「ここをキャンプ地とする」と「ここでキャンプしてもよい」

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シャープさんさんの作品:「ここをキャンプ地とする」と「ここでキャンプしてもよい」

自分の居場所と呼べる場所はありますか、@SHARP_JPです。


いま(now)ここ(here)は、どこでもない(nowhere)とか言われると単純にかっこいいと思うし、根無し草や転がる石とかいう言い回しには、一匹狼的なヒロイズムを感じてしまいます。


しかし実際のところ、居場所がないのはつらい。生活を安定して継続させる足場がないという、物理的な居場所のなさはもちろん、ある集団の中で孤独を感じてしまう、心理的な居場所のなさだって、そうとうつらいものだ。


いまの時代、学校にしろ、会社にしろ、そこで心が参ってしまって、社会的な困難を抱える人で溢れているわけですが、それもほとんどは「居場所のなさ」に起因すると断じるのも、あながち大げさなことではないと思う。ぼっちというと軽く聞こえるかもしれないけど、その言葉で語られる膨大なつぶやきを見るにつけ、私は思います。集団や組織の中で居場所がないと感じることは、とてつもなくしんどい。


居場所がないというしんどさは、あなたが居場所を見つけられないことが原因であるように考えられがちです。居るべき場所が見つからないから孤立する。だから不安なのだと。しかし実際のところその不安は、居場所を見つけただけでは解消しない。不安定な集団の中では、そこが安全で安定した場所かどうかなんて、だれもわからないからだ。


たぶん「居場所がない」しんどさは、ここに難しさがある。集団内のどこかに居場所を見つけた人だって、そこが持続するかわからない不安を抱えてしまう。居場所がないつらさは、居場所が見つかれば解決するのではなくて、その場所がだいじょうぶだと保証する存在が必要なところに、問題の根深さがあるのではないか。


つまり「私はここに居れそうだ」という予感と同時に、「あなたはここに居てもよい」という他者の承認があってはじめて、私たちは居場所がないつらさを解消できる。学校でも会社でも「あなたはここに居てもよい」と承認する他者(あるいは仕組み)の不在こそが、しんどさに出口を見えなくさせているように思うのです。


だからいまや、その不在をネットが埋める時代なのかもしれなくて、そう考えればフォロワーやいいねだって、ある種のYouTuberやインフルエンサーだって、居場所のないしんどさにスマホから手を差し伸べる存在なのでは、と私はそこまで想像を広げたくなる。


水曜どうでしょうの名フレーズを借りれば、「ここをキャンプ地とする」と宣言する不安に、そっと「ここでキャンプしてもよい」と後押ししてくれるのが、SNSやYouTubeの向こう側にいる存在なのかもしれない。


学校に行かないことを認めて欲しかったそんなわたしは、

(のまり著)


それにしたって、学校に居場所がない子どものしんどさは、想像を絶するものだろう。大人よりも世界が狭い子どもは、居場所の選択肢も見識もずっと少ない。だから居場所を承認する他者がいない時の不安と絶望は、大人よりもはるかに大きいはずだ。


その不安と絶望を経験した主人公は、いま居場所のない子どものために、そしてかつて居場所がなかった自分のために、「あなたはここにいてもよい」と承認する側の大人になった。作者のプロフィールを拝見すると、看護師をしながら漫画を書いているとあるので、文字通りしんどさに寄り添うプロフェッショナルになられた、ということなのだろう。


さらにいえば、作者は漫画こそを居場所として、しんどさを潜り抜けて来られたのかもしれなくて、この作品の背景に私は、どこか誠実さを感じてしまう。どうかこれからも、あなたはここにいていいのだ、と語りかけるような作品を描いてほしい。いまは居場所を承認する側が、圧倒的に人手不足な時代だと思うから。

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