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chiku
05月09日更新

戦後漫画雑誌を創刊し、手塚治虫が「新宝島」を出版するキッカケを作った漫画家

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戦後まだ紙を手に入れるのも困難だった時代。阪急沿線で新しい漫画雑誌を発売した漫画家がいました。大坂ときを先生です。このパネルは漫画家協会から先生の追悼展示の制作依頼を受け作ったものです。

その雑誌は「まんがマン」。12Pぐらいの1コマ漫画がいっぱい載った小冊子でした。

創刊のコトバに次のような文章があります。

「全国の諸君、全国のアマチュアマンガマン諸君!KMOへ集まれ!そしてともに勉強しやう!研究しやう!立派な漫画を創生しやう。そして今でこそお粗末極まる「まんがマン」も、やがては日本一世界一の漫画雑誌にしやうではないか。」


この呼びかけに集まったひとりの医学生が「手塚治虫」でした。


この雑誌にも1コマ漫画を掲載していました。そしてこの縁がキッカケで、大坂先生は手塚先生を酒井七馬先生に紹介し、「新宝島」が世に出ます。


「新宝島」は40万部売れ、ストーリー漫画が戦後日本を席捲していくことになります。


マンガQのデザインをしながら、大坂先生の「まんがマン」のことよく思い出していました。

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