ラリー元
みんな持ってる
シャープさんさんの作品:日本の最大公約数。選挙とごはんの話。

日本の最大公約数。選挙とごはんの話。

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期日前投票キメた @SHARP_JP です。投票率を上げるなら、ネット投票を解禁しろという意見があります。私もそうすべきだと思う。ただ、期日前投票の窓口が公示の翌日から早々とオープンし、連日夜8時とか9時まで開けられていることを知って以来、なんだかんだいって投票させる側も、多くの人が一票を投じるハードルをそうとう下げてくれているのだな、と考えるようになりました。いまも津々浦々で投票所を運営されている方々、ごくろうさまです。



老・若・男・女のうち、とりわけ若は選挙に行った方がいいと、若から老の間をとぼとぼ歩く私だって、つくづく思うところがある。いつだって、若に属する男女は説教じみた言葉を聞くのも、正論めいた行為を行うのも、面倒くささが先立つものでしょう。そんなことより、いまここの若という時間を生きるのに精一杯なのもわかる。だけどやっぱり未来は、未来の時間をより多く残した人が選ぶべきだと思うし、未来はぼくらの手の中と、その手触りだけでも掴むために、投票へ行こうよ。



そもそも国政選挙なんて、18歳以上のほぼ全員が参戦できる超デカいフェスとも考えられるわけで、これほど老若男女が一様にブチあがる祭りもないのではないか。チケットの争奪戦もないし。選挙フェスというメインステージのヘッドライナーは、おなじみの有名人あるいは伝説のベテランバンド。だがサブステージではもっとフレッシュな、それぞれの価値観から推される面々が勃興している。フェスに参加するわれわれは、見たいステージが重なりがちなタイムテーブルを凝視して、メインに行くか、サブに行くか、自分の行動をどのステージに当てるかを吟味するのだ。



フェス当日。チケットを握りしめた私たちは、めいめいステージを体験する。ステージの盛り上がりはリアルタイムに可視化され、出演者が獲得した喝采はフェスの終わりか、少なくとも翌日までに数値化される。



ロックだろうがダンスミュージックだろうが、フェスにジャンルはつきものだけど、ここまでジャンルレスにだれでも参加できるお祭りもなくない?理論上1億人あまりのオーディエンス。選挙はまさに日本の最大公約数と呼べるイベントであり、コンテンツだ。参加しないという選択肢はないと私は思うのだけど、みなさんはどうだろう。



そして私はまた、選挙期間でなくとも、日本の最大公約数をよく考えてしまう。日本中の人たちの間で、できるだけ最大限、多くの人と共有できるモノ、価値観。広告という職業柄なのか、あるいは趣味や主張が極限まで分断・細分化したネットで発信を行う性なのか、私はたとえ最大公約数が幻想だとしても「できるだけ全員がいっしょに楽しめる話題はなんだろう」と夢想する。




みんな持ってる(takechi1ko 著)



ところで日本の老若男女が共有できる話題として、家電はけっこういい線いっていると思うのです。たいていの家には冷蔵庫があるだろうし、スマホもおそらく2人に1人は手にしている。テレビはさいきん、茶の間に1台あるいは1部屋に1台という均衡が崩れたのかもしれないけど、少なくともテレビというワードに対して、それはいったいなんのことだ、と疑問を呈する日本人はいない。たぶん家電は、日本の最大公約数の話題として、そこそこ機能する。



だからもし、多くの人に共感や注目を集めるツイートをせよという課題があれば、私の場合、家電メーカーという前提は有利に働くはずだ。冷蔵庫もエアコンもレンジも知らない人がいない社会では、私の働く会社の製品はほぼ全員の買い物の対象になりえるし、家電の話題はみんなの興味にすべりこむことができる。



「みんな知ってる」ということはそれほど尊いものだと私は思うし、広告にしろツイッターにしろ、話題を発信する側として最大公約数を目指すことは仕事の成否といくばくかの売上に直結するわけで、そこに工夫と努力の余地はまだまだあるはずだ。



では選挙と家電以外に、なにが日本の最大公約数になりえるか。いまのところ私が確信している最大公約数は、乗り物と食事。それと義務教育。だれもが経験あり、なにがしかの思い入れや思い出があるもの。日常にインフラのように存在し、よく触れるもの。そして私が日常の最大公約数を考える時にイメージするのは、まさに今回のマンガのような光景だ。



どんな人だって、ごはんを食べる。そしてスマホを手にした私たちは、ごはんを記録するようになった。記録されたごはんは写真として、膨大にスマホへストックされていく。つまり私たちは、手の中に食事の記録とおいしいの記憶を持ち歩くようになったのだ。いま隣に座る人も、さっきすれちがった人も、仕事で言葉を交わした人も、みんなごはんの写真を抱えている。ちょっと強面なあの人だって、おいしかったという記憶を反芻しながら、だれかに見せたいごはんの写真を、いつも懐にしているのだ。



ひょっとしたらわれわれは、スマホによってはじめて最大公約数を持ち歩くことができるようになったのかもしれない。だれもがごはんの写真を持ち歩く世の中は、だれもが共通の話題となりえる最大公約数を持ちあわせているとも考えられるわけで、もしそうなら、現代は存外に微笑ましい世の中だし、人々は平和に言葉を交わす可能性に満ちているのではないか。そういう風に考えると、少しホッとしませんか。そして少しホッとするなら、ベタな最大公約数も悪くないと、私は思うのです。


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