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シャープさんさんの作品:働く道具を作ること

どちらかというとモノ持ちがいい方、@SHARP_JPです。私たちは無数の道具に囲まれて暮らしているわけですが、どうも愛着を注がれやすい道具と、そうでもない道具があるように思います。あくまで個人的な例かもしれないけど、包丁や鍋といった調理器具は、比較的愛着が注がれやすい種類の道具だろう。靴やカバンなんかも、そうかもしれない。


愛着が注がれやすい背景のひとつには、購入した時の金額がその分野の平均的な価格より高かったという点があげられるだろう。「こんなに大枚をはたいたのだから気に入らなければ損」という、なかば強迫的に育む愛着だ。機械系の道具は、この部類に属することが多いのではと、私は考えている。


逆を言えば「安かろう悪かろう」とか「コスパがいい」といった、道具への期待値が低い状態から付きあいがはじまった結果、評価がポジティブに転ずる愛着もある。必要に迫られて買う家電は、ここに自らが生きる輝きを見出すことが多い。ただしこの場合、安物買いの銭失いとか、安いから使い捨てといった、薄幸な道具の一生を辿ることもしばしばだ。


私が勤める家電メーカーなんていうのは、そもそも道具を作るのが生業である。その生業も、作って売る立場から乱暴に言えば、愛着を持って末長く使ってほしいと願いながら、同時にできればはやく買い換えて欲しいと欲望するわけで、つくづく分裂した営みであると思う。メーカーとは、長い使用に耐えるべく厳格な品質を自らに課しつつ、はやく使ってみたくなるような新機能を延々と付加していかざるをえない、アンビバレントで哀しい存在なのだ。


一方道具への愛着は、使う人との距離に左右されるという面もあるだろう。暮らしの中で直接肌に触れる道具は、値段やコスパを超えたところで、慣れや快適さが生まれるはずで、それは自分の手や生活動線に馴染んだフライパンやタンスなど、だれでもひとつは思い浮かぶと思う。


さらに言えば、見すぼらしいほどボロボロで、しかしうらめしいほど自分の身体に最適化しているせいで、いつまでたっても捨てられない下着や部屋着もあるでしょう。こういうタイプの愛着は、もはやナニモノにも代え難い、パーソナルなオンリーワンゆえに、愛着界の頂点だと私なんかは思うわけです。


ツイッターでもたまに30年来使い続けられた実家のレンジや冷蔵庫の写真をリプされることがあるけど、その年季の入った姿は、私がいま来ている首もヨレヨレ、だからこそ極上の着心地を誇るTシャツに重なり、ついグッジョブと声をかけたくなる。それは道具にとっても、あるいは道具を作った人にとっても、誇らしくて本望な状態にちがいない。


そして私たちはそんな愛着を覚えた道具たちに、昔からなにか意思めいたものを見てきた。付喪神というやつだ。



文房具達のホワイトデー(うさ/著)


一般に愛着がわきやすい道具はいくつかあるけど、文具はまさに多くの人から愛着を注がれやすい道具だろう。子どもにとっての文具は、はじめて主体的に選んで買うモノになることも多いはず。あの尋常ならざる、小学生の文具への執着は、私も身に覚えがある。大人はいうまでもなく、仕事の相棒だろうし、ささやかな自己顕示のツールにもなる。文具は、愛される道具の代表格だ。


だからこういう作品も成立する(ホワイトデーというテーマに成立するかは疑問だけど)文具は多くの人が愛着を注いできたからこそ、「擬人化」という表現が採用できるのだろう。マンガでは最後に、それぞれの文具の詳細な性格が描かれる。ケシゴム、修正ペン、修正テープ、フリクション。みんな「消して」「白に帰す」道具たちだ。おそらく漫画家さんはとりわけ世話になる文具だろう。謎の熱意で擬人化が試みられている。


たぶん私たちは愛がなければ、モノの奥に神も推しも見出せない。使う人と道具の幸福な関係は、愛着を育むことからはじまるのだ。だからモノを作る側には、愛着を育むことができる程度には、長く壊れない義務があることは間違いない。そしてその使命感は、必ずメーカーにありますので。

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