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シャープさんさんの作品:顔が後回しになってしまう話

だいたい週に1、2度は電車を乗り過ごします、@SHARP_JPです。理由はわかっている。目の前のことに、あるいは目下の考えごとに、夢中になってしまうからだ。のめり込むようになにかを読んだり考えたりする時、私はコトの優先順位が崩壊する。次の駅で降りることよりも、いまこの行為を継続することを優先してしまうのだ。


結果、私は乗り過ごす。なんなら降りるべき駅をわかっているのに降りない時もある。意識下で乗り越す始末だ。結果、私は遅刻する。申し訳ない気持ちはある。ごめんなさい。


加えてその傾向がさいきんますます加速して、そら恐ろしい時すらある。ツイッターという仕事のせいだ。近年の私の頭の中は、紛うことなき自我としての私と、ツイッター運営者であるところの私が、ナチュラルに共存するようになってしまった。起きている間はずっと、2つの私が思考を並行させているかたちだ。それはまるで本アカと裏アカを同時にツイートしつづける感じだったり、スマホアプリを2つ起動しっぱなしでいる状態といえば、わかってもらえるだろうか。


元来のめりこんで考えなければ世界と対峙できない、ハイエンドとは程遠いスペックの脳みそだから、2つの思考が頭を支配するとさまざまな弊害が噴出する。電車は乗り過ごすし、道もまちがえる。机のコーヒーは倒すし、食べ物はこぼす。考えること以外のことに、かまっていられないのだ。


とりわけかまっていられないのが、外見。いまこの時の私はどう見えているかという観点はすっかり後回しにされる。電車で考えごとをしている私がどんな表情をしているかなど、かんぜんに意識の管理から野放しだ。そんな時の私の顔は、人目を憚らず弛緩しきっているか、完全な無を表すような能面にちがいない。思えば私は、周囲の人から喜怒哀楽がわかりにくいと評されたことは数知れず。困ったことである。


2Pマンガ『立てひざのお姉さん』(ネコまん 著)

このマンガを読んだ人の多くは、淡い憧れを抱く学生さんの方へ共感を寄せるのでしょう。だが私は、物憂げなお姉さんへシンパシーを抱いてしまう。考えごとをすると、表情がおろそかになる人。それが深遠な哲学的命題でも、きょうのランチでも、あるいはいちばんお得なスーパーでも、いつだって表情は後回し。表情への心配りが皆無ゆえ、ふりまく愛嬌は欠落し、結果的にアンニュイが醸し出されるのだ。その意図せぬアンニュイさに、多感な男子はドギマギさせられる。もちろんお姉さんの脳内では、憂いを含んだ思考などなされはしない。ただただ生活感の溢れる、生きる人間の等身大の思考が流れるだけだ。


当たり前だが、何人たりとも、他人の頭の中は覗けない。直接おしゃべりしないかぎり、勝手に想像して、勝手に解釈するしか術はない。正解はわからない。私たちは時にだれかに憧れ、だれかの内面を想像するけど、その解釈はずっと一方通行だ。すべてはわかったふり。わかられたふり。一見するとさみしいことだけど、そのわかりあえない溝こそが、人間の自由と尊厳を担保している気さえしてくる。少なくとも私は、わかってほしいと欲望しながら、同時にわかられたくないと願う人間だ。


最後に、勝手にアンニュイを作り上げ、勝手にドギマギしてしまった学生さんに、私から一言申し上げたい。君がドギマギした理由は、お姉さんの憂いた眼差しでも表情でもない。立て膝だ。パブリックな場所で立て膝をキープできる人なんて、なかなかいないぞ。いたらそれは主人公か待ちガイルだ。立て膝で佇む人。私だって惚れてしまう。

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