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シャープさんさんの作品:日課と幸福

規則正しい生活が苦じゃなくなってきた、@SHARP_JPです。歳を重ねるとルーティーンというものが増えてくる。子どものころから、靴下は左から履く、階段は右足で終わる謎のこだわりは今も続いているし、下着やTシャツはなぜか、まず前後逆に持ってからくるりと返して正しい向きで着る作法が抜けない。幼いころのルーティーンは、日課というよりまじないみたいなものだけど、大人は大人でひそかに験は担ぐし、他人には理解できないこだわりを随所に発揮する。


大人になってからの私は、日課というか、おきまりの所作というか、正しい意味でのルーティーンが増えた。たとえば会社に着いて仕事をはじめる時は、セブンイレブンのホットコーヒー(Lサイズ)が欠かせないし、パソコンを起ちあげながらチョコレートをふた粒食べる。ツイッターを開く前にフェイスブックをざっと見てしまうというのもルーティーンだし、社員証を左のポケットに入れるのもルーティーンだ。


大人になってから獲得したルーティーンは、どれもうっすら合理的な理由があったりする。それらは効率性や生産性につながるといえばかんたんだけど、どちらかというと私は、生活の平穏であったり、流れゆく時間をせき止めたりといった、等身大の幸福に接続しているように思うのだ。


毎日同じことを繰り返すのは、逆説的に毎日の自分の差異をうきぼりにすることでもある。毎日飲むコーヒーがその日の体調によって味が変わるように、同じ行為を同じ時間に繰り返すことは、決して単調なことではない。他人から見れば同じ繰り返しでも、繰り返す主体が感覚を澄ませば、驚くほど日々は多彩だ。


定点観測した写真を並べると微妙な変化が知覚できるように、ミニマルミュージックやテクノが繰り返しの先の絶頂を楽しむように、ルーティーンこそは内なる変化に富む毎日を、穏やかに過ごす術だとさえ思えてくる。


幸せを感じる瞬間(あまいろ 著)

ここで描かれているのも、幸せを感じるルーティーンだろう。「なるべく小さな幸せとなるべく小さな不幸せ」と歌った歌を思い出すほどに、ささやかな幸せが集められている。


オンラインなんとかや、成功とか必勝という言葉が掲げられたビジネス本やセミナーを覗くと痛感するけど、ややもすれば「なるべく大きな幸せ」を自己責任でドカンと狙えと迫る言説が、世の中にはあふれている。それに疲れたからといって「お前らはおとなしく小さな幸せを追いかけておけ」と社会の仕組みから決めつけられるのも釈然としない。幸せというのはどうしても相対的なものだから、なにが幸せかは常に揺らいでしまう。


しかしただひとつ、これはどうやら絶対だぞと思えることがある。それは、幸せの最小単位は自分で決められるということだ。私なら、階段が右足で終えられればすっきりするし、毎朝飲むコーヒーが変わらず美味しければ、落ち着いた満足感が得られる。このマンガでいえば、めぞん一刻を読むことだったり、甘いコーヒーを飲むことだったり。


最小単位を決めさえすれば、世間の大声や他人の目によって揺らぎがちな幸せの相対性に、自分なりの度量衡を持ち込むことができるはずだ。そしてその幸せの最小単位は、おそらくそれぞれの、毎日のルーティーンからようやく立ち上がってくるのだろう。自分の毎日を自分で機嫌よく過ごさせる行為がルーティーンならば、そこから獲得した日課や所作こそが、あなたの、なるべく小さな幸せなのだと思うのです。

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