シャープさん
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シャープさんさんの作品:好きを表明するか、嫌いを表明するか。恋愛あるいは自意識の話。

好きを表明するか、嫌いを表明するか。恋愛あるいは自意識の話。

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意固地な日もあるでしょう、@SHARP_JP です。たとえば「自分がどういう人間か」を示すために、「自分が好きなもの」を表明することがあると思います。初対面の人との会話は、好きな食べ物や好きな場所から滑り出すことが多いし、好きな作品やジャンルが列記されたツイッターのプロフィール欄なんかもよく目にします。


好きを表明すること。好きを推すこと。あなたの好きなものが、あなたを雄弁に物語るというのは、SNSで盛んにコミュニケーションする私たちにとって、さいきん特に真実味を増した法則だ。推しが尊いのは、推しの魅力をあなたが保証すると同時に、それを見出したあなたの魅力が、推しの光で逆照射されるからかもしれない。


そもそも好きを表明することは「だれかを傷つける」要素がない。ただただ平和なやり方で、だれかの未知の好きを開くかもしれない行為であって、もうそれだけでこんな世の中じゃ、立派に尊いではないかと、私なんかは思ったりする。


ただ一方で「自分がどういう人間か」を示すために「自分が嫌いなもの」を表明する場合もありますよね。はっきりと「これが嫌い」と宣言するまではいかなくとも、「私はそれを見ない・聞かない・関わらない」という言動やふるまいをすることで、自分がいかなる存在かを周囲にアピールした経験は、思春期をサバイブしたみなさんならひとつやふたつ、覚えがあると思います。


「おれはそれをしない」とふるまうことで「おれは迎合しない人間だ」と感じさせる。けっきょく中二病なんていうとわかりやすいかもしれないけど、私はある年代特有の意固地さというより、むしろ老いも若きも、自意識を持て余した人間の青い行為なんじゃないかと思うわけです。私もことあるごとに「スポーツをしない」と表明してしまうし。



俺はJ-POPを聴かない(ワタベヒツジ 著)



そこでこのマンガです。J-POPを聴かないという男性が登場する。いまどきJ-POPという名称も無効化したような気もしますが、少なくともかつては、洋楽と邦楽といった線引きが明確にあった時代がありました。おれは洋楽派と表明することで、主流ではない、オルタナティブな選択をする個性的な人間だと示すことができたのです。


そしてそのようなふるまいは、長く引きずることで、深く身体化しがちだ。関わらないもの(嫌いなもの)を表明しつづけることで、その人は名実ともに「かたくなな人」になる。周りと趣味を合わせるつもりもなかった、という作中のセリフに、彼のかたくなさがよく表れている。


だがそのかたくなな彼が、J-POPを聴いて涙を流す。前言撤回といったレベルじゃない。関わらないと表明し続けたものに、深く関わり、感情を揺さぶられるのだ。


だれかの推しにたやすくなびかないことをアイデンティティにしてきた人間が、翻ってその推しに心を寄せる。その様子を読む私は、推された音楽の魅力と、彼にとっての、それを推した人の魅力を同時に想像してしまう。


やがてマンガを読み終わる頃には、彼の固くて青い自意識を溶かすほどの恋愛の大きさと、失恋の痛みを思わざるをえない。もう一度読み返すと中盤のコマ、彼の履く靴がどう見てもダナーのブーツで、それが彼のストイックさをまた想像させる。私もダナーのブーツ、よく履くんだ。なんだか私まで泣けてくる。

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