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シャープさんさんの作品:第4回シャープさんの寸評恐れ入ります

こんにちは、@SHARP_JP です。 あまり人に言わないようにしているのですが、大人になった今でもぬいぐるみが好きです。 先日、映画「プーと大人になった僕」を観ました。「ピ、ピグレット、かわいすぎか」と悶絶しつつも、大人なのでいろいろと思うところはあったのですが、 とりわけクマのプーさんとクリストファー・ロビンが汽車に乗るシーンで、車窓を眺めるプーが「木…羊…池…あ、犬を連れたおばあさん…家…また家…猫…」と目にした対象を声に出し続ける 「目に見えるものを言うゲーム」が印象に残っています。


「目に見えるものを言うゲーム」は、大人になったクリストファー・ロビンにとって、行きの列車では自分の時間を邪魔する「うるさいもの」だったけど、 帰りの列車ではプーに代わり、窓の外に映るものを思わず口にしてしまいます。 それはまるでクリストファー・ロビンが、過去の自分を取り戻したようで、とてもホッとするシーンでした。 言われてみれば私も、自分が目にしたものを声に出すだけで、豊かな遊びになった時代があった。見えることが新鮮で、見えるものが世界の豊かさを示す時期があった。 そして今回、どこか似たようなことが描かれた作品を選んでしまったのは、プーの影響です。 あと会社はやっぱりしんどい世界だという思いが強化されたのも、プーのせい。あれ、社畜という風潮には重い映画だぞ。


(今回の寸評)「夜の飛行機。」(やじま 著)


当たり前ですけど、子どもは背が低い。だから視線も低い。 視線が低いということは見渡せる範囲も限られるから、子どもの世界はとてもせまいはずだ。 だけど自分の記憶を振り返ってみても、ふしぎと「世界はせまい」と感じた覚えはない。


たぶん幼い頃はみんな、もうひとつ身体を持つのだと思う。 この作品の少年のように、子どもはドローンみたく視線の高度を自在に操ることができる。 それを妄想と呼ぶのは大人の勝手だけど、幼い頃は目に見えるものをきっかけに、さらに見ることができたし、だからこそ世界は広く豊かで、絶望しないでいられたのかもしれない。


少年は夜空に飛行機を見つける。とたんに自身は高度を上げ、雲を見下ろす。 雲から頭を出すのは、自分がふだん「敵わない」と思うモノや人たちだ。 やがて少年は「嫌いなものと好きなもの」に遭遇する。苦手なギンナンを、雲の上からぽいぽい放り投げるのはさぞかし気持ちのいいことだろう。 そして大好きな揚げパンを3つも食べる(給食に揚げパンとか、作者のやじまさんの年代がわかりそう)。なんて豪華で自由な夜のフライト。


私がこの作品に妙なリアリティを感じるのは、少年がフライトを「お母さんがお風呂に入っているうちに」済まそうと自覚している点だ。 空想している子どもは、無時間の中を生きることができる。 みなさんだって幼い頃の空想に、おどろくほど時間が経っている経験も、おどろくほど時間が経っていない経験も、両方あるでしょう? 空想する子どもが無時間で生きられるのは、無我夢中だからではなく、たぶんほんとうに時間を伸び縮みさせる能力があるからじゃないか、と私は思っています。 だからこそ、少年はお母さんのお風呂の間だけ、とフライト時間を自分で区切っても平気だし、じゅうぶん自由なのだ。


それにしてもマンガ家さんは、幼い頃の記憶や感覚をどこまで覚えているか、というのも必要な資質なのかもしれませんね。私はダメだ。 ほとんど忘れちゃってる。ところでこの作品は御幣島芸術祭という、大阪で開催される芸術祭をテーマに描かれたそうです。 だからかもしれませんが、少年のフライト中、雲の上からあべのハルカスがにょっきり顔を出す。大阪に暮らす私にはとても親密なシーンでした。 おなじく #ワクワクをカタチに #みてアート2018 #漫画家たまご展 で コルクBooksに投稿されたマンガは会場で展示されるそうなので、興味のある方はどうぞ。

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