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末次 由紀(すえつぐゆき)さんの作品:「自分」の話

毎回、毎月、死にそうになる。


まんがの話である。


232回も連載を続けているのに、毎回死ぬ思いをして描いている。例えるならフリーダイビング映画の名作「グランブルー」のように、毎回100メートルを越す深海まで行かないともらえない宝石が「まんが」なのかもと思うほど。


目指すゴールに向けて、
あれを描かなきゃならない、
あのエピソードをどこかに入れなきゃならない、
あの人のことを出すタイミングは今しかない、
あの言葉を回想として挟むにはここがベストなのかわからない、
かっこいい絵を入れる必要もあるんじゃない?ページが足りない、
それで伝えたいことが伝わる?
全部入れ込んだとして、
結局この漫画はおもしろいのか?


そんな思いをこね回してこね回しているうちに時間が過ぎ、ループの輪の中に「時間がない」まで加わってくる。


そんな苦しみを味わい続けて、さすがに私も考えた。
どうにかもうちょっと楽に漫画が描けないだろうか。


そうやって悩んで、悩んで、得たものをお伝えする。


観たことのある人はご存知だろうが、映画「グランブルー」の主人公も身体一つで海に潜るわけではなく、ガイドロープに沿って潜る。
あのガイドロープみたいなものが、私にもある。


大事なのは「自分をどかす」という作業だ。


例えばデートをする時、「自分の話を聞いて欲しい」や「自分の抱えた悩み」でいっぱいな人は、相手と心を通わせることは難しい。「自分」でパンパンな心には、誰のことも誰の話も入ってこない。逆に「君は最近どう?」「どんな思いを抱えてるの?」と、聞きはしなくても、そんな気持ちを相手に持って過ごせる人は、デートに向いている。相手への関心が「余裕」となって伝わり、相手の心を引き出すことができるのだ。


「君はどんな思いを抱えているの?」


こうキャラクターに問いかけることができるかどうか、が私にとってのガイドロープだ。


当たり前かと思うかもしれないが、実はこれがなかなかできない。
作家も思いを抱えた人間であり、やりたいこと、伝えたいこと、描きたいシーンをたくさん夢想しているし、できれば人気者になりたい!売れたい!うまいね~って言われたい!と思って机に座っている。

それを、全部どかすことができるかどうか。


どかすのである。


「こういうふうに描きたい」や「才能ある漫画家だと思われたい」という思いを、夢を、欲望を、全部どかすことでしか、ふくらみのある「キャラクターの感情」は立ち上がってこない。

自分の中に隙間を作る、広場を作る、キャラクターが座れる椅子と、思いを聞く部屋と時間を作る。

そうした先にやっと、キャラクターが個性豊かに語り出す時間が来る。


いろんな漫画を読んでいても、面白い!と思う瞬間は「キャラクターが生き生きとしてることが伝わるページ」だ。

ここでこんなことする?ここでこんなこと言う?ストーリーラインに沿っていては出てこない寄り道や脱線をする瞬間に、キャラクターが「生きている」とわかる。


まんがを描く時にはいつも「テーマは?」とか「伝えたいことは?」とか、『言いたいことを持ってないと描いてはいけない』くらいの圧力で作家は問われるのに。

なのに、それを放り出して、キャラクターの話が聞けないと面白くならないのだ。

232話を描きながら、苦しんだ末にハッとして「話を聞いてなかった」と頭の中に椅子を用意して、私はあるキャラクターの話を聞いた。

そしたら、思いもしなかったほどのそのキャラクターの優しさと悔しさと思いやりが伝わってきて、これまでにないくらいボロボロ泣いている自分がいた(あんまりないことで自分でもびっくりした)。

この人のこの想いは、作品の本筋には関係ないかもしれない。

だけど、この気持ちを伝えないで、なにがまんがだろうか。
うんうん唸ってばかりだった暗い海の底で、一本「これを描くためにこのまんがはある」という光の筋が見えたのだ。

構成や演出や絵柄で読者をうならせることができたとしても、読者の感情を揺さぶることができるのは、キャラクターの感情だけなのだと強く感じる。


「自分」をどかすと、キャラクターが話し出す。


それをどれだけしっかり聞けるかどうか。
その受け止めが真摯かどうかが「魅力的なキャラクター」をつくる唯一の手段だと、長い苦悩の末に思う。


でも多分、また来月も「死ぬ...」と言っているのだと思うけど。

面白かったら応援!

2020/11/24 コミチ オリジナル