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シャープさんさんの作品:自分の未熟さに、むき出しの恥ずかしさを感じること。

生きてスマホに届くツイート @SHARP_JP です。乳酸菌のように言いました。ぼーっと生きていると、自分の未熟さに直面することがあります。ある時点において自分が見積もる自分のレベルに、実は自分がまったく達していなかったという事実を直視させられるような、そんな瞬間です。


それがスポーツやなにかの競技であれば、勝てないとか記録が更新できないといった、自身への歯がゆさというかたちで、自分の未熟さに直面することになるのでしょう。未来の自分と現在の自分の間に、ギャップを感じるとも言えるかもしれません。


一方で、絵や文章、演奏といった、ある種の表現に属する事柄となると、多くの場合は下手とか青いという体で、自分の未熟さを突きつけられることになる。つまり現在の自分が過去の自分を恥ずかしがるというかたちで、未熟さへの自覚が目の前に現れるわけです。


その恥ずかしさは、たとえ数日前の失敗であっても、現在の自分が過去の自分を評する構造ゆえに、言い訳や慰めも通用せず、かといって未来への見通しが立つわけでもなく、ただただむき出しに恥ずかしい。後悔先に立たずというのは、そういうむき出しの恥ずかしさのことかもしれないな、とも思ったりします。そして、わずかなりにも自分自身を込める、表現に関する未熟さなら、その恥ずかしさは他人の想像を絶するはずだ。


たとえば私なら、数年前のツイートですら、恥ずかしさがつきまとう。いまならそのワードや構文は選ばないだろう、その自意識の滲み具合は2019年現在かんぜんにNG、などとセルフダメ出しが次々と襲いかかってくる。仕事における言葉選びでさえここまで恥ずかしいのだから、芸術家やミュージシャン、なにかを作ったり、モノを書き続けている人の恥ずかしさは、その身を焼くほどに違いない。


漫画を描くのに大事なこと。自分の欲求を描くこと。そんな自分を認めること(つきはなこ 著)


だからマンガ家さんも、過去の未熟さに対する恥ずかしさは、そうとうなものでしょう。とりわけ自分が何者であるかすら手探りのまま描く若い頃は、自我も他者もドロドロに溶け合って、わずか前日の表現さえ、未熟さと未完成さを己にぶん投げてくる。毎秒恥ずかしいのが、若者の表現なのかもしれない。


ただその恥ずかしさも、自分が見積もる自分のハードルが刻一刻と上がっているせいだと考えられないだろうか。何者でもない自分を何者かにするために、毎秒毎秒、自分で自分の成熟を課す。だから恥ずかしさは、自分の表現をコツコツ深めた結果だとも言えるわけで、気恥ずかしいけれど自分を褒めてやりたいような、こそばゆい現象なのかもしれない。


過去の自分の未熟さを肯定するのは、けっこう時間がかかる。大人になってもまだ、突然叫び出したくなるような、恥ずかしい時を思い出すことがある。私はある。だからここで作者も言うように、過去の自分の表現を捨てずに取っておき、肯定まではいかなくとも、ずっとモジモジし続けるのが、未来の自分の成熟を促すのではないかと私は思う。モジモジするのは、恥ずかしいことではないのだ。


余談ですが、作品で触れられている手塚治虫の「マンガの描き方」を私も気になったので読んでみました。マンガは自身の欲求の映像的表現だ、マンガは庶民の批評精神だなどなど、漫画の神様による数々の言い切りに溢れ、しびれるほどかっこよかったです。1977年の本という意味でも、気になる人はぜひ。

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2019/9/17 コミチ オリジナル
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