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シャープさんさんの作品:ぼっちの筋金について考える。

なにもかもが置いてけぼりでもう8月だ、@SHARP_JP です。外食において、どこまでぼっちで入れるか問題は、しばしばインターネットでお見かけする話題です。私自身、焼肉だろうが、牛丼だろうが、居酒屋だろうが、たいていのお店にぼっちで入るのは平気。むしろ自分の中で、ぼっちが好ましい時もあるわけで、自分のぼっちレベルなんていちいち表明することかな、という感覚がある。


ただぼっちが平気といっても、ぼっち中に何の自意識も発動しないほど、私もぼっちに筋金が入っているわけでもない。何らかのお店に入り、ぼっちで飲み食いする時には、私もヒトの目が多少は気になる。だけどそのヒトの目を気にする先は「ぼっちの自分が不憫な人に見えているのではなかろうか」というよりは、「ぼっちでいる私がほかのお客さんの注意を引くあまり、このお店の居心地を損なっていないだろうか」といささか複雑なカタチで、自意識がむくりと起き上がってくるのだ。こういうぼっちを、お店をされている方は、どう思われているのだろう。


ぼっちが平気だと言い張りつつも、結局私だって心おだやかにいられるわけもなく、なんとなく気ぜわしい自分がカウンターの1席を占拠しているわけです。そして自分がどう見られているかより、自分がどう周囲に影響しているかを気にするあたり、私はぼっちへの耐性がついたのか、それとも加齢による、おじさん特有の傲慢さの入り口に立っているのか、なんとも気になるところではある。


ちなみに私がいちばん好きなのは、ひとつのテーブルを囲む人数で、つまり4、5人の気心しれた人とだらだら飲み食いすることです。

BHT(ぼっち花火大会)のススメ(にしもとのりあき 著)


いまこの国のインターネットで、陰キャ・非リア漫画を描かせたら右に出る者はいないのではと、密かに私が確信するマンガ家 にしもと先生の新作です。


BHT:ぼっち花火大会。ぼっちのプロを自称しそうな主人公が、花火大会にひとりで赴くメリットがロジカルに語られます。ロジカルなようでいて、ただの屁理屈なんだけど。ソロがゆえに、花火鑑賞の場所取りがしやすい。カップルあるいは家族連れのブルーシートたちが配慮して空けた境界でさえ、ぼっちにとっては十分なパーソナルスペースだと主張するその論は、そのままお花見にも適用されそうで、筋金入りのぼっちを感じてしまう。春も夏も、そしておそらく冬も、彼のぼっちな季節が思い浮かび、私は同情を禁じ得ない。


ただし花火大会は、ほかのBSE(ぼっち参加イベント)と違って、ぼっちにやさしい可能性は残されている。なぜなら花火は夜に行われ、だれもが夜空を見上げるからだ。そこでは万人の視線は等しく上を向き、地上ではだれかと視線が交差することはない。花火がボンボンと打ち上がるあの短い間だけは、みんながみんな、上を向いたぼっちだとも言える。


だがこの作品では、最後にぼっち花火大会の孤独が絞り出すように吐露される。「寂し。」と圧倒的なリアリティでもって吐露される。そもそもぼっちは人の目を気にするあまり、そのぼっち行動を理論で武装しがちだ。他人の視線の圧を、脳内でディベートすることで無効化するのだ。


だからもし、ぼっちの時に人の目がなければどうか。花火大会のように、ただただみんなが空を見上げる中、ぼっちはディベートをしかける視線さえ見つからず、ひとり自分と向きあうしかない。それはつまり、自身の孤独に直面する時間だ。だからこそ花火大会で吐露されたのは「寂し。」だったのではないか。


私は心からぼっちの彼に同情する。そして花火は、きれいな大画面で、部屋のテレビで鑑賞するのを、私はおすすめする。いまは4Kなんていう、臨場感あふれるテレビもあるんだ。

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