそうですが、適切な反応は人の生きるリズムを整えます。


「人は『反応』をもらうためならなんでもする」

大事なことだから二回いいます。あ、書きます。


「人は『反応』をもらうためならなんでもする」

三回目だ。


「反応」が欲しい、は人間の性(サガ)です。

だからこそ「反応」に振り回されないで、さみしいとき・不安なときも

「ああ、自分は反応が欲しいだけなんだなー」

「じゃあ不特定多数じゃなくて、早くポジティブな反応返してくれそうな友達に話しかけちゃおう」

なんて思って、その気持ちをコントロールしようとすることに大きな意義があるし、周囲の人の快適さを守ることにもこの理解は大いに役に立ちます。


知っていますか。

呪いっていうのは、あるんですけど、自覚するともう呪いじゃなくなるんです。


ここまで読んでくださった皆さんが「反応」からちょっとだけ自由になれますように。


コミチさんへの初めての寄稿なので、どなたがどのくらい読んでくださるのか全くわかりませんが、反応ゼロでも折れない心で、時々文章を書きにきます。


よろしくお願いします。


続きをみる ]]>
Thu, 16 Jan 2020 11:31:00 +0900 https://comici.jp/yuyu2000_0908/episodes/dca04e5977fdf/?utm_source=rss&utm_medium=referral 15351 コラム,コミック,comic,エンタメ,電子書籍,WEBマンガ,WEB漫画,無料 末次 由紀(すえつぐゆき)
<![CDATA[ちはやふる基金、はじめます!のマンガ]]> https://cdn-public.comici.jp/articlevisual/13/78/20200108213107389F97B0DF3E688E17DC6552AAF8D25EF84-sm.jpg ©末次由紀/講談社 ちはやふる基金についてはこちら。 https://chihayafund.com/about 寄付のお願い。 https://syncable.biz/associate/chihayafund/donate/ グッズの購入はこちらから。 https://chihayafund.stores.jp/
続きをみる ]]>
Wed, 15 Jan 2020 14:09:53 +0900 https://comici.jp/yuyu2000_0908/episodes/05acbbed2dd05/?utm_source=rss&utm_medium=referral 15301 マンガ,漫画,コミック,comic,エンタメ,電子書籍,WEBマンガ,WEB漫画,無料 末次 由紀(すえつぐゆき)