26961 654 654 false xxuYCGadf6Pp1MMXotJxYKFx44R7Ooid d0678c49ab41f83f0004c5a13fd0a9c8 0 0 7
シャープさんさんの作品:繰り返すこともたまにある

どうも恐れ入ります、@SHARP_JP です。この文章もとうとう100回目を迎えた。100回というのが、はたしてすごいのかそうでもないのかはよくわからない。マンガでいえば連載100回ということになるのだろうが、あの不朽の名作や国民的人気を誇る作品なら、100話目なんて壮大な物語の端緒といったところだろう。


ただ書いている本人からすれば、毎週月曜にそわそわしだし、油汗がにじむ火曜を過ごして、夜更けにまんじりともせず書いては消しを繰り返し、水曜昼にひいひい言いながらコミチの人へテキストファイルを送るということを2年以上ほぼ休みなく続けてきたわけで、100という数字にはそれなりの感慨はある。


書き溜めればいいものをとも思うのだが、そしてそうしようと幾度も試みたのだが、どうしてもうまくいかず、毎週公開だから毎週書くというきわめて非効率な繰り返しが固定されてしまった。私が飲食店だったら、注文を受けてから作るのでお時間少々いただきます、というアレだろう。


思えば、私はなにかと長続きする方だ。一度はじめたことはけっこう継続する。恋愛もそういう傾向があったし、趣味もそうだ。いま私が属する会社だって、新入社員で就職してからずっと働いている。もちろん不満がないわけではない。むしろ不満タラタラだし、私を取り巻く環境だって大きく変化した。けれど辞めたり転職していないのは、同じことを続けるということが苦にならない体質のようなものが私にあるのだろう。


言い換えれば、私は繰り返しが好きなのだ。回る洗濯機を眺めるのも好きだし、レコードが回転する現象自体が中身の音楽よりも、私がレコードを好む理由だったりする。もちろんループものの物語や映画も好物。ミニマルに繰り返される時間を見たり聞いたり、身を浸すことに、私は平穏を覚える。


私にとってその理由は明らかである。繰り返しに身を委ねると、差異が際立つのだ。繰り返しを思考や行動のベースに置くと、その上で起こることに敏感になる。不変だからこそ、変化への過敏が可能になるのだ。


それはクラブミュージックやミニマル音楽が好きな人はよくわかると思う。永久に続くと思えるような重いキックが連なるビートへ、不意に割って入るハイハットの金属音。無機質な音場に突如あらわれるボイスループやボーカル。DJによって焦らしに焦らされた末に訪れるブレイク、そしてサビ。延々と繰り返されるからこそ、目の前に立ち現れる変化やその予感が、豊かに受容される。たぶん私は、同じことを繰り返すというループに身を置くことで、自らの日々の差異を拡大し、注意深くすくい取りたいのだ。


それは周囲から見れば、とても地味な行為だと思う。なにかにつけ能動的で目に見える変化を求め、内容よりも速さをよしとする革新が叫ばれる世の中で、それは小馬鹿にされる行動かもしれない。だけど植物や地蔵のような、定点観測と内省も悪くないぞと、私は思っている。


シャープさんの寸評恐れ入ります


だからここに掲載された99の文章は、私のかわり映えのしない毎週と、毎日だれかがマンガを公開するコミチの定点観測と、マンガを読んだ私の内省の記録である。そして同時に、私が私の中に感知した差異も収録されている。


そんなことをする人はいないと思うし、する必要もないけど、1回目から99回目まで通して読めば、地味な私の差異が浮き彫りになるだろう。それは言葉の選び方や構成、そして文体に見て取れるかもしれない。同じことを同じ作法で繰り返しても、ちょっとずつ生じてしまうズレも含めて、これからも読んでいただけると私は幸せにございます。


それにしても私は、哲学者カントが毎日決まった時間に決まった道筋を散歩するから、村人が時計代わりにしていたというエピソードが好きだし、ある日いつもの時間に現れないカントを心配していたら、ルソーの著作がおもしろすぎて散歩を忘れていただけ、というエピソードがもっと好きだ。そういう境地をどこか私はずっと憧れている。

面白かったら応援!

作品が気に入ったら
もっと作品を描いてもらえるよう作者を応援しよう!