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シャープさんさんの作品:でもお高いんでしょう?

でもお高いんでしょう? @SHARP_JPです。私が新製品の発売を会社のアカウントからツイートすると、秒速で寄せられるリプライ第1位がこれだ。答えにくい種類の質問である。なぜ答えにくいかというと、実際、ちょっとお高いからだ。


ここで私がどこかの通販番組のMCならば「今ならなんと・・・」と視聴者の注意を引き込むタメを作り、おもむろに声を張り上げ「きゅうせんはっぴゃくえん!きゅうせんはっぴゃくえんです!!」とでも絶叫できるのだが、あいにくそうもいかない。私は売る立場ではなく、作る立場で働くサラリーマンだ。


私たちがなにかを購入する時、オープン価格とされるモノがあるのはみなさんご存知だろう。耐久消費財、とくに家電製品に多い。オープン価格とは、それを製造する側がお客さんに販売する時の価格を設定せず、小売を行うお店が仕入れに基づき、自由に売価を決定することをいう。つまり定価や希望小売価格がそもそもないのだ。だからしばしば「カタログやサイトを見ても値段がわからん」というイライラを、買い物を検討する人に植えつけてしまう。


そういうイライラを経験してきたからこそ、メーカーの公式アカウントには「いくら?」というストレートな問い合わせが日々寄せられる。あるいは製品のアピールはお求めやすい価格とセットでこそ有効だろうと、宣伝ツイートには毎度「でもお高いんでしょう?」と合いの手が入る。


だが私はそのどれもに答えることができない。朗々と価格を絶叫することができない。できるだけぜんぶのリプライに答えるというポリシーでツイッターを運営する私にとって、それはなかなかのストレスだ。なにより「おいくら?」と口にして財布を開こうとするお客さんを目の前にしながら、ただ手をこまねくだけという状態は歯がゆいものだ。せいぜい私は「でもお高いんでしょう?」という合いの手に、「正直ちょっと高いです」と返すのが関の山。モノを売れと命じられた仕事で、これはつらい。



セール品を見てたときにハッとした娘の言葉(るかぽん 著)

作る側でなく売る側が価格を決めるという側面は、買う側から見るとこのマンガのお母さんのような世界になるのだろう。タイミングがよければお得に手に入れることができるし、逆も起こり得る。すでに買った人にとっては、あともう少し待てばもっと安く買えたのにという後悔が生じる場合もある。「買いたい時が買い時」とはよく言ったものだが、だれだって「もっと安く買えた」という選ばれなかった選択肢を突きつけられれば、淡い後悔が生じる。


しかしその後悔は、時間を遡った後悔なのだ。この作品で娘が母に説くように、人はつい気に入ったモノと過ごした時間を省略して、価格の推移を後悔してしまう。しあわせな気分でモノとつきあった時間を勘定に入れずに、過去と現在を比較してしまうのだ。思い出はプライスレスと言うのはかんたんだけど、ここで娘さんが諭すのは、思い出にもきちんと価値を見出し、モノの購入価格を的確に減価償却すべきではないかという、たいへん成熟した考えのように私には思える。


それにしても売る側も買う側も、つくづく価格とは悩ましいものだ。価格が変動する世界に暮らすわれわれは、いつ売るべきか、いつ買うべきか、いつも頭を悩ましてしまう。売る側の奥にいる、作る側の私はもちろん、モノはできるだけ高く買ってほしいけど、それよりなにより、納得して買ってほしいと密やかに願っている。


みなさんの買い物に幸あれ。

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