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シャープさんさんの作品:理性的なバレンタイン

自分のことは別にして、季節のイベントごとには興味があります。@SHARP_JPです。自分のことは別にして、まもなくバレンタインですが、みなさまいかがお過ごしですか。私は元気です。


これはかんぜんに私の体感値なので、何らかのエビデンスも、確からしいデータもないだろうし、話半分に聞いていただければと思うのですが、消費をともなう年中行事が、ここ数年ですっかり勢いを失ったように感じませんか。


たとえば、恵方巻。節分恒例の食べ物として、スーパーからコンビニまで、店の一角が黒に染まる光景も見慣れたものになりつつありました。しかし節分翌日、食品廃棄のあまりの多さが問題視され、予約制に移行する店や製造数が調整されるようになり、今年の恵方巻きの押し出しはずいぶん落ち着いていたように感じます。


土用の丑の日も同様かもしれない。たった1日に消費が殺到する、絶滅が危惧される生物に追い討ちをかけるような食習慣についても、作る方も買う方もいくぶん理性的な判断をするようになったと思うことが増えました。


あるいはハロウィン。たぶん近年でいちばん急成長し、瞬く間に定着した行事だと思うのですが、このハロウィンも狂乱の渋谷の狼藉やゴミの問題が明るみになるにつれ、等身大のパーティーイベントへ回帰しつつあるような気がする。2年前くらいがピークだったのかも。


クリスマスは恋仲の人と高級なホテルで過ごすといった風習も、21世紀をはや20年も生きる私たちにとっては、もはや遠い昔の言い伝えのように聞こえてしまう。ほんとうにあったことなのか、疑いすら覚える始末だ。


そしてこれらの行事には、共通して語られてきた尺度がある。経済効果というやつだ。私たちの日常で湧き起こるブームや流行は、しばしば「おいくらほど企業が儲かったか」という視点でその大きさが評される。ハロウィンなら、仮装の衣装を買い、パーティーに出かけ、飲み食いする。そう行動する人のお財布の総計を試算するわけだ。定着するイベントや行事は、その経済効果が毎年駆け上がるように膨らんでいく様として現れるのだろう。だがその膨らみがここ数年、軒並み停滞しているのでは、というのが私の体感。


もちろんツイッターに常駐して感じる私の体感だから、広く世間一般がそうだとは思いません。ブームの狂乱に対して批評的な言説が生まれるのがツイッターの特性でもあるわけで、バイアスはあるでしょう。しかし年々、経済効果で語られがちな行事は、ツイートされなくなったように見える。それは私たちのマインドが理性的な消費に収束していこうとする傾向、とも言えるのではないか。



バレンタインバレンタイン(小山コータロー 著)


話はバレンタインに戻る。消費をともなう年中行事が、だんだん理性的に落ち着きつつあるのは、バレンタインも同じような気がするのだが、どうだろうか。それはただ単に私のバレンタインへの縁のなさ、あるいは私の加齢による、バレンタイン枠から退場させられたせいかもしれないけど。


あいかわらず狂気が鬼気迫る、小山コータローさんですが、バレンタインのよくわからなさが痛快です。ロッカーを型に流し込まれるチョコレート。翌年はゼリー。好意か悪意かわからない行為。もはや本来のバレンタインの目的は無化されている。ただその無化は、義理チョコから逆チョコ、そして友チョコ、ファミチョコ、マイチョコと極限まで拡大解釈される最近のバレンタインにも通じる気がする。マイチョコなんて、ただの買い物だろう。買い物くらい、好きにさせてくれ。


ただ一方で漫画の最後にあるように、悪意とまではいかないにしても、作為はもう効かない時代なのかもしれない。消費をともなう行事、経済効果で測られるイベントには、だれもが「仕掛け」を感づく時代。どこかのだれかが儲かるための作為に、私たちはすっかり敏感になった。モノを買う方にとっては、消費に脅迫がつきまとわなくなり、それはむしろまともな姿だと言えるけど、モノを売る側にとっては、困ったことである。目論見通りにモノが売れないわけで、頭を抱えている人は多いと思う。私もそうだ。

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