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シャープさんさんの作品:SNSは農業だ。SNS公式アカウントNightを振り返る。

シャープのツイッター @SHARP_JP です。ツイッターIDの横っちょに青いマークが付いているから、どうやら私は公式アカウントなんだと思います。今回はマンガの寸評ではなく逸脱編として、先日たらればさんと浅生鴨さんと私で「SNS公式アカウントってなんなん?」ということを、人前でお話した夜を振り返ろうと思います。

たらればさんが司会、浅生鴨さんと私が質問にとつとつと思うところを語るというかたちで進行したイベント内容は、(ほぼ)全文書き起こしというかたちで、公開がはじまっています。

https://corkbooks.com/users/tarareba722

またあの日は、マンガ家さんも会場に聴衆として集まってくださり、会場のやりとりをマンガ化して記録するという、実にネットのトキワ荘たるコルクBooksらしい試みも行われました。その時に描かれたマンガはこちらにまとまっています(なぜか打ち上げの席でした私のカレー話もあるけど)。

https://corkbooks.com/stories/?id=114

われわれの話が、マンガ家さんごとの視点や問題意識でエディットされ、絵として記録されている。あらためて読むとスラスラと頭に入ってきて、マンガが記録をいかにわかりやすく、だれかに伝えることを助けるのか、痛感させられます。ちまちました文字と見えない力関係を配慮する、議事録係を押し付けられがちな会社員の方なら、マンガの記録力に無限の可能性を感じるかもしれません。もう会議の議事録とか、マンガでよくない?

それはさておき、SNS公式アカウントNightの様子です。たとえば、うえはらけいたさんによるこちらのマンガ記録。


SNSマッチョ達による夜会(うえはらけいた 著)


多分にデフォルメされたわれわれの姿もおもしろいですが、そもそも企業がSNSをやる意味を、「モノを売る」とか「メディアを作る」といった常識から離れ、いやむしろ、そのような常識に批評的な立場から考えていたことがよく解説されています。

つまりマーケティングとかプロモーション、宣伝広告といった、いかに多くの人に仕掛け、エサを撒き、売上げを回収するかという、企業活動としてはごくありふれた行為とは真逆の行動を目指したということ。それを浅生鴨さんは「NHKの友達を作る」といい、私は「買ってない人でなく、もう買った人と仲よくする」と表現しました。

ところでここを読むみなさんは、企業の公式ツイッターを運営するとか、マーケティングと名のつく仕事とは、あまり関係のない方が大半だと思います。ですが一般論として、企業には「消費者にモノを売る」という一連の活動があり、その活動の中ではターゲットとか、キャンペーン、ストラテジーといった言葉が使われていることを、なんとなくご存知じゃないでしょうか。

「この新製品は30代独身男性をターゲットに」とか「年末のキャンペーンは総力をあげて」「この広告は若者を分析したストラテジーに基づき」といった物言いを見たり聞いたりしたことがあると思います。実際に私の職場でも、そのような言葉が飛び交い、そのような思考で仕事が進む。

ですが、ターゲット、キャンペーン、ストラテジーといった言葉は、もともと戦争用語であることは、あまり知られていません。ふだん仕事で使っている人でも、知らないことが多いかも。だから先ほどの例も元来の戦争用語に置き換えれば「この新製品は30代独身男性を攻撃目標に」とか「年末の軍事行動は総力をあげて」「この広告は若者を分析した戦略に基づき」と、とたんに物騒なことになる。

あまり言いたくはないけど、マーケティングや広告は、本来的に「狩猟」です。企業は常にあの手この手で人間を狩ろうとするわけで(実際はお客さんの財布あるいは時間を狩るわけですけど)、私も長らく狩りをすることを求められ、実際に攻撃的なことを考えながら仕事をしてきました。

けれど私は、狩猟に向いてない人間だったことにいつしか気付くのです。だれだって、自分が「狩られる」対象として狙われることを快く思う人はいない。だからそもそも、マーケティングや広告が快く思われる余地はもう、ない。一方で「狩る」側の行為にも暴力を感じてしまい、できればそれに加担したくない自分がいる(暴力性があるからこそ逆に興奮するタイプの人もいる)。私がプレデターなら、人間を狩ることに躊躇しないと思うけど、あいにく私は人間だ。人間が人間を狩ることに、私は後ろめたさを感じる。

そのような板挟みに悩んでいた時に出会ったのがSNSでした。実際はやれと言われてはじめたんだけど。だけどやっと私は、個人が個人のままフラットに言葉を交わすツイッターを前にした時、ある種のやましさから解放される予感がしたことを覚えている。

ようやく狩猟をやめられるかもしれないという予感を胸に、私はそれからずっと、狩らないマーケティングをツイッター上で模索してきた。ツイートがゆるいと称されるのも、宣伝する気がないと評されるのも、私にはやりたくないことがあったからこそ、選んでやってきたことだった。

だからあの日、浅生鴨さんが会場からの質問に答えるかたちで「SNSは農業だよ」と発言した時、私は私で衝撃を受けたのです。同時に「そう、そうなんだよ」と深い頷きを繰り返していた。綿密な打ち合わせもなくはじまったイベントが、期せずして最後、私がSNS公式アカウントで追求してきた「狩らない」「暴力がない」「戦争しない」コミュニケーションに、「農業」という名前が与えられ、深く安堵したのだ。勇気づけられたのだ。

SNSは農業。

企業であれ個人であれ、なにかを発信する人にとって、これほど着実な未来へ、希望が持てる言葉もないと思う。そろそろみんな、落ち着いて言葉を交わし、モノやコトの消費を考えようよ。私もツイッターで、気長に宣伝するから。

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