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シャープさんさんの作品:ふたりだけの世界。オープンテラスか箱庭か。

気は優しくないし力持ちでもない、@SHARP_JPです。我ながら器の小さい話をしますが、恋仲であろうふたりがキャッキャしているのを目にした時はイラっとするのに、友だちらしきふたりがキャッキャ仲良くしているのを見ると、心が穏やかになる。


街中でも学校でも会社でもどこだっていいのですが、自分とは縁もゆかりもないふたりがただ楽しそうにしているのを見かけただけなのに、なぜこんなにも印象が違うのか。そこには、私の内なる妬み僻みがあるのはもちろんだけど、どうもそれだけでは片付けられない何かがあると、ひっそり考えてきたわけです。そしてようやく、イラつきと穏やかさの間に、どうやらそうかもと思える線引きが見えてきた。


恋人にしろ友だちにしろ、ふたりが仲良くしていることに変わりはない。だけど、恋人のキャッキャには周囲へのアピールが含有されているのではないか。恋仲である私たちはいま、世界が色鮮やかに見えている。その喜びを周囲も見るべきだ。持たざる者は持つ者を見るべきだ。かような意志をまわりにふりまいている(ように見える)のではないか。


一方、友だち同士のキャッキャはどうか。そこにはただ、ふたりだけの世界があるばかりだ。ふたりの仲の良さに比例するように、ふたりにしか通じない話題、ふたりにしか通じない言葉、ふたりにしか通じないノリを駆使して、周りからは「なんだかわからないけど楽しそう」という状況が繰り広げられる。


つまり恋人のキャッキャは外部に開かれており、友人のキャッキャは閉じているのだ。「ふたりだけの世界」とはありふれた表現だけど、その世界がオープンテラスなのか箱庭なのか。一見、恋人の世界こそが、閉じた世界かと思いきや、推しや趣味を共有する友だちこそがクローズドで親密な世界を構築するのだ。私はそう考えている。


運命数(ヤチナツ 著)

ここにいる、こはるさんとりさこさんもきっとこれ以上ないほど仲良しなのだろう。まさに「気のおけない」というべき会話が繰り広げられている。占いはあらかじめ相手のことを勝手に占うし、クソスピ女と呼ばれれば、占い師見習いおばさんだと返す。その会話のいちいちが最高だ。そして会話は、ふたりだけに通じる空気とおもしろさに満ちている。つまり閉じているのだ。


どうやら私は、閉じた世界を眺めるのが好きなのだろう。たとえば完璧に調和のとれた水槽。超精巧なドールハウス。緻密に描き込まれすぎた絵画。それらを、時間を忘れて凝視してしまうことがある。


ふたりがふたりだけの符号でしゃべり、ふたりだけのルールで遊び、ふたりだけで友だちの時間を過ごす。その閉鎖的な関係を、まるで箱庭でのできごとのように眺める自分。私から完璧に閉じられた世界を、そっと外から眺める時、どこか私は平穏を感じている。完全な均衡に、美しさを感じているのかもしれない。


私のいない、ふたりの完璧な世界を愛でる感覚。この構造はなにかに似ているのではないか。そう、BLを楽しむ構造だ。私の箱庭を愛でる感覚はそこに通じるような気がしているのですが、それを確証するまでには至っていない。

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