シャープさんさんの作品:独り言、口から出すか、文字から出すか。モノローグと相手の話。

独り言、口から出すか、文字から出すか。モノローグと相手の話。

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みんな呟いてる? @SHARP_JP です。口から音が出る病気、と星野源は素敵に歌ったけど、実際のところモノローグ、いわゆる独り言は、口から音を出してしまえば、往々にして周囲から「ヤバい」認定を受けてしまいます。だからみんな、ひと知れず脳内でぶつぶつ呟いてきたはずですが、ツイッターの登場で人類の独り言は新たなステージに突入したように思うのです。


私たちはツイッターを自分の半脳内として解釈することで、独り言を文字で発するようになった。音で出すとヤバい独り言も短いテキストなら、実存をぎりぎり確保できる。それは独り言がいくばくかの社会性を獲得したと言えるかもしれなくて、もし世界の独り言の総量を計測できるなら、ここ10年の独り言増加率は、人類の有史以来、最大であるにちがいない。


もちろんツイッターでは、脳内にうずまく生の状態の言葉がそのまま吐き出されるわけでもなく(それをしてしまうとさすがにツイッターでもヤバい)、みんなある程度の脳内推敲が行われた上で、ツイートボタンをタップしているはず。


当たり前ですが、何人たりとも私の脳内を覗くことはできません。従来の脳内の独り言は、聴衆は自分だけという環境が保証されてこそ語りはじめられるものでした。しかしツイッターの独り言は、フォロワー0の鍵アカでもない限り、自分以外に聴衆がいることを了解しつつ、とつとつと語られている。


そう考えると、独り言のヤバいヤバくないは、オーディエンスの数というより、その場所の親密さが鍵なのかもしれない。自分の脳内は自分にとって最も親密な場所だし、フォロワーの存在がほのかに感じられるツイッターも、いまとなっては相当親密な場所だ。


ところで独り言は、いつも自分へ語りかけられるとはかぎらない。自分に向けて語ることもあれば、自分でないだれかにそっと語ることもある。独り言は親密な場所でなされるからこそ、親密なだれかに向けて、問わず語りされる。それならば私たちはいったいいつ、だれに、独り言を語りたくなるのだろう。


たぶん、独り言が切実に必要とされるのは、もうここにいない人の存在に思いを馳せる時ではないか。もうここにいない人とはつまり、死者か、過去の自分へ、なにか言うべきことがある時に、私たちは独り言というやり方で言葉を紡ぐのかもしれない。



母子家庭で育ったダメ息子から、オカンへ(ひびのし 著)


最初から最後までモノローグが続く作品です。母親にむけて、自分の近況が静かに語られていく中、なぜ独り言なのか、その理由が明らかになる。母親はもうここにいないのだ。


母親との思い出を回想するかたちでモノローグは続く。回想はやがて食事の思い出に移り、さまざまな場面で母親の手によるご飯が列挙されたところで、主人公の後悔と涙が大写しになる。こぼれる涙の先は手紙。母親への独り言は、届くことのない手紙だった。


独り言は元来、出すことのない手紙なのでしょう。そういえば手紙の言葉は、いつもどこか内省的で、親密だ。死者でも、過去の自分でも、もうここにいない相手へ呟く言葉は、そこに後悔があるとしても、いつだってやさしい。


ちなみにこのマンガは、#働いて良かった話 というお題の大賞作品です。こういう作品を拝見すると、コルクBooksというコミュニティは、優れたテーマを投げかける場所であり、いい評価を生み出す場所だと時おり思います。もしあなたが、だれかに語りかけたい独り言を抱えているなら、マンガというかたちでコルクBooksから手紙を出してみるのもいいかもしれませんよ。

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