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シャープさんさんの作品:表現が成功と呼べる時

正真正銘のサラリーマン、@SHARP_JP です。あくせく働こうとも、内心ぼんやり過ごそうとも、毎月ほぼ決まったお賃金をもらう私が言うのも恐縮ですが、なにをもってプロフェッショナルとするか、はなはだ不透明な時代ですよね。特に創作や、形容詞にクリエイティブがつく物事に取り組まれる方にとっては、どこからプロと自称できるのか、客観的に見極めることが難しいのではないかと思います。


これほどまでにみんながSNSを使い、多種多様な表現なり、アイデアを注いだ作品なりを、次々発信される世界では、毎日どこかのだれかの言葉や絵や映像がバズり、多くの人の心を動かしている。ではそういう経験をした人が、クリエイティブと呼ばれる領域で成功したのかと言われると、おそらく本人も、そして世間も、同意する人は少ないだろう。それならあと何回バズれば、クリエイティブでプロフェッショナルなのか。あるいはフォロワーが何人になれば到達なのか、そんなことはまったくもってわからない。


つまりはなにをもって表現者は成功とされるのか、わかりにくい時代なのだと思う。ほんの少し昔なら、オフィシャルな賞や審査に認められる、公的な団体に所属が許される、パブリックな場所に作品が掲示される、あるいはテレビや新聞に露出するといった、すごろくのあがりのような、社会的に同意される成功の区切りがあったと思う。しかしいまやテレビに出るなんて、あがりどころか「いま何周目?」というようなズレさえ感じることがある。


その成功の不透明さを収入というモノサシでなんとなく可視化させたのがYouTubeであり、YouTuberなのかなとも思うわけですが、それにしたって「その収入だけで食える」ことがプロの条件かと言われると、いまさらそんな時代錯誤するのか、という気分が私の中に生じる。だれもがなにがしかの発信を自由に行う時代に、それで食えるかどうかだけで、プロとアマチュアをドライに区分けするのは乱暴な気がするのだ。



バズっても素直に喜べなかった卑屈な漫画家が自分の作品に誇りを持とうと決めた話(さく兵衛 著)


現在の漫画家さんなんて、なにをもって成功かわかりにくい表現者の最たるものかもしれない。賞が獲れたら勝ちなのか、本が出ればあがりなのか、はたまたネット上でたくさんの人に読まれれば成功なのか。この作品で作者さんが巡る悩みは、まさにいま漫画を志す方ならリアルに感じられるのではないか。


特に何度か自分の漫画がバズったことのある作者は「それがどうした」という空虚さも経験している。日頃からそういうバズった漫画を楽しんでいる私でも、その現象がもう少し本人のモチベーションや収入に還元される仕組みはないものかと、老婆心を抱いてしまう。バズったら宣伝できるだけじゃ、あまりにサクセスがささやかすぎないか。


ただし作者はその後、特別な経験をする。自分の作品が、ある人の表現のきっかけになったことを知るのだ。バズった結果を、漫画がどれほど読まれたか、何RTされたか、あるいは何人のフォロワーを獲得したかといった数字ではなく、どこかのだれかが「漫画を描きたい」と決意したという、極めて個人的なエピソードを本人から伝えられたのだ。


その小さな経験は、表現を行う人にとっては、強烈だったにちがいない。だれかの人生に影響を与えたという実話。成功が不透明な時代に、そんなパーソナルなエピソードは意外な力をもたらす。ひとつでもふたつでも、手触りのある実感こそが、表現を続ける動機になる。


考えてみればSNSは、その実感が交換される場所でもあるはずだ。自分の表現がカウンターの数字としてくるくる踊る中、リプで、コメントで、DMで、どこかだれかの個人的な思いやエピソードがそっと寄せられる。そのひとつひとつに目を凝らせば、それはあなたの表現が到達した、あなただけの成功だ。そしてその地点は、もうプロと胸を張っていいのではないか。

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