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シャープさんさんの作品:やさしい家電

テレビから冷蔵庫まで。総合家電メーカーで働いています、@SHARP_JPです。日頃からネットで種々の家電を宣伝していると実感するのだが、なぜかツイッターと相性のいい家電というものがある。SNSはネット上の存在とはいえ、そこはもう、ひとつの社会だ。現実と同じく老若男女が多様に往来する場所。だからSNSでさまざまな製品を宣伝するのも、現実社会で新聞広告やチラシを撒くのと同様、その製品への需要が大きいほど、宣伝の反響も比例するはずだ。しかし実際はなぜか、そうはならない。


一方、家電を作って売る側、つまり私が働くメーカーサイドは、単価が高い製品をたくさん売ることで効率よく儲けたり、それを製造するために投じた多大な資金と労力を回収するために広告をうつ。安い製品よりも高価な製品を、簡易な製品よりも高機能な製品を選んで、積極的に宣伝をする。大型テレビやエアコン、スマホのテレビコマーシャルが多いのは、そういう理由からだ。そしてテレビコマーシャルをした製品は、いまもむかしもそれなりに売れる。


だがテレビコマーシャルで広告した製品が、ネットやツイッターで反響を呼ぶかというと、まったくもってそうではない。むしろ真逆。コマーシャルで流れるような派手な製品より、広告すらうってもらえない地味な製品こそ、ツイッターでは反響を呼ぶことが多い。マーケティングとか戦略といった、売る側の目論見が通じないのがSNSなのかもしれない。理屈が通らぬ、修羅の世界だ。


そんな修羅の世界で、私は大小さまざま、華美も地味も見境なく、のべつまくなく家電を宣伝する。おすすめをツイートする。そうするうちに、私は宣伝が受け入れられやすい家電とそうでない家電が見えてくるようになった。つまりはツイッターでウケる家電とスベる家電。こちらの理屈を超えたところで、SNSで受け入れられる家電というものが確かにあるのだ。


そしてここでこっそり告白するが、ウケる家電のNo.1は炊飯器だ。なぜかはよくわからないまま、これは確信として私の勘に長らくインプットされてきた。



久しぶりにおこめをたきました(トケイ 著)

先日、ツイッターでたいへんに反響のあったエッセイマンガ。私もツイッターで知って、そして読んだ。この作品を読んだ多くの人と同じく、私も深い共感を覚えた。と同時に私は、私の長年の疑問が氷解したような気持ちになったのだ。


家電には、やさしい家電とやさしくない家電がある。私がうっすらと気づいたのはそれだった。やさしい家電とは、操作性がわかりやすいとか、お求め安い価格だとかいった実利的なことではない。使う人の疲弊した心に、やさしい存在かどうかだ。


ささやかな幸福や平穏を求めるだけなのに、なぜかだんだん自分が削られていく私たちの日常に、家電はどこまで寄り添えるか。その視点が、私の考えるやさしい家電である。


そう考えると、炊飯器は圧倒的にやさしくないか。私たちに寄り添っていないか。慌ただしい仕事、あるいは悩ましい人間関係、次々と浮かび寄る心配な毎日。不可抗力で荒みゆく暮らしに、炊飯器はあたたかいごはんをそっと差し出す。ふと思い出して、米を研ぎ、米を炊く。このマンガのように、そんな行為と時間を取り戻すことは、疲弊のエントロピーに抗うささやかなきっかけになるのかもしれない。


日々ツイッターを眺めるわれわれは、ほんとうは気づいているだろう。私もあなたも、しんどい。その本音のしんどさが、SNSにはあふれている。ただふつうに生きようとするだけなのに、心の余裕は簒奪され、生活は過酷に転がっていく。その原因に思い当たる節は垣間見えるものの、問題が大きすぎたり、時間の流れがはやすぎたり、あるいは勇気もなすすべもない。それがわれわれの暮らす現在なのだ。


その無情な転がりに、どこかそっと歯止めを効かせるモノ。機能とも呼べず、効能ともいえず、だけどふと束の間の落ち着きを取り戻せる存在。そういう深呼吸のように作用する家電が、幸いにして私たちの生活にはまだある。その微かな希望をもたらす家電を、私はやさしい家電と呼びたいのだ。


そしてそんなやさしい家電を、まだかろうじて世に送り出しているメーカーがあることに、私はささやかながら希望と誇りを見出している。やさしいからこそ、ウケる家電になりえるのだ。

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