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シャープさんさんの作品:不安を心配に変換したい

息を詰めるような毎日。@SHARP_JPです。もし不安の総量を計測できる装置があったら、世界が抱える不安は、有史以来いまがもっとも多いに違いない。口にしなくとも、ツイートしなくとも、私もあなたも、そして別のどこかの国の人も、言いしれぬ不安をずっと、おそらくこれからもずっと、持ち続けるのだろう。


もちろん人によって、不安のグラデーションはある。そのグラデーションが、すべての人にとって必要な行動変容を促す際に、障壁になることもあるのでしょう。みんなが同じ不安をうっすら共有しているのだが、それぞれがそれぞれの心のうちに抱える不安には濃淡があって、だからそこに分断が生じてしまう。自分の選択しうる最小限の生活を送りながら、仕事をして、ツイッターを見て、テレビをながめていると、世界が抱える不安には、なぜか分断を促進してしまう側面があるように思えてくる。


不安は得体がしれない感情だ。先が見えない、触れることができない、どこにあるかわからない。とにかく悪い結果の可能性だけが次々と提示されるのみで、そこへ至る道筋に、みんな皆目見当がつかないから、怯えて背中を丸めるくらいしか選択肢がない。そういう状況の心持ちを、わたしたちは不安と名付けた。とにかく名付けることで、気持ちのフォルダ分けだけでも可能にし、ほんの少しでも、冷静さを得ようとしたのかもしれない。


しかし具体性と想像力を欠いた感情は、未来を閉じる。不安を動力に、人を先へ進めることは難しい。想像できない時間、わからない場所へ、一歩踏み出すのはだれだって至難の技だろう。結局のところ私たちは、得体のしれない感情が湧きあがるたびに、不安というフォルダへ雑に気持ちを放りこむばかりで、オロオロ立ち尽くすことになる。


しんぱいするのは、悪いことじゃないよ(やじま けんじ 著)



不安を不安と認識したまま、先に進めるにはどうしたらいいか。このマンガを読んではっとさせられました。しんぱいいぬと一緒に暮らす、土佐犬のとささんが言ったことば「しんぱいっていうのは未来を期待する気持ちだ」「むしろ…前向きになるよ」


繰り返すけど、不安は得体のしれない感情だ。不安には対象がない。ぶつける先がないのだ。一方、心配には「こうなるかもしれない(しなったらイヤだな)」というイメージがつきまとう。そのイメージがあれば、立ち尽くすことなく、気持ちと行動を投じることができるはずだ。


「怒られる」不安を抱えた人は、なにが起これば怒られるのか、少しイメージしてみる。たとえば「遅刻する」というイメージが湧くなら、遅刻する自分にはせめて、対処のしようもあるだろう。イヤなこと。許せないこと。起こってほしくないこと。まずはそこまで考えられれば、未来の自分が心配して姿を現わす。


不安に想像力を付加すること。たとえネガティブなことでも、想像力で具体的な像を結んでいくこと。そうすることから、私たちは不安を心配へと、更新できる。正しく恐れるとはにわかに耳にするフレーズになったけど、無力なわれわれはまず、等身大の知性と落ち着きで、心配を取り戻すことが必要なのかもしれない。不安を心配にスライドできれば、私たちはようやく未来について考えられるのだ。

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