気候も気持ちも寒い日が続きます、@SHARP_JPです。このコラムは毎週連載という体裁なので、今回が2020年最後の掲載。年内最後といえば、その年をあれこれ振り返り、良いお年を、なんて締めるのが定番だろうと書きはじめたものの、まったく振り返る気が起きない。2020年は、なにがなんだかわからないまま災厄が世界を覆い、私の生活も流されるまま、物理的に閉じてしまった。あなたも、あなたのまわりの人も、そうだろう。
災いは猛威や収束と表現されるような波を持ち、その度に私たちは息を詰めたり、ほんの少し一息ついたりするけど、その顔半分は常時マスクに覆われる日々だ。
思えば先日、とある広告系のメディアから「今年を振り返ってください」といただいた取材も、恐縮しながら断ったのだった。その取材項目には「2020年を総括」「チェックすべきトレンド」「新しい様式と古い生活」といった語が並び、私はどうしても、それらに呼応した言葉を述べる気になれなかった。
だいたい私は、なにかを俯瞰するような能力を持ち合わせていない。どちらかというとうつむきながらとぼとぼ歩く、内向的ゾンビのような人間だ。ゾンビのような人間とは矛盾した表現だが。
それに加えて、今年の不透明さである。世界は、生活は、安心は、悪くなっているのか。良くなろうとしているのか。わからないなりに、少なくともどっちを向いているのか、それすらわからない。いったいこれからどうなるのか。まるで見通しが立たない一年を、私たちはおろおろ歩んできた。驚くべきことに、見通しの立たない感じは、いまだ1ミリたりとも変化がない。
だから私は、今年を振り返るという取材に応じる気が起きなかった。同時に私は、その見通しの立たなさが「安易にわかったつもりになるな」という警鐘に思えてならなかった。総括とかトレンドといった言葉には、それを語る者に予断や俯瞰を迫る圧がある。私はその圧から逃げ出したのだ。だが年をまたいでなお「わからない」という保留にとどまろうとする私の感覚は、「苦しいけど正しい」というギリギリの誠実さを、私の中で主張し続けている。
たしかにゆく年くる年とは、振り返るという行為を挟んで成り立つものだ。振り返りを放棄したら、新しい年はやって来ないのかもしれない。だけどいまは、安易にわかったふりをしないことが、私ができる唯一の俯瞰なのではないかと考えている。
どこにでもいる投資家が生まれ変わる日(オレカタ! 著)
ついさっき、私はこのマンガを読んだ。そしてここで描かれた、あまりのリアリティに深く納得してしまった。2020年の暮らしや不安を、ここまで等身大に描いた記録を、私は見たことがない。
地に足がついた生活といったって、その地は分断され、私の地とあなたの地は地続きではない。なにがふつうか、すぐ揺らぐ社会にあって、ニューノーマルがいまだにどこのノーマルを指しているのかよくわからないけれど、世界が不安だという認識だけは、あらゆる人に共通した公約数だろう。みんな、平等に不安だった。このマンガのように、模索と逡巡を繰り返した人も多いにちがいない。たいへんな一年。そしてそのたいへんはまだ続くようだ。
なにはともあれ、あなたも私もなんとか無事で、年の暮れに立っている。それだけでも喜ばしいことだと思う。
今年もこちらのコラムにお付き合いいただきありがとうございました。みなさん、無事な年をお過ごしください。
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