シャープさんの作品:卒業の頃

卒業の頃

なんら卒業できていません、 @SHARP_JP です。子どもが多いエリアに住んでいるせいか、生活していると季節のめぐりとともに、学校的行事を感じることができる。自分の生活に起伏がなくとも、近所を歩いていればフォーマルな親子連れや大きな花束を目にすることができて、なんとなくたのしい。ただし鈍い私はいつもそのまま駅へ行き、袴姿の人が歩いているのを見てようやく、そうか卒業式シーズンかと気づくのだが。

 

 

フラフラというかダラダラというか、私は卒業を先延ばしにしたせいで卒業式に出なかったりして、卒業というものにあまり実感がない。ただでさえ切り替えたり捨てたりが苦手で、なにかの行為を卒業することにも無縁だ。これまで卒業したのはタバコぐらいだろうか。

 

それでもだれかが晴れがましい姿で卒業を迎える様子を見たら、私もなんとなく晴れがましい気持ちになる。仕事のメールで「会社を卒業します」と連絡があれば、たとえそれがほとんど記憶にない人であっても、うっすら清々しい気分になる。もちろん実際はどうだか知らないけど。

 

いずれにしろ卒業はなにかの終わりを示す言葉だが、同時に「次がある」ことを確実に含む言葉だから、希望を発している。お別れなどと表される終わりよりずっといい。だから袖触り合うも他生の縁とさえ言えない、見ず知らずの卒業ですら、おめでとうと言いたくなるのかもしれない。

 

だれかの卒業(みりこ 著)

顔も名前も知らない人の卒業を祝福するマンガである。ただし机の落書きをラリーしあう交流のあった人だから、袖どころか創作が触り合った多少の縁だ。赤の他人の卒業ですらエールを送りたくなるのだから、つかの間とはいえ、アイデアの交換があった先輩の卒業は、ほんのりした寂しさを含めて感慨ひとしおだろう。

 

もう相手には届くことがないのに「私も楽しかったです」と落書きする最後のターンが、まさにふたりの終わりを示す。しかし高校の卒業は、同時に新しい生活のはじまりだ。先輩が新しい道に踏み出したという確信が、さみしい気持ちをやさしく包んでいるように、私には見えた。

 

それにしても卒業は、その後にしばしの休みを挟むのがいい。ゆく年くる年なんかの、大晦日と新年の切り替わりの速さに「えっ」とつんのめってしまう感覚に比べれば、卒業は卒業する人もそれを見届ける人も余韻を取り込む時間がある。ちょうど今ごろのゆっくり新生活に向かう世間の空気が、私はとても好きだ。

 

なにかの卒業をむかえたみなさん、ご卒業おめでとうございます。やがてはじまる、どうぞ楽しい新生活を。