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シャープさんさんの作品:ムリ目な偶然

暑くなくてもボーッとしがち、@SHARP_JP です。仕事でも趣味でもなんでもいいのですが、なぜそれをやりはじめたのか、きっかけを問われることがあると思う。私も、たまに仕事に関連するインタビューを受けると決まって、なぜツイッターをやりはじめたのか、という質問を浴びる。こたえは「やれと言われたから」で、それ以上でもそれ以下でもないのだが、なんともぶっきらぼうな返答に思えて、ついなにかもっともらしい理由を捏造しそうになる。


それが趣味の方面、特に自分の「好き」に関することとなると、なおさら理由はあいまいなものになるだろう。沼にはまるのも、推しに巡りあうのも、すべては「出会ってしまったから」としか言いようがない。あるいは「これは私のことだ」と思える、だれかの表現や芸術に衝撃を受けるのも、もはや出会い頭の事故といっていい体験だ。きっかけなんて、そんなもんだろう。


ただし偶然性に満ちたきっかけであっても、そのきっかけにどう向き合うかには、その人なりの必然性が存在すると、私は思う。とりわけ「やってみない?」と他人から受注するかたちで、なにかをはじめる時、またははじめない時、私はいつもタモリのことを考える。


お名前を具体的に挙げておきながらうろ覚えで申し訳ないのだが、数々のタモリ名語録の中に「チャンスはいまの自分には無理目な発注としてやってくる」という意のものがある。いたく感銘を受けたので、自分の頭の中で繰り返すうちに、都合よく改変しているかもしれない。重ねて申し訳ないのだが、文意は間違っていないと思う。そしてその内容に、いつも私はふかく頷くのだ。


ふかく頷いた後に、私は目の前に差し出された発注をもう一度眺める。眺めて「ちょっと無理っぽいな」と弱気が立ち上がってくれば、私は本腰を入れることにしている。ツイッターの仕事だって、このコラムだって、そのようにして偶然に向き合ってきた。こう言うと、あたかも私がチャンスを成就させたように聞こえるかもしれないけど、少なくとも今も私は、無理目な発注に本腰で立ち向かっている。



漫画を描き始めたきっかけ(ワダシノブ 著)

だからワダシノブさんが漫画をはじめたきっかけに、とても共感してしまった。「漫画描いてみませんか?」という発注に、逡巡して本腰を入れる過程。他者からの偶然に、作者は自分の勇気を差し出した。


それにしてもこの作品を読むと、発注とは他者からの期待を含有しているのだと、つくづく思わされる。受注する側には舞い込む偶然であっても、発注する側とっては必然がある。そしてそんな偶然に本腰を入れて立ち向かうことは、だれかの期待にこたえようとすることでもあるのだろう。


偶然には必然を。受注には勇気を。ただし無法な受注には断固たる拒否を。ビクビクしながらも私は、いつだって無理目な偶然に出会いたいと思っている。

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