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シャープさんさんの作品:反抗期考

あっという間の秋ですね、@SHARP_JP です。人はたくさんのことを知識として保有している。思い出も言語も身体の動かし方も、私たちが生きる上でだいじな知識だ。だが中には「なんでこんなことを覚えているのか」と自分に問いたくなるような、役に立つのか立たないのかよくわからない知識もある。さいきんの私の場合で言えば、アグネス・チャンは難しい時期の子育てをぜんぶホルモンのせいにしていた、という知識だ。


お前はなぜそれを覚えたのかと聞かれても困る。そもそも知識なんて、覚える必要を自覚して覚える方がまれだろう。せいぜい受験勉強とか、バイトの初日とか、覚えないと不利益を被ったり、他人に迷惑をかける場合を除いて、知識とはただなんとなく覚えてしまった記憶の一種だと思う。


ただなんとなくおもしろいと思った。ただなんとなく感心してしまった。知識は記憶と紙一重のかたちをとりながら、知って少し心が動いた事柄を蓄積していく。知識とは「これはいずれ役に立つだろう」と見通しが立つから覚えるわけではない。むしろ逆ではないか。なぜ覚えているのかが事後的にわかることこそ知識の真価だし、それはつまり人生の醍醐味だろう。そしてそういう知識をこそ、教養と呼ぶのではないか。


だからといって「アグネス・チャンは難しい時期の子育てをぜんぶホルモンのせいにしていた」という知識は、私にとっての教養かと言われると、それはいまのところ不明である。ただ私がそれを知った時、一般にいうところの子どもの反抗期へ、自分の中に外部性を教えるというか、自分では制御できない自分に黒幕を与えるという考え方に、なんとなく感心してしまったのは確かだ。



針のむしろ・・・14歳の反抗期(Amariko著)


そもそも知識といったって、いつも覚えているのかと言われれば、そんなことはまったくない。ふだんは忘れているが、なにかのきっかけでふと思い出すことがほとんどだ。案の定私は「アグネス・チャンは難しい時期の子育てをぜんぶホルモンのせいにしていた」という知識を、このマンガを読んで思い出した。


私自身は反抗期というものがあった記憶がない。それは私が男だったからかもしれない。いや、親に聞けばあったのかもしれない。ただここで描かれているように、突然自分を取り巻く世界が汚れたものに感じられた瞬間はよくわかる。その後の心の動きを、作者は克明に記録していて、読む私も追体験してしまった。反抗期とはまさに、自分の中に制御不能な自分を抱えることなのだろう。


私の場合は、世界が汚れたものに感じられたのと同時に、自分も汚れたものに感じて、だから他者に攻撃性が向かなかったのかなと思うのだけど、その代わりに霧が晴れることなく、大人になってもずっと曇天を引きずっている感覚がある。それはそれで難儀なことだ。


いすれにしろだれもがあの頃の難しい自我を覚えているわけだし、いたたまれない記憶は「ホルモンのせい」と解釈できれば、それはだいじな知識に生まれ変わるのかもしれない。つまりはまあ、ぜんぶホルモンのせいだ。

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