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経歴

1993年7月10日生まれ

阪神淡路大震災の影響もあり
兵庫県三木市に引っ越しました。

2000年小学生時代
三木市みなぎ台小学校
ものすごく泣き虫で、朝学校に行く時は毎日泣いていた記憶があります。
小学生時代は電車まで車で30分以上かかる三木市吉川町という田舎町
で育ち、すぐ近くに住む友達4-5人でいつも鬼ごっこやけいどろ、サッカー、など
休みの日は朝9時くらいに外に出ては夕方の18時位までずっと家の前で
遊んでました。

漫画を描き始めたのは小学校4年生の時、
兄が漫画の絵を描いていてそれをマネして漫画を描き始めました。

2006年中学生時代
三木市吉川中学校
バスケットボール部に所属していて、
毎日部活や、友達とバスケットをしながら遊んでました。

2009年高校時代
三木市三木高等学校
バスケットボール部に所属
高校2年の夏頃から慢性的な足の痛みで、練習に参加できず
ほとんど二階で筋トレをしてました。


2011年高校3年生の時に
漫画「宇宙兄弟」に凄く感動して、僕も漫画家になってみたいと
はじめて大阪のイベントに持ち込みにいくんですが、
その時に同い年位で僕よりものすごく上手い絵の漫画を描いている人を
見て正直かなり漫画家は遠い世界なんだと思いました。


大学時代
兵庫県立大学工学部機械システム工学学科
 

2012年大学1年生の時「子供達のキャンプ」
姫路キャンプカウンセラーズクラブという団体に所属します。
内容は子供達に自然を通じて教育活動を行う団体で。

メインの活動は主に夏で姫路市太尾キャンプ場に子供達の団体がやってきて
大学生の人がリーダーとなって、
自然を通じて子供達に達成する喜びや、自然遊びの楽しさを伝える
活動を3年間行なっていました。

それ以外の時期は子供の団体の依頼でイベントをしたり
キャンプなども行なったりしました。

その団体に入ったきっかけは
本当に心の底から優しくて面白い人達が多く
僕もそういう人になりたいという憧れがありました。

そこの団体はかなりスポ根(熱血的)の団体で
どのようにして子供達に楽しんでもらえるか?
広めるにはどうしたらいいか?
子供達にどんな企画をすれば成長して、喜んで貰えるのだろう?
そんな話を毎日のようにファミレスや一人暮らしの家に集まって、
夜中回るくらいまで打ち合わせをしていました。

「人を楽しませる、感動させる」ということに強い関心を抱いたのは
この団体の影響が強くあります。

・この時期は東日本大震災の復興ボランティアなどに参加もしていました。

2014年大学2年生の時「事故」
大学2年生の正月の冬に原付に乗ってる時に後ろから
軽トラにはねられて事故にあいました。
その時忙しかった疲労と
交通事故の過失割合でもめて、
警察の方にきつく言われたこともあり、

精神的に病んで
思い出す度に手足が震えるようになりました。
1年くらいで完全におさまりましたけど、
トラウマにはなっています。


2014年大学3年生の時「武器職人匠工芸」
5月大学の体育館で学生企業マッチングで
機械的なものが多く展示されてる中、
ファンタジー武器だけが展示されてる変わった会社をみつけ、
衝撃を受けそこにお願いしてインターンという形で
手伝いに行くことになりました。

その会社は従業員が10人程度の小さなプラスティック加工会社なのですが、
その技術でコスプレの造形を作ることもしていました。

そこの会社は、ノンアルコールバーの店長、風船職人、デザイナー、
コスプレイヤー、など本当に多種多様な人たちがその場所で働いていました。
みんなが自分のやりたいことや好きなこと、自分の挫折を語り、そして
実際にそれを行動に移す人たち、挑戦させてくれる人たち。
そして、そこから繋がった高砂町の人たち、他の町の人達も優しくて応援してくれて、
僕はそこで「自分のやりたいことをして生きる人たちの1人になりたい」と
思うようになりました。

何度も社長から「どんなことが好き、何がしてみたい?」っていうことを話す中で
人を楽しませる仕事をしたいという気持ちが強くなったんだと思います。


2015年大学4年生の夏「原付旅」

就活でエンターテイメントの会社にことごとく落ちました。
圧迫面接などで精神的に参ってしまい、
そのうち自分が何をしたいのかわからないようになりました。

自分がどうしたらいいかわからないまま逃げ出す気持ちで
原付にのって日本を野宿などしながら旅して回りました。
2015年の夏に行ったのですがその時期は台風がきてたり、
降水量が多い年で風と雨に打たれまくりながら
旅をしていました。
正直かなり、旅の状態としてはきつかったのですが
出会った方達と話をしたり、色んな方に声をかけていただいて凄く嬉しかったことを覚えています。
お寺が多く、何人かの住職さん?とも話をさせていただき、
そういう方達に本当に励まされました。

そこで何か、凄く気持ちが楽になったのと、
当たって駄目だったらそれでもいいっていう感覚を
持つようになりました。



2015年大学4年生の秋「レッドブルフルーグタグ」

旅から帰ってきたタイミングで、匠工芸の社長からレッドブルフルーグタグという
(鳥人間コンテストをエンタメに特化したような)イベントに誘われました。
そこで社長が一番好きなアニメの機動戦士ガンダムを6メートル級のガンダムを作って
海に突っ込むからそのメンバー(4人)に入って欲しいという誘いでした。
会社の人達含め、100人以上の人達に協力してもらい、巨大なガンダムを作り
神戸港でそのガンダムを落としてきました。

その時のワクワク感は凄くて、
本当に嬉しかったことを覚えてます。


2016年春「講談社週刊モーニング」
大学卒業してすぐに、ペンを取り、漫画を描きました。
ロボットの漫画を描いて講談社モーニングに持ち込みに行き
モーニングゼロ期待賞を頂きました。

その時に担当編集者がつき、
その年の冬に、
キャンプカウンセラーの時の経験から描いた漫画
先生失格!」がちばてつや賞奨励賞を頂き、
本気でプロになろうと決心しました。


2016年秋「涼月会」
その時期に兵庫県加西市で涼月会という芸術集団に入り
芸術で町おこしをする為に両月展などの展示会などに
参加したりしました。

2017年
この時期は図書館に通いながら脚本術や芸術技法、児童文学、
心理学などの本を読むことが多かったです。

熊本地震の復興支援や、
兵庫県加古川市の鶴林寺で蓄光パフォーマンス。
(ペンライトの光を使ってアートを描く)
漫画の先生や、
イベントスタッフなどをしていました。

冬に「愛すべきヲタ芸に捧ぐ」という漫画がちばてつや賞入選をとりました。

2018年
東京に上京しました。
友人とシェアしながら漫画を描いています。

アニメーションを作ってみたいという憧れがあり、
株式会社匠工芸さんと一緒にSNSショートアニメ「機械漏電メッチョ」を製作しました。
(全24話1話あたり1ー2分のギャグアニメ)


東京に来てからは株式会社コルクbooksさんの
講座などを受けたり、
コルクbooksさんの賞などに応募したりしながら、
講談社の担当さんと打ち合わせしたりもしています。

・漫画家たまご展企画(御幣島芸術祭2018)

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