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シャープさんさんの作品:異種との遭遇

だいたいいつも動物と暮らしてきました、@SHARP_JPです。家にはほぼブランクなく犬がいたし、熱帯魚やカメ、カエル、ウーパールーパーも飼っていた。カブトムシをはじめとした昆虫もひととおり飼育したことがある。街中で育ったわりには、なかなか多様な動物と触れあってきた方ではないかと思う。この点は親の教育的配慮があったのかもしれない。結果的に私は人間より動物が好きな大人に育ったから、その配慮も成功したのだろう。虫は少し苦手になったけど。 


いまは犬を飼っている。去年まではインコも飼っていた。インコは病気で急に死んでしまって、それ以来飼っていない。けれどいまでも、インコとの暮らしはたのしかったなとじんわり思い出す。そして時々、なぜインコとの生活がそれほど印象深かったのかを考える。 


そもそもペットを飼う醍醐味は、異種との交流だろう。人間と異なる生物と心を通わすこと。その尊さは動物と暮らしたことがある人なら、だれしも首肯すると思う。そしてそれなりにいろいろな動物を飼ってきた私は、その尊さにも2つあるような気がしている。つまるところ異種の尊さとは、同類のように交流する喜びと、越えられない壁を感じながら交流する喜びだ。 


前者は犬や猫を想像してもらうとわかると思う。犬や猫がまるで人間の子どものように思える瞬間。犬や猫が兄弟のようにふるまう瞬間。私の気持ちを代弁してくれるように、犬や猫が寄り添ってくれる。そのような時間はつまり、動物を心からの仲間だと信じられる経験となる。 


一方、後者は少し様相が異なる。明らかに人間とは違う、種と種の距離を感じつつも、それでもなお交流が生まれる関係、とでも言えるだろうか。もしあなたがETに遭遇したら、というのが近いかもしれない。 


インコを飼うと、日常的にその脚を近くで見るようになる。鱗のようにひび割れた皮膚と鋭い爪は、ギョッとするほど恐竜を想起させる。眼は漆黒で底知れなさを湛える。絶叫とも形容すべき鳴き声。不意につつかれ、噛んでくる嘴。そして羽だ。私たちが持ちえない、飛ぶという能力。インコと暮らすと否応無く実感するのは人間との違い。哺乳類と鳥類の途方もない生物的距離だ。 


だがそれでもなお、インコは飼い主を慕ってくる。肩に止まり、手に包まれ、私に向かって歌いさえする。人間とインコとの間には、深い溝が近寄りがたく横たわっているのに、私と仲良くしようとしてくれるのだ。その歩み寄りに遭遇するごとに、私はかたじけないと思い、同時にインコと暮らす尊さを感じてきた。それが越えられない壁を感じながら交流する喜びである。 


人類と甲殻類(岡崎つく 著) 

 

 

だからもし私が甲殻類と暮らすことができれば、圧倒的な壁を感じながら心が通いあうという、矛盾した交流が実現するのではと夢想してしまう。このマンガからは少し飛躍するかもしれないけど、人間と甲殻類が仲良くベンチに腰掛けておしゃべりする様子に、どうしてもインコとの交流を重ねてしまう。 


 甲殻類との暮らしは、圧倒的な種の違いを痛感する連続だろう。はさむ力は強いし、跳躍力なんて想像を絶するはずだ。つい指なんかを挟まれたら、血が流れるだろう。それでもなお、私のもとへにじりよる甲殻類。はさみや尻尾を振り上げて、なにやら語ってくれる。ぜったいに秘密だとされる脱皮だって、私にだけは見せてくれるかもしれない。そんなことされたら、私は泣いてしまうだろう。そして甲殻類の成長を喜び、これが圧倒的成長というやつだな、と語りあうのだ。 


案の定さいきんの私は、もう一度インコを飼うかどうかを悩み続けている。 

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