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シャープさんさんの作品:2つのふつうを想像し、2つのふつうに引き裂かれること。

エアコンの試運転はお済みですか? @SHARP_JP です。繰り返し申し上げますが、暑さがヤバくなる前にくれぐれも「冷房18℃で10分」ですからね。それにしても毎年夏の盛りに、熱中症で倒れる人のニュースを目にするわけで、いったいいつから、真夏のエアコンがこれほど切実になってしまったのか。

エアコンを製造し販売する企業の者ですから、これをポジショントークと言うのかもしれないけど、やはり私は、夏の暑さが身体に危険を及ぼす可能性がある以上、エアコンは暮らしになくてはならないものだと思います。しかし一方で、エアコンをあえて拒否して生活する人もいる。人為的なものを排除し、できるだけ昔のまま、自然のままに過ごそうという考えがあることも、私は知っている。

あるいは職場や家で、おもに女性が「寒すぎる」と身震いし、しばしば男性は「暑すぎる」とあえぎ、エアコンの設定温度をめぐって攻防が繰り広がられることもよく聞く話。「猛暑にはエアコンを」と言おうにも、どこまで室温を下げるかで対立が発生する。エアコンひとつとっても、人によって「ふつう」が異なるのだ。

私たちの社会はいたるところで「ふつう」がせめぎあっている。職場で、学校で、家庭で、ネットで。時に議論され、時に我慢されながら、かろうじて「ふつう」は成立している。そして私は、不特定多数になにかを発信する職業上、いつも「ふつうとはなにか」を考えざるをえない。

そもそも「ふつう」なんてものは、つまり「世の常識」なのだから考えるまでもない、という解釈もあるのかもしれないけど、あっちとこっちをゆらゆらするのがせめぎあいなわけで、やはり「ふつう」を常識だからと、一義的に固定するのには乱暴さを感じてしまう。

あっちとこっち、数を比較して多い方が常識、と多数決をとるのは楽かもしれないし、フェアかもしれない。だけどせめぎあう「ふつう」とは、両サイドが切実さを抱えた2つの真実だと思えば、どちらかを選ぶのはやさしい行為とは言えないはずだ。たとえどちらかを選ばざるをえない時でも、2つのふつうを想像し、2つの切実さに引き裂かれながら、言葉を探す。そういう姿勢が、拡声器を手に世間へ企業の言い分をがなりたてる、私のような仕事には求められるように思う。もちろんその考え自体も、私の中でゆらゆらせめぎあっているのだけど。


「シルクのパジャマと価値基準」(きおる 著)


話は一転、小学生の修学旅行が舞台になる。しかしこんな子どもらしい場所でも、2つの「ふつう」のせめぎあいが語られる。パジャマの話だけど。

こっちの「ふつう」は子どもなりにかわいいと評されるパジャマ。あっちの「ふつう」は大人なりにいいモノと評されるパジャマ。素材でいえばコットン対シルクだし、手触りでいえばフカフカ対サラサラ。おそらく柄vs無地だし、色もピンクvs白であろう。あっちとこっちの「ふつう」の激突だ。

もちろん修学旅行の夜という、子どもの現場ではシルクのパジャマは完全に負けである。母親の一方的な「ふつう」は、子どもの圧倒的な数による「ふつう」に、負けるしかない。

しかし作者は、これを単なる二項対立で終わらせない。荷物からシルクのパジャマが出てきた時だって、作者は狼狽しつつも「子どもにいいものを着せてあげたい」という親心を想像し、見栄っ張りな母の性格を分析する。同時に「大人の世界で価値のあるものが子どもの世界で価値があるとは限らない」という、価値観のギャップに思いを巡らす。

そして作者は、2つのふつうに心を引き裂かれながら、シルクのパジャマに袖を通した。もちろん修学旅行の子どもには、パジャマを着ないという選択肢はない。それでも作者は、シルクのパジャマを着る時、子ども側の「ふつう」から笑われるという覚悟もいっしょに纏ったはずだ。作品の最後、そのせめぎあいが貴重な経験になったと、母への感謝が述懐される。彼女は修学旅行の夜に、大人へ踏み出したのだ。それはきっと、苦いだけの思い出ではない。

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