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シャープさんさんの作品:私たちは共感を証明できない。水風呂がこわいという話。

お風呂は好きです、@SHARP_JP です。サウナも。あれば必ず入る程度には好きです。ただし水風呂はいまだに入れたためしがない。昨今流行りのサウナですし、よくお見かけするサウナの作法によれば、熱した後は必ず水風呂に飛び込み、ふたたびサウナを数セット繰り返せ、しからば整うであろうと説かれている。だから私も、サウナから出るたびに「入らないとな、水風呂」と思うのですが、どうもふんぎりがつかない。

なんでふんぎりがつかないのかと考えれば、それはすなわち、ひやっとしてこわいからとしか言いようがないのだけど、とりわけ私は「こわいポイントが自明なところに自ら足を進める」というのがこわい。「こわいことが起こるかも」という可能性が散りばめられた領域へ踏み入るのはまだいいとして、もうすでに「こわいことが起こる未来」が見えている場所へ飛び込むのがひたすらこわいのだ。

だから前が見えないジェットコースターはいいけど、お化け屋敷はこわい。黒ひげ危機一発はいいけど、パチンとされる板ガムのおもちゃはこわい。ゾンビ映画はいいけど、バイオハザードはだいたいこわい。同じ理由で、バンジージャンプはランダムに背中を押されるならやってもいいと思うけど、水風呂はやっぱりこわいのだ。

たぶん私は、他者にびっくりさせられるのは甘んじて受け入れるけど、自分でびっくりしに行くという行為がどうにも苦手なのだろう。熱い風呂も冷たい風呂も、押すなよ押すなよと言って押されて入るのがいい。押されずに入るには、まず自分を律する強さと勇気を用意する必要があるから、意気地のない私には無理なのだ。

初めてのウワ〜ン(やじま けんじ 著)


だから今回のしんぱいいぬには注目せざるをえなかった。しんぱいいぬは「よからぬことが起こるのでは」とか「相手が怒っているのでは」といつもなにかを心配する、やじまけんじさんの人気シリーズ。

私とちがって、しんぱいいぬはしんぱい症のくせに、水風呂に入る。しんぱいいぬがしんぱいするのは、水風呂にびっくりしてこわい思いをすることではなく、水風呂にはいった時の感覚が相棒の土佐犬さんと同じなのか、という根源的な疑問だった。私はそこに、しんぱいいぬの筋金入りのしんぱい症を見る。

あらためて考えてみれば、同じ遊びをしようとも、同じ映画や本や音楽を見たり読んだり聴いたりしようとも、両者に喚起された感情や感想は同じではない。もっといえば、同じものを触ろうが食べて味わおうが、同じ五感の具体性はだれにも証明できない。

私たちは、私たちの内側でわき起こる感情や知覚を、言葉やイメージで必要十分に表現することができないわけで、それはすなわち、他者と感情を共有することの不可能さを表す。人間はつまるところ、まったく同じ感覚、まったく同じイメージを、だれかと分かち合うことはできない。仮に分かち合っていたとしても、その感覚がいまあなたと同じだと、お互い証明しあうことはできないのだ。われわれは結局のところ、わかりあえない。

だからしんぱいいぬはしんぱいする。はじめて味わう感覚が、はたして他者と同じなのか。私とあなたはいま、同じ感覚にあるのか。同じ感覚という前提で話していいのか。相手への共感という、根っこの部分でしんぱいするしんぱいいぬは、だからいつもおずおずとコミュニケーションを進めるしかない。気の毒な気もするし、誠実な気もするし、しんぱいいぬを見る私はいつも、不思議な気持ちになる。

それにしても、この文章を書き進めるうちに、同じような問題を探求した哲学者がたしかポストモダンのフランスにいたような気がしてきたのだけど、私のいい加減な記憶では名前も出てこないし、いずれ出てくる予感もない。しかし水風呂から根源的な問いを発し、哲学的命題を喚起させるるしんぱいいぬはまるでスヌーピーのようで、つまりもう、私にとっての哲学者だ。

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2019/9/17 コミチ オリジナル
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