47869 654 654 false YbLAiZ4kFKJhFysIq5mPbv9YOS8xn8rH 20a1cf3d2c56d0f5145b9d0593d5f3ee 0 0 7
シャープさんさんの作品:第6回シャープさんの寸評恐れ入ります

こんにちは、前向きとは無縁な @SHARP_JP です。時々思うのです。自分は、過去の自分に「こんなことが起こるんだぞ」と語りかけるために、ひいこら生きるのではないかと。過去の自分に「いまもしんどいだろうし、これからもしんどいけど、お前が思いもしないことはいくつか起こるし、その時に私はお前に自慢したい。だから生きろ」と約束させ続けるために、人生は続くように思う時があります。そしてそんな時は、現在の自分が過去の自分をようやく祝福できたようで、悪くない瞬間でもある。


自分で自分を肯定するのは生きる上で必須なことだけど、なかなか難しいことでもあって、私たちはいつも事後的に過去の自分を肯定することでしか、自分で自分を褒めてあげられないのかもしれない。辛いな。


(今回の寸評)猫と私の漫遊記(まきはるか著)


読んでいて胸が苦しくなりました。「もう頭の中はからっぽだよ」「描いても描いても私の漫画は誰にも届かない」そう絞り出す作者は、うまくいかない現在の自分を持て余し、必死に努力している事実しか、創作を継続させる根拠が見つからない。そこへ過去の作者自身=猫のトトが現れる。猫はどんどん時間を遡るように、現在の作者を導いていく。浅い過去には、殺風景な自世界が広がっているのがリアルだ。深い過去、幼い頃まで遡った時にようやく、楽しそうな場所と楽しそうな自分が現れる。幼いころの自分を自分が見上げる、ここのコマは圧巻だ。


たぶん表現(もしくは芸術と言っていいかも)は、自分を覗き込むことからしかはじまらない。自分を覗き込むことなく表現を試みると、「自分が好きなものがわからなく」なるまで、からっぽを進行させる。だれかの心を動かすには、まず自分の心を差し出さなければいけない。人の感情は、感情にしか反応しないから。だからこそ表現は、自分を覗き込むという、とてもめんどくさい行為を丁寧に続けなければいけないのだ、とあらためて考えさせられました。


もちろん自分を覗き込んだからといって、すぐに他者からの評価を獲得できるわけではない。そこへいたるには膨大な訓練や試行錯誤が必要とされるのも、また表現の過酷さなのでしょう。表現する人の進む道は茨の道だけど、過去の自分から掬い出された物語は、少なくとも現在の自分を肯定するはずです。がんばってください。


とここまで書いて、いったい私は何様だという思いに捕らわれたので、静かに自分を覗き込もうと思います。真っ暗闇が広がってそうでこわい。それはそれで人間として問題な気がする。


追伸ですけど、作者のまきはるかさんが、自分と自分の世界を描けばいいことに気づき、もう一度がんばってみようと思ったきっかけは、まさにここ、コルクBooksだったそうです。もし行き詰まりを感じるマンガ家さんがいらっしゃるなら、マンガ家さんが切磋琢磨しあうコミュニティ、ちょっと覗いてみてもいいかもしれません。

面白かったら応援!

作品が気に入ったら
もっと作品を描いてもらえるよう作者を応援しよう!