シャープさんさんの作品:走る修学旅行生

走る修学旅行生

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おこしやす、@SHARP_JP です。私は京都で生まれ育ちました。実家は、祇園祭にもプラプラ歩いていけるくらいの市街地ですし、つまり私はお茶漬けがどうのこうのと言いそうな、いわゆる悪名高き、いけず京都人にギリギリ入る部類かと思われます。もうこの言い方が、すこぶる意地が悪い。申し訳ない。



こう書き出すといまから京都の素晴らしさについて延々と語り出しそうなものですが、あいにく私は京都人なので、そのようなあけすけなことはしない。というか生まれ育った場所を語るには、あまりに私はぼんやり生きてきてしまったから、京都らしさを表すエピソードなどほとんどない。あるのは、どこの土地の名にも置き換え可能な、狭い世界で悲観と楽観を繰り返した、ひたすら凡庸で若い思い出だけだ。



ただひとつだけ、京都ならではと言えそうな記憶がある。それは日常的に、走る修学旅行生を見つめてきたことだ。走る修学旅行生は、例外なく遅刻の危機に直面している。決められた場所へ、決められた時間に、数人の集団でもって、すべりこもうとしている。京都はずっと修学旅行のメッカだった。



行ったことのない場所で、ましてや旅行の経験もない思春期の男女に、行き先をプランニングさせ、集団で移動し、正確に行程を歩ませるなんて無理すぎるだろうにと、迷子と遅刻がデフォルトの私は思うわけですが、走る修学旅行生は、自由行動という名とは裏腹にいつも不自由そう。思春期特有の世界の狭さの中で、みんながみんな、この世の終わりのような顔をしている。



これがスマホもGoogleマップもない頃だったら、大人でも迷ったり遅れたりするなという方が無茶なことだと思う。いまもむかしも走る修学旅行生には、とにかく「京都は3回右か左に曲がれば元の場所に戻れるからみんな落ち着いて」くらいしか、私ができるアドバイスはない。それから、その遅刻で世界は終わらないよ、という言葉をそっと飲み込む。



まだ公衆電話が主流だった頃(日々 ひみつ 著)



走る修学旅行生のことを思い出したのは、このマンガを読んだからでした。電車の中。まもなく19時を示そうとするG-SHOCKに絶望した顔の3人の中学生。宿泊先へ間に合わない事態を巡って仲間割れすらはじまる。



はじめての土地、しかも路面電車を使う旅、ましてやスマホもない時代(作中の公衆電話の佇まいがすばらしい)なのだから、集合時間に間に合わないくらい許してやりなよと、私なんかは心底思うわけですが、中学生の彼女らはそうはいかない。彼女たちにとって、大人といえば親か先生のことだし、世界は家と学校と友だちで構成される。その狭い世界で大人に怒られるということはまさに人生の危機で、怒る先生はもはや般若だ。



ただしこのお話では、危機に直面する中学生に、PHS(と書くのも懐かしい)を貸してやるおじいさんと、車内で通話することを許す車掌さんが現れる。彼女たちの知る大人とは別の大人が現れて、危機に手を差し伸べてくれる。



けっきょく、宿泊先へPHSで連絡できたものの、彼女たちは遅刻して、先生には怒られた。危機は回避できなかったわけだけど、路面電車で遭遇した大人の小さな親切によって、彼女たちの狭い世界は少しだけ、世界は捨てたもんじゃないという方向へ引き延ばされたのだ。私が見てきた、京都で走る修学旅行生も、どうか世界が引き延ばされていますように。



日々ひみつさんによるこの作品は、最後に添えられた誠実なあとがきにもホッとするものがある。思い出はつい美化するか、あるいは黒歴史として封印しがちだけど、このマンガのようにていねいに振り返ると、それがいかに示唆に富むものであったのかが見えてくるのだと思います。自分のことをマンガにするのは、だから救いがあるのでしょう。どうかまた、思い出をマンガにして読ませてください。


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